八咫烏の女《Ⅲ》
日神が展開した閉鎖空間内にて、呉羽と黒が激しい火花を散らす。
両者、一歩も引かず手にした刃を重ねる。
楽しそうに刃を振るった黒と呉羽が満足した後に、普段着へと着替えて準備運動を終えた日神が閉鎖空間の強度を今の物よりも2段階ほど跳ね上げた。
黒が不思議そうに首を傾げて、今しがた強度が増した空間に目を向ける。
何かを察したのか呉羽がスッと闇に逃げる。
呉羽と代わるように空間には、黒と日神の2人だけである。
閉鎖空間内では、どれほど魔力を発揮しても空間が砕けるまで完全に外には逃さない。
そして、日神が真紅の眼光で黒へと襲い掛かる――
「この結界は、情報と逃げ場の遮断をフルにしてみたんだ。――最初は、視覚情報と魔力の《隠蔽》だけにしようと思ってたんだけど……誰かさんの余計な口が、災いしたようだね」
「……ぁぃ」
「……黒、女の子の服装を笑っちゃだめだよ。未来がこの場に居なくて、ホント良かったね」
「……ぁぃ」
早朝から鬼の様な日神に襲われ、逃げ場の無い黒は制限された中で戦う羽目となった。
なぜか、呉羽との一騎打ちを終えた直後の疲れたままで、《魔力無し》《魔物無し》の剣術、体術のみの一騎打ちを日神とやらされる。
魔力、魔物を取り上げられた黒は、もはや枝を装備したひ弱な老兵――
対して、日神は剣を装備してガチガチの重装備である。
その上、魔力で強化をした上、時折黒の視界を魔力で遮ると言う卑怯な手まで多用してきた。
地雷を踏んで、怒らせた女はこんなにも恐ろしい。
そんな日神にコテンパンされて、屋上で黒は大の字に倒れる。
「……妹は、しっかりと守ってやるよ。てか、この学院を守るのが今回の仕事だ」
「――うん、お願いね。黒……」
昇る朝日をバックに、呉羽の体が煙となって消える。
きっと、何かの魔法か術式なのだろう。
去り際を間近で見た黒が、その芸当のクオリティの高さに黒の興味を刺激していった。
「――最後、去り方カッコよかったから真似したいんだろ?」
「日神もよく分かってんじゃん。……呉羽は、俺の趣味把握してんのか?」
「呉羽は、昔からよく黒を見てたからね……尚且つ、分かりやすいんだけだよ」
朝日を前にして、気持ちよく伸びをする日神が黒を残して屋上から去って行く。
1人残された屋上で、戻り始める黒の魔力――。そして、弱まった結界を見て好機だと誤認した者達の悪意が結界に瞬時に反応する。
魔力だけでなく。黒の認識からすらもその姿を消していた。
そんな呉羽とは、比べるまでもない。
彼らの幼稚で拙い隠形に黒は腰を上げる。そして、鼻で笑って見せた。
「さて、こっちも本業の方々かな? ……なわけねーか」
影の中から青く光る瞳が、全ての悪意を呑み込む。
そのまま遠く離れた雪原へと勢いよく投げ捨てられ、極寒に震えながら彼らは恐ろしい物を見た――と、叫びながらその場から一目散に逃げていく。
そのまま屋上で軽く朝日を浴びながら、少し時間を潰す。
今日は休校で、生徒達も思い思いの時間を過ごしている。感知によって、次第に生徒や教師、警備員が感知に乗る。
「疲れたな……昼まで、少しダラダラするか」
ひんやりと冷たいコンクリートの上では眠れず、仕方なく自室へと向かう。
屋上から飛び降りて、早起きした為に寝不足気味な黒が自室へと続く廊下を進む。
このまま可能ならば、ベッドへと飛び込んでそのまま眠りにつく。
どこでも良いから、日神との手合わせで消費した体力を戻さないとならない。
そんな道中で、早起きな生徒数名と軽く挨拶を交わす。
朝練の生徒が、荷物を持って実習棟へと向かう後ろ姿を眺める。
「……異常は、ねーか」
魔力は未だ本調子ではないものの感知に関して言えば、既に以前の精度に戻っている。
とは言え、一度途切れたのであればどこかしら穴が生まれている可能性は否めない。
範囲などの細かな設定の見直し、用心の為に再度条件を再設定する為に魔力を練る。
端から見れば、廊下の真ん中で直立のまま眠っている。ただの変わった人である。
「あっ、橘先生だー」
「……寝てる? これ、寝てるよね?」
「廊下で寝るって、夢遊病じゃん……こっわ」
受け持ったクラスの生徒が、まぶたを閉じて結界の再設定をする黒の周りに面白さ見たさに集まる。
設定を終えて、目を開ける。
運良く生徒のイタズラが行われる前に、気配に気付いた黒が青く色を灯した両目を開く。
「「「「――!?」」」」
集まった生徒が、その宝石のように光る瞳を見て揃って綺麗とは思わなかった。
確かに綺麗ではある。だが、それは一般人から見ての感想である。
ある程度の経験や知識を持った者からすれば、それは怪しく不気味で、とても恐ろしい力を秘めていた。
