終わる世界《Ⅰ》
海面を跳ねて、胃の内容物を海へと吐き出すトレファをメリアナは見下ろす。
ローグのような一撃の重さは無い。が、その攻撃後に伝わる魔力攻撃のダメージが想像以上であった。
まるで、体の内部に流れる魔力がその攻撃に呼応して、内部から破壊しようとする働きがあるかのように――
「揃いも揃って、面倒だ……」
事を急ぐため、海水を叩いて水飛沫を挙げて姿をくらませる。
それに気付いたメリアナが周囲一帯の魔力感知を強め、倭方面へと逃げるトレファを見付ける。
狙いは分からないが、敵前逃亡と言う事はない。それならば、敵の多い倭へ向かう筈がない。
倭周囲の異形は、トリスメギスが暴れている。宿主の制御下を離れた魔物が異形を蹴散らす。
その隙間から漏れた異形を騎士が叩くという構図から、倭へと近づくのはリスクしか無い。
それでも近づくというのは、この状況を打開できる何かがあると言う事に間違いない。
「させるか――」
海面を勢い良く蹴って、海面を走る。もはや、一刻の猶予も残されていない。
トリスメギスの宿主であるローグが倒れた今、魔物であるトリスメギスは制御を失っている。
その上、魔力体による《半顕現》でなく。魔物の力を100%発揮する事が可能な《完全顕現》状態の現在――
トリスメギスが異形を駆逐し終えた後に、倭を攻撃する可能性も捨て切れない。
ならば、倭の異形が残っている間に――この戦いを終わらせるしか無い。
トレファの向かった倭への最短ルートを構築し終え、魔力でそのルートを再現する。
魔力を惜しむ事無く消費し、一分一秒でも速くメリアナはトレファの先回りをする。
――トレファよりも先に、狙いの場所と思われる砂浜にメリアナは到着した。
しかし、そこで彼女は自分の選択を見誤った事を後悔した。
それは、彼女が自分の先回りをすると予測したトレファの作戦勝ちによるものが大きかった。
「流石は、皇帝だね。僕の期待を越えてるよ――」
目の前で微笑むのは、自己紹介として自分を《クラト》と名乗った男――
そして、その者の魔力からするに――黒と同等の実力者であった。
トレファを追い抜こうと魔力を消費し過ぎたのが、間違いであった。
冷静さを欠けて、魔力の残量が心許ない。トレファではなく。この男と対峙するのであれば――
「トゥーリちゃんから、聞きました。イシュルワを使って、何かを企んでいるようですね?」
「おや、そこまで知っているのですか? でも、残念です……イシュルワだけじゃ無いですよ――」
メリアナがクラトの不気味な魔力に身構える。そして、その後ろで眠る存在を見て、怒りが込み上げてきた。
「――私の最後の目的は、黒竜帝です」
その時、全てに合点がいった。なぜ、他国に八雲の存在がバレていたのか……。
なぜ、2年前の大規模作戦で大勢の仲間達が傷付いたのか……。
トレファのような低い実力者だけでは、ここまで倭の奥底に踏み込めはしない。
だが、この男であれば可能だと判断した。何故ならば、この男の内部から黒と自分の魔力を感じ取ったからである。
この距離で、あの男がわざとこちらに気付かせた。その意図は知らない。
が、倭の奥底に踏み込むのに、男の持っている黒と自分の魔力は必要不可欠と言ってもいいレベルである。
黒の膨大かつ強大な魔力、自分の長い年月研鑽を重ねた刃の如き魔力――
倭最高位の魔力を有しているのが、ただの戦闘に利用する為に終わる訳がない。
そして、八雲の封印を無理矢理にでも解くのに2つの魔力があれば容易い。
そして、何事も無かったかのように元に戻すのにもこの魔力があれば容易い。
封印を黒の魔力で無理矢理解き、メリアナの魔力で再び何事も無かったように封印を行う。
自分の八雲に対する管理の杜撰さがここで浮き彫りになる。
「……八雲の情報を教えたのは、貴様か……」
「えぇ……」
「……2年前の大規模作戦で、私と黒くんから魔力と体力を奪ったのも、貴様か……?」
「えぇ……そうです」
メリアナの手が、肩が震える。
「黒くんを……未来さんを……未来姉様を、苦しめたのは貴様か――!!」
気付けば、自分の目から涙が流れていた。
彼女が魔力や経歴云々抜きで、尊敬する彼女を苦しめた元凶を目の前にして、冷静さが欠けた。
「えぇ、えぇ、そうです。そうですとも――私が、2年前の大規模作戦の襲撃を画策しました。しかし、それもこれも全ては皆さんの為を思って――」
「黙れぇえぇぇぇ――ッ!!!!」
クラトが思わず身を強張らせる。メリアナの魔力が1段階跳ね上がる。
目の前の彼女は、怒りでその力が増して行く。クラトからすれば彼女のような力を秘めた存在は大変貴重――
その上、計画上では、黒の進化を促す計画の進行中。
その過程で、同領域に達しているメリアナが進化するのは一石二鳥。
クラトからすれば、願ったり叶ったりの状況に他ならない。
が、問題があるとすれば……クラトとは異なる計画で働いているトレファの存在は計画上、非常に疎ましい。
そう、思ったクラト――。計画がこれ以上遅延するのは、得策ではない。
隣に降り立ったトレファに――計画を早めろ。足止めは、俺がやる――と、計画の進行を無理矢理にでも早めさせる。
その指示を聞いて、黒を担いでトレファはその場から離れる。
「黒くんを……置いていけッ!」
「悪いけど、これも計画に必要不可欠な事なんだよね――」
メリアナの邪魔をする為に、クラトは彼女の前に立ちはだかる。
実力は、どう見てもメリアナ以上の強敵――。だが、メリアナは負けるつもりはない。
負けてはならない。今度こそ、大切な仲間を守る為に――




