何者でも
九歳の春、ジルとの婚約が正式に承認され、王宮で披露目の茶会が開かれたことがある。その時、一人の侯爵子息がジルを指さして、こう叫んだ。
「父親の帰ってこない家の娘が、未来の王妃になるなんて、おかしい!」
まだ王太子としての演技を徹底できていなかった俺は、そいつに駆け寄り、拳を振り上げた。
だが、他ならないジルに腕をつかまれ、俺は殴ることができなかった。
その後しばらく、俺はジルに会うことを拒絶した。
『なんで、あいつをかばったんだ。俺はジルのために怒ったのに。拳を振り上げたのに』
『もしかして、ジルはさほど俺のことが好きではないのか?他の連中と同じように、「立派な王子」しか求めてないのか?』
『まさか、あの侯爵子息のことが好きだったのか?俺と出会う前に何か関わりがあったのか?侯爵子息があんなことを言ったのは、奴もジルのことが好きだからで、嫉妬からだったのか?』
そんなことをぐるぐる考えていると、ジルから手紙が来た。
『私のために怒ってくださって、本当に嬉しかったです』
『でも、私のために、私のせいで、テオドール殿下が、テオ君が、人に暴力を振るうようになるのは本当に嫌だったのです』
『そんなことが続けば、テオ君は、誰からも愛されない哀れな王になってしまわれます』
『失礼なことを書いてしまいました。私のことがお嫌いになられたのなら、遠慮なく、婚約破棄をなさって下さい』
『婚約者でなくなっても、臣として、遠くからでもお支えしたいと思っております』
翌日、俺は王妃教育のため王宮にやってきたジルを、引っ攫うようにして自室に連れ込んだ。
「俺は、婚約破棄なんて、死んでもしてやらない。臣ではなく、婚約者として、未来の妻としてずっとそばにいろ。分かったな!」
俺に早口でまくしたてられ、目を丸くしていたジルは、それでも、「は、はい」と返事をよこした。
ジルは頬を染めていた。俺も顔が熱かった。
その日以来、俺は誰かに報復する際は、陰からこっそり行うようにした。
例の侯爵子息に関してだが、奴の両親も、奴自身も、ジルに謝罪する様子が見られなかった。
どうやら、奴は自分の姉が俺の婚約者に選ばれなかったのが悔しくて、ジルに恥をかかせたかったらしい。
俺は、「王の目と耳」と呼ばれる王家直属の暗部の何人かに頼み込み、奴らの弱みを探ってもらった。平和が続いていたらから、暗部の者たちも暇を持て余し、「王子のお願い」を聞いてくれたのだろう。
そして、奴の母親である侯爵夫人の、長年にわたる不倫の証拠が出てきたので、さっそく活用することにした。
結果、侯爵夫妻は離婚した。母親の元侯爵夫人は実家で肩身の狭い思いをし、父親の侯爵は、社交界で笑い者にされ、再婚もできずに領地に引きこもったらしい。侯爵子息とその姉は、不義の子の疑いをかけられ、それぞれ男子と女子の修道院に送られたそうだ。
正直、俺は驚いてしまった。自分が全く良心の呵責に苦しまないことに。
何も悪くないジルを傷つけて笑うような奴ら、皆、死に絶えればいい。
この時から、俺は、自分が何者でも構わないと思い始めたのだろう。ジルが隣にいてくれさえすれば、種犬だろうが、種馬だろうが何だって良いと。
だが、俺は「種」ですらなくなった。
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