「4人とも、おはよう――。今、イタズラしようとしたよな?」
「「「「……」」」」
目を戻して、4人にイタズラは程々にするように告げてその場を後にする。
既に結界の見直し、補強は終えてある。
とは言え、日神、未来の力が戻っているのか――確かめずには、いられなかった。
そんな黒の考えを読んでなのか、運悪くも黒に用事のある教職員が通路の角から現れた。
たまたま通り掛かった職員に黒は呼ばれ、離れた位置であった為に黒が小走りで彼女の元へ近付く。
そこが、どのラインなのか黒の頭から綺麗に抜け落ちていた――
黒には、この星の水女学院で生活する為に必要不可欠な安全装置があった。
それは、いわゆる《侵入行為》と言うものである。
日神と未来の2人によって、黒に刻み付けられたその術式の効果は、女学院の生徒を守る為の術式であり。
その術式によって、生徒は安心を得ていた。
そんな術式には、細かなルールがありながらも大きく分けて3つの枠組みとなるルールがあった。
『1つ、女学院内では全ての教員、生徒は学院から支給された端末にて、黒の位置情報を閲覧可能である』
『2つ、寮内限定で日神、未来の両者もしくは片方が眠っている。もしくは、意識を失っている状態で1人との距離が60メートル離れた位置にいる』
『3つ、寮内限定で教員、生徒の部屋へと不用意に近付く。(部屋へと招き入れた場合、明確な用事などの目的がある場合は無効となる)』
などの1つ1つのルールを破る事で、その魔法、術式は効果をさらに増幅させる。
今回は、最低でも3つの《ルール》が破られた。
――生徒が部屋の中におり、招き入れられた訳では無い。
――未来が眠っていた。
――近場にどちらかがいない。
などのルールを破った事で、女性職員の眼の前と自室を出たばかりの生徒数名の前で、黒が防御不可能な稲津をその身に受ける。
黒の体を漆黒の稲津が内側から予告なしに炸裂し、雷鳴が朝の寮内に怒号の様に響き渡る。
不運にも――超低確率の漆黒の稲津ボーナスが付け加えられている。
通常では、内側から魔力攻撃を受ける。
それだけであるはずなのに、想像以上の魔力に黒も困惑する。
口を手で塞いでも、溢れる血が両手を真っ赤に染める。
溢れ出る吐血、滴り落ちる流血が廊下を赤く染める。
重なる運の悪さに拍車がかかって、内臓を少し損傷した。焼けた体内、焦げ臭い匂いが鼻にこびり付いている。
「……あっ、やったわ……」
生徒、職員が盛大な悲鳴を挙げる。
離れた位置で術式と魔力が弾けた。
その後、女性の悲鳴が木霊する。眠っていた未来が自身が黒へと刻んだ魔力が弾けた事を感じ取って、ベッドから取り起きる。
そして、別の階から降りてきた日神と合流し、先程の悲鳴が聞こえた場所へと一目散に走る。
息を切らす2人の前に、白目を向いて倒れる黒が視界に飛び込む。
治療用の術式と魔法で賢明な応急処置が行われている。
治療を変わった未来、生徒とのケアへと回った日神が――職員、生徒の話を聞いてから何かに気付く。
「……ごめんね。黒ちゃん」
「……今日の運勢は、最悪だね。――黒」
すぐに医務室へと運ばれ、急遽執り行われた講堂での朝の騒ぎ――その場に居合わせた職員と生徒には、事情は日神の方から直接説明がされた。
ただの不運が重りに重なって、今回の1件が発生した。
「――って、訳で……しばらく自習だ」
ガラガラ声で、半開きな片目で虚空を見つめるように生徒達の前に立った。
車椅子に座って、顔の半分、体全体に包帯が巻かれている。
出血は内蔵を痛めて口からだけだったが、完全に油断していた身で内側から全身を稲津が貫いた。
絶対安静な上に、内側に負った火傷が黒の体を蝕む。
包帯で外側から体を固定しないとバハムートによる魔法での治療が不可能なレベルでもあった。
数日、眠った事で体は動くまでに回復は進んだ。
とは言え、完全回復にはまだ時間が掛かる。
魔力で再生させるのもアリではあるが、疲れる上に無駄に魔力を消費する。
その瞬間、あり得ないとは思うが奇襲や隙を生むことがあり得るかもしれない。
ならば時間を掛けて、安全に治療した方が良いと言うものだ。
逆にこの隙を狙う者なら、既に事を起こしている。
『とんだ災難だな……宿主よ』
「あぁ、全くだよ。不意にも程がある。試しに確認しようかなって思ったけどよ。それならそれで、全身を魔力で覆ったぜ? ……これは、不意打ち過ぎるって」
『だから、災難だ。と、言ってるんだぞ』
車椅子の上で、自分の体を鏡で見て嘆く。
生徒達が自習する中で、顕現させた黒竜に車椅子を動かして貰う。
驚く生徒達を見て、常識となっていた自分の認識を改めた。
「あぁ、魔物って……覚醒してないと顕現させれないんだよな」




