国境の戦い《Ⅰ》
黒の全身から、凄まじい魔力が溢れる。
時間にして、約数分が限界――
だが、それで問題ない。むしろ、数秒で事足りる。
「最ッッッッ高よォッ!? 橘く――」
興奮して、黒と同じく全力を披露しようとしたオカマだが、全力を披露するよりも先に黒の拳が目前で炸裂する。
スラム全域が火の海に沈む中で、ある一点で黒色の光が生まれる。
次の瞬間、スラムを呑み込んでいた火が1つの火種を残さずに消し飛ぶ。
轟音が木々を揺らし、周辺一帯の魔力も漆黒の波動に呑み込まれ、魔力の欠片も残さず消える。
バリバリバリバリッ―――!!!!
スラム全域が漆黒の闇に包まれ、真っ黒な柱が天高く出現する。
周囲の空間が瞬く間に引き裂かれて行く。
先ほどの轟音と共に柱が崩れると、柱の中央で吐血して座り込む黒が溜め息を溢す。
黒の目線の先には、体の約半分を焦がしても直立不動のままこちらを見詰めるオカマがいた。
オカマの仲間と思われる人物は、一人残らず燃えカスと消えているのに。
「……自慢じゃねーが、一応……倭の皇帝だ。その、皇帝の本気だぞ?」
「……ぷッ……光栄ね。倭の帝に……全身をウェルダンで焼かれる何て……」
「……」
「本気……なのは、分かるわ。だからこそ、それ以上に――辛いわね」
「――何処かで、会ったか?」
「いえ、貴方の事を知らない人は居ないわよ。世界最強の騎士だもの」
自称だ――と、黒は天を仰ぎながらそう呟く。自分が世界最強なのは、あり得ない。
もしそうなら、あの男が最強ではないと言う事になる。皇帝になって初めて、あの男と戦ってこの肌で感じた。
あぁ、コイツが最強か――と。
今の自分では、決して到達し得ない境地の果てを見た男の背中なのだと。
きっと、自分とあの男が戦えば、どちらかが必ず死ぬ。そして、周辺一帯を灰塵にしてしまう。
だから、ホントに最強なのがどっちなのかは誰も知らない。でも、黒でない事だけは確かである。
ならば、残る一方が必然的に最強となる。
「世界最強とか、肩書きが一人歩きしてるぞ? 現実は、この様だ」
立つ事すら叶わずに、地面に大の字で倒れる。
このタイミングで、新人類側の一団が来てしまえば、黒は無抵抗のまま八つ裂きにされるだろう。
もう、抵抗する力は持っていない。体を起こす気力すらも微塵もない。
少しの本気ですら、この無様さである。竜王から貰った魔力は完全に消え、残るのは僅かな自分の魔力だけ。
この先、多くの障害を前にして自分が戦えるのかと不安になる。
「……なぁ、オカマ野郎」
「失礼な呼び方ね。まぁ、良いわ……それで、何かしら?」
黒の正面に彼女は座る。先ほどの攻撃を食らっていながら、この余裕さを前に黒は自分がどれほど弱いのか理解した。
単純に、魔力が無い。魔物が無い。と言う簡単な言葉で表現できる弱さなどではなく。
自分の根っこの部分の弱さである。
例え、どれ程経験値があろうと、知識があろうともそれに対応出来る肉体でなければならない。
目の前の敵にすら情けを受け、自分の力1つでは何一つ成し遂げれない。
かつての自分が、眩しくすら思える。一人で、四大陸へと飛ばされても平気だと認識していた。
例え、敵が来ようとも圧倒できなくとも対処程度は出来る――と、その結果がこの様。
「……弱いな……」
「……無力さを噛み締めてるのかしら?」
時間が過ぎるほど、自分の弱さを痛感する。
魔力の回復すら何時間と要する。この様で、単身倭へと向かえるのか。
頭で考えるのは、そればっかりであった。
目の前の敵にトドメすら刺せずに、加減された状態で満身創痍。
きっと、目の前の敵が本気を出していたら――詰んでいた。
「なんで、トドメを刺さないんだ? 絶好の機会だろ?」
「……」
「無視すんなよ……泣きたくなるぞ」
体を無理矢理起こして、近くの岩を背にして体を休める。
なぜか仕留めにかからない敵を前に、無防備の状態なのは新鮮ではあった。
何を思って、何を考えているのか。目の前の奴は、黒の命を握っている。
それは、間違いない。だが、彼女の黒を見る目に少し違和感を感じる。
どこか敵意や殺意などとは異なる別の感情があって、それを黒はうっすらと感じ取る。
「やっぱり、敵わないわ」
「は? 満身創痍なのは、俺だぞ? 勝ち負けなら、俺のボロ負けだろ?」
「いえ、違うわ。私は、ただの1発の攻撃でこの様よ? それに、本国の毒を浴びながら、あの大立ち回り。到底、私1人の勝ちじゃないわ。それに、殺す気なら……もう、殺してるわよ」
「……見逃すのか?」
「えぇ、私が本国から受けた指示は、このスラムの監視だけ。それに、弱っていても皇帝に毒が効かないって結果が手に入ったのよ? もう、ここに用はないわ」
手をヒラヒラと振りながら、音もなく現れた側近とおぼしき白装束に攻撃の手を止めるように指示を出す。
黒が気付くよりも先に、喉元に突き付けられた刃物の冷たさが喉元を撫でる。
反応すら出来ずに、黒の喉元から刃物が離れた所で自分の喉に刃物が迫っていた事に気付く。
「……魔力が落ちた事で、その他の機能も低下しているのね。ホントに、悲しいわ」
「ミッシェル様、よろしいのですか? 倭の皇帝を見逃すなど、ブラフマンが許すとは思えません」
ミッシェルと呼ばれたオカマが腰に手を当てながら、困った顔を作る。
しばらく考えてから、側近が用意した衣服に着替え直す。黒の前で全身の火傷を一瞬で治療して見せる。
竜王から授かった魔力を完全に消費した黒からすれば、嫌みにしか思えない。
「嫌みか? 俺の全力でも、その程度だぞ。って」
「そうかもね。でも、そうじゃないかもしれないわよ。だって、橘ちゃんの本気は――この程度じゃないでしょ?」
側近が置いていった黒が浴びた毒の解毒剤とスラム全域を蝕んでいた毒の中和剤のレシピを黒は手に取る。
ミッシェルの考えが全くと読めない。なぜ、自ら手を下しに来たにも関わらず自分を見逃したのかも。
このスラムで作った毒が皇帝に効果が無いと分かった途端に、攻撃の手を緩めたようにも見えた。
まるで、乗り気じゃない作戦に渋々参加して、切り上げるタイミングを待っていたかのようであった。
「はぁ……魔力が無くなっちまったな……」
竜王の魔力が消えた。残るは、回復するのに時間の掛かる上に、魔力量が少ない黒自身の魔力のみ。
この先、旅を続けるとなると先が思いやられる。




