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クラゲと電柱が出会う場所  作者: 江本紅
2/2

氷の音がからんと鳴った時

氷の音がからんと鳴った時、彼女が振り向いた。僕が少し口ずさんだ鼻歌で。


この曲は親父がまだいたときに、親父がいたバンドのライブでよく聞いた。バンドといっても、アマチュアで、地元のおじさんとかおばさんとかが集まるような居酒屋の2階とかでよくやっていたような感じだ。みんな大人で、とくに同年代とつるむのに辟易としていた10代思春期の僕にとっては、いい意味で逃げ場のような場所だった。


親父はギタリストだった。とはいっても、アマチュアだったんで趣味の範疇でやる感じで、毎週金曜の夜は近所の居酒屋に集まってライブちっくなことをやっていた。お代はその日の飲み代。誰かが払ってくれたらしいけど、よくわからない。なんせ10年以上も前のことだから。


金曜日の何か解放された雰囲気や、居酒屋にいる酒の入った大人たちの陽気さが、なんだか異世界のようで、鬱屈した日常から連れ出してくれるような気がした。クラスメイトには内緒で、毎週末には必ず通った。といっても、居酒屋なので、制服からわざわざ親父が着ているようなチェックのシャツに着替えてキャップを目深に被っていった。


その曲は、親父たちのバンドの十八番だった。完全コピーバンドだから、誰かの曲だろう。その曲になると、みんなが盛り上がる。静かに聞き入っているときもあれば、声をあげて合唱している時もあった。特にメロディーが特徴的で、嫌でも耳に残る。ギターの弦を爪ではじく音とピアノの不協和音が重なって、なんだか耳心地の良い調和が生み出される。そこにボーカルの低くて響きのある音が混ざり、ドラムのビートが合流する。音の渦に巻かれたなあと思ったら、ライブは終わっている。そんな曲だった。


残念ながら、歌詞は覚えていない。歌詞を覚えていたらもう少し楽しめたかと思うが、そうではないのがなんだかなあと思う。


高校1年生のとき、親父が突然バンドを辞めると言い出した。あんなにバンド活動に対して小言をいっていた母親も驚いていた。だから、その週の金曜が最後の「ライブ」となった。


最後の曲であの曲を親父たちは弾いた。でも、それはいつものそれとは違って、涙交じりの声も合わさっていた。居酒屋のおじさんたちが感極まって思い思いに歌い、それに呼応してギターとドラム、ピアノの音が大きくなっていって、まるで音の渦が観客全員を渦の中心に引き込んでいくようだった。


せっかくだから、と思い、この空気に飲まれて、近くにいたおばさんに曲名を聞いてみた。


「これは『クラゲと電柱が出会うところ』だよ。このバンドの代表曲だよ。」


あんた息子なのに知らないんかい。そんな感じで答えられた。


そっか。クラゲと電柱か。どの音がクラゲでどの音が電柱なんだろうか。それとも歌詞の内容がそれだったんだろうか。曲名とメロディーラインの印象のおかげで他は何にも覚えていないが、10年経っても心の隅にこの曲が眠っている。


それから10年後、僕は大学生になっていた。しがない三流の大学生だ。普通の大学生のようにバイトにあけくれ、授業にたまに行き、といった生活を送っていた。軽音サークルには高校生の時に入っていたが、なんだか熱が冷めてしまい、時々ライブハウスに行く、ような生活をしていた。


その日は、やけに暑かった。30度越えだったのに、大学に行かなければいけなかった。次の日がレポート提出だから資料が必要だったんだ。まだ何も手をつけていないが、いままでの経験上大丈夫だと自分の頭が言った。


でも、とにかく暑かった。大学まであとすこしだったけど、暑すぎてくらくらしてしまったから、近くのカフェにたまらず駆け込んだ。一番体が冷えそうなかき氷とアイスコーヒーを頼んだ。


できればテーブル席がよかったけど、さすが15時。カップルやらグループやらでもう席は埋まっていて、空いているのはカウンター席しかなかった、ため息をつき、一番窓側の隣に誰もいない関を選んだ。


かき氷が喉を通り、頭をきーんと震わせる。この感覚がたまらない。自分の体が冷えていると実感できるこの瞬間が。アイスコーヒーも飲む。アイスコーヒーは親父もよく飲んでいた。ライブのあとには必ずといっていいほど、酒ではなくなぜかアイスコーヒーを飲んでいた。その影響かどうかはわからないが、つい頼んでしまうのはなぜだろうか。親父は昨年死んだ。脳卒中だった。


コーヒーを飲んでいたら、急に親父のことを思い出してしまった。それと同時に不意にあの曲が自分の中から湧き出てきた。その勢いで、どうやら鼻歌を口ずさんでいたみたいだった。やっぱりなんだか心地よい。そう思ってボーっとしていると、ふと視線を感じた。視線の先を目で追うと、ボブヘアの女性が僕の方をジーっと凝視していた。


なぜかその時、その人もアイスコーヒーを手にしていたことが目に残った。


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