たった1つの願い
――昔の事を思い出した。
大好きな母親が寝る前に聞かせてくれる作り話――
幼くともセラには、それが母親の作り話だと分かっていた。
誰よりも優しく、誰よりも強い。そんな主人公とその仲間達の話が、彼女は大好きであった。
だからなのか、彼女の根幹に根強くある。
《弱き人を守る》と言う信念が幼い時から彼女の中にはあった。
それ故、この状況が彼女に許しがたいのは言うまでもない。弱者を踏みにじる彼女達の言動が――
戦うんだ。あの物語の主人公の様に――
そう自分に言い聞かせる。だが、体は正直であった。
黒、ナドレを簡単に潰した者たちの強さに、恐れから動けない。
――恐怖で、固まってしまった。
一歩、一歩でも列車の外へと飛び出せば、銃弾の餌食になる。万が一にも、弾幕を避けれたとしてもその後にはアトムで待ち構えていたイシュルワの襲撃者達――
――戦える訳、無い。…怖い。
『《恐怖》を乗り越えた主人公は、震えるみんなの為に立ち上がりました』
「ねぇ、ママ……。どうして、立ち上がれたの?」
『彼は、誰かを守る為に剣を取ったのよ。誰でもない……誰かの為に――』
セラの母が毎日聞かせてくれた物語――
名も無い主人公は、決して諦めない。
ただ、誰かの為に自分のその手で救える誰かを守る為に、立ち上がりながら傷付いた。
何度、何度も傷付き、倒れる。そして、幾度と無く仲間と共に立ち上がる。
ただ、たった1つの願いの為に――
(私は、あの主人公の様には……立ち上がれない)
目線を下に向けてから、気が付いた。自分の手が小刻みに震えている事に。
阿鼻叫喚が広がるその光景に触発されたのか、先ほどから震えが止まらない。
外では、ナドレと黒が襲撃者からみんなを守る為に命懸けで戦っている。
列車の影に隠れながらもロルトが必死に魔力で車内の人を守っている。
この場で、何一つ何もしていない。そんな自分の存在が――嫌で嫌で、仕方がなかった。
ロルトやナドレの様に、魔力を用いた魔法などで支援は出来ない。
当然のように、黒の様に体を張って守る覚悟も無い。数十人から袋叩きにされても、黒は列車を狙らい続けるイシュルワの襲撃者と戦う。
自分だけが、何もしなず。ただ、震えているだけ――
列車の窓枠が弾ける。破片がセラの直ぐ隣の女性の頬を僅かに切る。
母親の悲鳴とその体に守られている女の子が、セラに願った。
「お姉ちゃん。ママを助けて……」
銃弾が窓枠を破壊し、列車の最後の壁を壊す。命綱と呼べる壁が壊れ、その向こう側で身を屈めていた人々へと凶弾が届いてしまう。
悲鳴、絶望――。セラの目の前で母親が自分の子供を守る為に、まだ他に比べて安全なセラの方へと自分の子供を投げた。
子供の母親を呼ぶ叫び声と共に、母親の居る場所が銃弾で吹き飛ぶ。
「アッハハハハハハハハハハハハハハッ――!! ホント、最っっっっ高よッ!!」
壊された壁の破片や小さな瓦礫に埋もれ、真っ赤な血液が床へと流れる。
セラに抱き締められ、泣きじゃくる子供が母親へと手を伸ばす。真っ赤な血が子供の方へと伸びる。
イシュルワの襲撃者達は、その光景を見て――まだ、笑っていた。
――それが、どうしようもなく。許せなかった。
子供の手を離して、母親の元へと寄った子供を見付けて、彼女の手が再び振り下ろされる。
彼女の部下達が、銃を構える。
だが、遥か後方から全身に傷を負った黒が目の前の敵の武装を粉々に破壊する。
「――させるか!!」
「――させてよ」
指を鳴らす。黒の相手を呼んだとばかりに、黒の真横へとあの男が肉薄する。
黒の一撃を無傷で耐え、つい先ほどまで黒をボロボロにしていたこの男を。
「ねぇ、油断したのかしら?」
「申し訳ありません。一瞬ですが、隙を突かれました。ですが、ここで殺します」
見ると、黒の両腕はだらんと力無く下がっていた、間違いなく両腕がへし折れている。
この男がへし折ったのか、他にも黒の全身にアザや切り傷などと思われる傷が数多く見えた。
もはや、黒とて満足には戦えない。満身創痍な状態である。が、黒は立ち続ける。
誰でもない。誰かの為に――
「この俺を倒すつもりか? そのボロ雑巾でか? 不可能だ。俺なら、コイツらは見捨てる」
「――ぷッ! うるせぇよ……仲間を引き連れた上で、卑怯な手でしか正面から戦えない……お子様なテメェらと、俺を一緒にするな」
黒が地面を蹴る。だが、目の前に立ち塞がる男の剛腕に成す術なく沈む。
頭から地面に叩き付けられ、それでも立ち上がろうとした黒を見下しながら男は黒の首を踏み砕く。
首の骨が粉々に砕ける音を上げ、地面に流れる黒の血液が致死量を越える。
「――殺しました。後は、雑魚とわざと生き残らせた子供だけですね」
「えぇ、後はお楽しみの時間ね」
ロルトが残りの魔力で体を無理矢理叩き起こす。そして、セラへと子供を託す。
――子供を連れて、セラさんだけでも逃げて下さい。そう一言残して、黒を葬った男と彼女へと単身突っ込む。
結果は分かっている。だが、2人を逃がす為に時間を稼ぐ。
懐から引火性の高い燃料を取り出し、床にばら蒔く。透かさず炎で引火させ炎の壁を作る。
「速く、走れぇぇぇぇ!!」
セラが子供を抱えて、走る。母親を置いて行かないでと泣きわめく子供を強く抱き締めながら、その場を後にする。
「――逃がさないに、決まってるでしょ?」
炎の壁を突きって、セラへと肉薄した彼女の蹴りを防ぐ事なく受ける。
骨が軋み、全身が悲鳴を上げる。近くの待合室まで蹴り飛ばされ、瓦礫とガラスの下敷きとなる。
男がセラを瓦礫から起こし、床へと押し付ける。まるで、これから起こる事を見せ付ける為に。




