八咫烏の女《Ⅰ》
八咫烏――
それは、倭を拠点に活動する諜報部隊の別称である。
その大半のメンバーが2年前の大規模作戦で消息を絶ったと囁かれてはいるものの、その活動が止まった記録はない。
現在の八咫烏は、主な任務として倭に仇なす者の抹殺や他国への諜報活動である。
そして、黒焔騎士団にも八咫烏の在籍メンバーや元メンバーが少ないながらも存在する。
その中で、最も名が知れているのが――暁叶である。
黒焔騎士団でありながら、裏では八咫烏の諜報部員として活動する。
何度かその活動の為に陽動の役を黒焔に押し付けた事も逆も多々あった。
だが、八咫烏で最も恐れられたのが――統括と呼ばれた『女』である。
暁曰く――戦っていいレベルじゃない。と言われており、暁の気配遮断、暗殺、潜伏能力、侵入技術などなどの諜報活動のノウハウを叩き込んでくれた人物でもある。
あの暁に技術を教えて、恐れられた人物――。強さのレベルであれば、メリアナやヘルツと同程度で黒以下か勝るとも劣らない手練れとも噂されている。
「――そんなバケモノが、相手なんだぞ?」
「……急に、何よ」
「いや、独り言だ――」
星の水の広大な敷地の中には、全生徒が入る講堂や巨大な訓練棟、実習棟などの設備が整った施設がある。
その中の1つである《訓練棟》と《実習棟》――
この2つの違いとして、《訓練棟》は魔法や体術などの訓練を行う実戦に近い形で訓練を行う施設。
逆に《実習棟》は本格的な施設があるとは言え、訓練とは違って学んだ技術を実際に行う場所である。
その為、施設の広さや強度は訓練棟の方が何倍も遥かに高い。
そして、現在に至るまで多くの年月が過ぎたが――訓練棟が本格的に機能したのは今回が初めてであった。
「なるほど、流石は実習棟……中々いい環境だ」
這いつくばる紅羽の目の前で、1人施設の運用方法に思考を巡らせながら指を鳴らして魔法を解除する。
そのすぐ後に、紅羽の全身から力が抜けて地面に寝そべる。
全身は汗で、ベタベタ――
他の生徒も似たような状況でヘトヘトであった。
唯一、リディが直前まで耐えていただけで、残る生徒の全員が黒の重力に負けた。
「はい、中々な成績だぞ。開始数分でバテた奴もいるが……大半が5分を超えた。俺の方で、個人的に調整した重力で今後は講義と実習を受けて貰う――」
「先生……少し、休憩……」
「……休憩の後で、説明するか」
バテたリディが、へなへなと座り込んで水を一気に口へと入れる。
全身に魔力を覆った状態で、直立不動でいる。説明を受けた時点では簡単だと全員が油断した。
「じゃ、魔力を纏って耐えろよ。強化魔法が扱える奴は事前に報告して、使用するかしないかも教えてくれ――」
リディや少ないながらも強化魔法を扱える生徒が手を上げて、使用する事を伝える。
そこから、地獄が始まる。魔力を纏って全身に強化魔法を施す。
その上から黒の重力魔法が生徒達を地面に押し付けるように増して行く。
地面に倒れ、潰れる事はないが最後には立ち上がれずに動けなくなる。
「この訓練は、自分がどれだけの力に耐えれるかのテストだ。強化であれば、どれだけの負荷に肉体が耐え切れて……負荷を物ともしないかのテストだ」
「……橘、先生って……結構、スパルタ?」
「いや、限界を自分と俺に分かれば良かっただけだ。だから、ボールを両手で持って耐久とかでも良かったけど――こっちの方が結果が早く分かる。それに、負けず嫌いが誰かとかも――分かる」
「……ッぅ……」
黒がイタズラっぽく笑って、顔を赤くする紅羽に視線を向ける。
イラ立ちを隠さず、黒へと中指を立てる紅羽の行動が面白く笑う黒を見て、恥ずかしさから怒りでさらに顔を赤く染める。
15分の休憩の後に、個別に渡された黒色の指輪に女子が若干引き攣った笑みを浮かべる。
「……指輪って、恋人に渡したらどうですか? 先生」
「アホか、サイズは自由自在だ。魔力で調整するから手首か指か足首か……適当な所に付けろ。自分でサイズ調整出来るならやってくれて構わないが、出来ない奴は俺がやる」
「えぇー、黒色って趣味悪……」
「目立つし、何か可愛くな~い」
「先生ー、もっといいデザインにしてくれませんか?」
