未来
馬車が大きく揺れたので、俺は慌てて、ジルの方を見た。
舗装されている街道とはいえ、やはり馬車だ。眠り続けるジルのために、大量にクッションや柔らかい寝具を用意させたが、どうしても揺れる。
ジルは静かに寝息を立てている。目的地に着くまでは、ゆっくり休んでいてもらいたかった。
ナルボンヌ辺境伯領、旧トゥールーズ公爵領の南西部の街道は、きっと相当荒れているだろう。あのクソ以下の公爵は、自分の領地に全く行かず、取り巻きの家人に税を搾り取るように命じるだけだった。
そんな夫に反発して領地改革を推し進め、その志半ばに亡くなったのが、ソフィア公爵夫人だ。彼女に対する領民の人望は、相当なものだったと聞く。
その公爵夫人のただ一人の娘に毒杯をあおらせ、追放同然に送られてくる新領主が、この俺だ。しかも発狂しているとなれば、全く歓迎されないだろう。子供に遠くから石を投げられるくらいは、されるかもしれない。
少し楽しくなってきた。
国境を接する旧公爵領の三分の二も、気の狂った廃太子に分け与える。そんなことはあり得ない。勘のいい連中は、本当は何が起きたか気づくだろう。
鉄の密貿易をクソ以下の公爵に持ちかけた、ナヴァル王国の国王、エンリケ五世は単細胞の好戦的な男だ。トゥールーズ公爵家の害獣どもの刑死を知ったら、怒りにまかせて戦争を仕掛けてくるかもしれない。守りを固めなくては。
ナルボンヌ辺境伯領に着いたら、まずクソ以下の公爵の取り巻きどもに、惨い処罰を与えよう。領民の留飲を下げさせ、俺の言うことを少しは聞きやすくさせる。
農業の立て直しも急務だ。ソフィア公爵夫人の残した作物の量産計画書は、すでに手元にある。それが参考になるといいが。
なんといっても金が要る。売ることができるものは、やはり鉄だろう。製鉄に時間がかかるかもしれないが、まず鉄鉱石の状態のまま、国に正規の値段で買い取らせるか。いや、ナヴァル王国が不穏な動きを見せている今、少しは武具や大砲を作らせておいた方がよい。何事もなければ、そのまま父に売りつけておこう。なんにせよ、技師を雇わなくてはな。
しばらくは、領内のために忙しい日々が続くだろう。ジルとの時間もあまり取れないかもしれない。贅沢はできないから、少し不便な思いもさせるな。
だが、ジルは責任感の強い女だ。領民のためなら、自ら働きたいと言い出すだろう。
そう、もしジルが俺から逃げ出したいと思っても、こう言えばいい。「じゃあ、俺、反乱起こすよ」と。
ナヴァル王国に持ちかければ、簡単にこちらに兵力を差し出すだろう。王家に反感を持つガリア王国の貴族たちも、「政争に敗れた廃太子」のブランドに飛びつくだろう。
「お前の父親のせいで困窮している領民を、これ以上苦しませるなんて、できないよね」
「ジルのために、何千、何万もの人間が傷ついたり、死んだりするなんて、想像したくないなあ」
「ジルが少し我慢していれば、みんな幸せでいられるんだよ」
ジルは可哀想なくらい、心優しい女だ。そう言えば、必ず、俺の傍にいてくれる。
もちろん、ジルにひどい暮らしをさせる気なんてない。領内が活気づくようになったら、辺境伯夫人として、豊かな生活をさせる。
栄養のあるうまい料理を毎日食べさせよう。丁度、ナルボンヌでは精のつく大蒜料理が名物だ。健康を取り戻させなくては。
王都にある、ジルの好きだったシフォンケーキの店を、辺境伯領にも出店させるよう交渉してみるのもいい。
ジルは着飾ることよりも本が好きだから、領民のためにも公立の図書館を建てたら、きっと喜ぶだろう。いや、その前に誰でも学べる学校を作ろう。
いつか行ってみたいと目を輝かせていた、南の大陸の草原や密林にも、お忍びで連れて行ってやろう。向こうの珍しい生き物と触れあわせてやる。
子供が欲しいと言い出したら、何人でも、気に入った子を養子に迎えてやろう。ジルは必ず、良い母親になれる。
そう、ジルはただ、俺に体と心を差し出していればいい。
もう少しで完結する予定です。どうか、お付き合いください。




