15 辺境伯のエスコート
執事の執務室を出たシャノンたちは、騎士団棟につながる渡り廊下の方につま先を向けた。
「では、行こうか。……もし私が歩くのが速ければ、すぐに言ってくれ。無論、言われることのないように気をつけるが」
「いえ、滅相もございません。お気遣いくださり、ありがとうございます」
エルドレッドが言うのでシャノンが礼を述べると、彼はこちらを見て小さく笑った。
そうして歩きだしたのだが、身長も脚の長さも違うというのに、シャノンがエルドレッドに手を引っ張られることも急いで歩かなければならないこともなかった。
(歩幅、合わせてくださっているのね……)
これだけ身長差があれば最適な歩行速度も違うはずなのに、エルドレッドはシャノンに合わせてゆっくり歩いてくれるのだ。彼一人だと、もっとさっさと歩けるのに。
「すみません、閣下。私、歩くのが遅くて」
「なに、身長のことを考えると当然のことだ。男として、エスコートする女性を置いていくことなどあってはならない。それに……」
そこでエルドレッドはますます歩調を緩め、ちょうど二人の横にあった窓の方を見やった。
「……こうしてゆっくり歩くと、普段見慣れているはずの城の風景も違ったように思われて、新鮮だ」
「……そうなのですか?」
「私も、あなたと一緒に歩いて初めて気づいた。……そういえばこの城は雪国特有の構造をしているのだが、知っているか?」
エルドレッドがどこか試すような口調で問うてきたので、シャノンは自信を持ってうなずいた。
(このことなら、ディエゴさんやラウハたちから教わっているわ!)
「はい。冬季の積雪に耐えるために屋根を平らにして、雪が滑り落ちるように庇が急角度になっています。また建物の壁は実は二重構造になっていて、冷気を遮断する役目を果たしてもいるそうですね」
「よく学んでいるな。そのとおり、民家だけでなく城も、冬の寒さや雪から身を守るための特殊な構造になっている。……では、城の内部が入り組んだ構造になっており天井が低い理由は?」
「……あ、いえ。それはまだ」
つい口ごもるシャノンをエルドレッドは穏やかな表情で見つめ、天井を指さした。
「この城は元々北方地元民からの襲撃を防ぐために造られたため、籠城戦に向いた構造になっている。天井が低くて通路が狭いのも、大軍に攻め込まれないようにするための工夫だ」
「……構造はともかく、天井の低さも関係しているのですか?」
「ああ、そうだ。北方地元民は昔から、縦に長い兜などを装着している。だから敵の行動を制限するために、こういう造りになっているというわけだ」
「なるほど……!」
それは、北方地元民の風習を知らないシャノンにとっては目新しい情報だった。
「そういう歴史があったのですね! ……あっ、あそこにいくつか棒が立っていますね。あれはなぜですか?」
気になったことはついでに聞いてしまおうと思い、シャノンは城の中庭にぽつぽつと立つ棒を指で示した。
「あれらはいずれも、水路の脇に立っているだろう? 雪が積もって水路が隠されてしまったとき、うっかり踏み込んで水路に落ちないための目印だ。雪が降る中で水路に落ちると、その後の発見が遅れがちでな……」
そう言うエルドレッドの声が少し暗いので、かつて水路絡みで大きな事故があったのかもしれない。
「なるほど。それじゃあ私も雪が降る時季になったら、あの棒を目印に気をつけますね!」
「そうしてくれ。……他に、気になることは?」
「それじゃあ……あそこにある段差は、意味があるのですか? 私、前あそこを通ったときに躓いて転びそうになって」
「……あれは、特に意味のない段差だ。私たちにとってはなんてことないものだが……そうか、シャノンには障害になるか。すぐさま取り除こう」
「あ、ありがとうございます」
エルドレッドがついてきてくれるということで最初は緊張していたシャノンも、城の構造やら歴史やらについて彼と話していると思いのほか会話が弾み、事務官室前に到着したときには「もう?」と思ってしまった。
(閣下、話し上手の聞き上手で、つい盛り上がっちゃった……)
「もう着いてしまったか。楽しい時間があっという間に過ぎるというのは、本当だな」
エルドレッドも同じことを思っていたようで残念そうにつぶやくため、シャノンの心臓がちょっとだけはねた。
(閣下も、同じように思ってくださったのね……)
「ありがとうございました、閣下。付き添ってくださっただけでなくて、おしゃべりにも付き合ってくださって……」
「私こそ、皆の人気者のあなたをこうして独り占めできて本当に嬉しかった」
そう言って身をかがめたエルドレッドがいたずらっぽく笑い、自分の唇に人差し指を宛てて片目をつぶった。
気障な所作ではあるが、明るい貴公子といった感じのエルドレッドがするからかイヤミっぽさはなく、むしろ様になっている。
「あなたがこの城や辺境伯領について興味を持ってくれたのなら、私も嬉しい」
「はい! まだここに来て二ヶ月も経っていませんが、閣下のおかげでずっと好きになれました!」
「す、好きに? ……そうか」
なぜかエルドレッドは少し驚いたように言ってから微笑み、それからシャノンとつなぎっぱなしの自分の左手をじっと見た。
「……それにしても、あなたの手は小さいな」
「そうですか? 私、家族からはディナー用の皿のような手だと言われていたのですが」
「それは、私の手の比喩だろう。あなたの手は小さくて温かくて、爪も磨かれた貝殻のように小さくて……」
そう言いながら、エルドレッドはシャノンの右手を指先までじっと見てくる。決してやましい意味はないのだろうが、あまり手入れの行き届いていない指先を見られるのは恥ずかしい。
(お姉様やオリアーナはメイドに爪の手入れもしてもらっていたけれど、私は適当に切るだけだったから……)
だから無礼とは思いつつ手を引き抜いたのだが、エルドレッドはさして気にした様子もなく顔を上げた。
「……ああ、すまない。いつまでも引き留めていてはいけないな」
「いえ……」
「今日は、楽しかった。……これからのあなたの活躍を、城主として期待している」
エルドレッドはそう言って微笑み、優雅に腰を折ってお辞儀をした。
だからシャノンも微笑み、制服のスカートを少し持ち上げて腰を折る淑女のお辞儀をする。
「こちらこそ、楽しかったです。……私、辺境伯城の一員として頑張ります」
「ああ」
エルドレッドは笑顔でうなずき、きびすを返した。
彼の大きな背中が廊下の角を曲がって見えなくなってから、シャノンは事務官室に入った。
そのデスクには、この部屋を出たときにはなかったはずのメモが置かれている。そこに書かれているのはディエゴの字で、おそらく不在の間に彼が来たのだろう。
そこには仕事内容についての頼みごとが書かれている。すぐに、ディエゴからの依頼をしなければならないのだが……。
「……顔、熱いかも」
つぶやいて、そっと頬に触れる。
そこだけ、長時間暖炉の前にいたかのようにほてっていた。
なお、エルドレッドが「すぐさま取り除こう」と言っていた中庭の段差は、その日のうちにきれいさっぱり消えてなだらかなスロープになっていた。