黒に対して、この数日で態度が一変する。最初の恐れのイメージから一転して、イジれる先生に変貌する。
講義の内容に不満などなくしっかりと受けつつも、講義中でも生徒によっては大分砕けた感じとなった。
「……分かった……何色?」
「えっ、変えてくれるの? 言って見て良かった」
「私も……変えて欲しいです」
講義時間の間に、生徒全員分のリングの調整と色や形などの造形を作り変える。
疲れ気味の黒がデスクへと戻って、椅子に凭れ掛かる。
「……疲れる。神経的な意味で――」
「お疲れ様、黒ちゃん。はい、コーヒー……淹れたてだから気をつけてよね?」
「あぁ、ありがとう……」
隣でキーボードを高速で叩いて、資料やプリントの制作に取り掛かる未来を横目に事務的な作業が得意な未来を羨ましがる。
黒は事務的な作業が出来ない訳では無い。だが、集中力が長続きせずに、途中で息絶える。
それを見兼ねて、黒の資料やプリントの制作を未来が手伝っている。
その時間は、約10分程度である。その速さに他の教師にすらも驚かれている。
が、未来は知っている。黒が、教師として働く中で学院全域に幾度も感知系の術や結界を展開している事を――
「……結界、使えない筈じゃないの?」
「……あぁ、少しアイツの封印に使っていた結界をこっちに回した。まぁ、微々たる量だから影響は全く無い。そもそも――結界っても、枠組みの基礎に使っただけだからな……形さえ出来れば、後は感知の魔法や術で代用できる」
「――つまり、術式範囲を確率させる為の基準点的な役目?」
「そうだ……この前の違和感も相まって、感知系を増幅させてある。……範囲を絞れなかったのが痛いけどな」
黒が《結界術》を軸に感知系の魔法や術式を立てる事で、軸と軸を繋ぐ範囲を結界術で覆う従来の結界術とは異なる使用方法で、学院を覆っている結界を創り出した。
サラッと言ってのけて、実際に行う――
通常、結界術を基礎に他の魔法で代用する事が理論上可能でも実際に扱う人物はそうはいない。
結界術だけでもレベルが高く。そのレベルの運用を想定していない魔法や術式で代用する事がそもそもあり得ない。
隣の未来ですら、若干黒の次元の高さに驚きつつも慣れた事だと思って、表に出さない黒を労う。
「頑張るね……」
「……当たり前だ。生徒の命に、関わる」
デスクの上で、コーヒーを一口だけ飲んだ黒が息を吐く。
ただの教師と言う初めての経験に精神的な疲労があって、疲れているようにも見える。
そんな黒を見て、未来、遠くの日神は気付いている。
この数日、黒は常に高度な魔法を行使している。それは、常にランニングマシンに乗っている様な物である。
体力や魔力が普通の人よりも多いと言っても、その力には限度がある。
未来の顔に心配の2文字が浮かんで、黒が問題ない――と、言ってもその顔は治らない。
「……じゃ、私が教師の仕事、手伝うね?」
「……いいのか? なら職員室での仕事とか任せて大丈夫か? プリント、資料の制作。その他の事務的な……多分、全部だよな?」
「うん、任せて――それに関しては、黒ちゃんよりも得意だから」
「確かにな……それじゃ、少し眠る――」
目を瞑って、椅子の上であぐらをかいて眠る。
眼の前の教師や他の教師には、未来から事情を話して教員としてではない仕事と言う事で周囲は納得する。
眠る黒の影からぬいぐるみサイズのモコモコなバハムートが顔を出して、デスクへと頑張って翼を動かして飛び乗る。
黒色のドラゴンのぬいぐるみが動けば、誰だって驚きはする。驚かないのは未来や日神程度で、他の教員は物珍しそうに眺める。
「バハムート……黒ちゃんの様子は?」
『むん、安定はしている。それに、封印しているアイツの力も安定している。これなら、少し強めても問題はない――が、やはり、違和感が拭いきれぬ。何か……嫌な予感もする』
「……大丈夫?」
『問題はないぞ。黒も妾もそこまでやわな鍛え方はしておらぬ――』
胸を張るバハムートを笑顔で見詰める未来――
そして、何か思い付いたのかイタズラを思い付いた様な顔で、指で軽く小突いて、小さな両足で不安定なバハムートを転ばせる。
ぬいぐるみ姿で、ピーピー喚きながらキレる様子を見て謝りながらも未来は微笑む。
――幸せだ。
すぐ隣には愛した人が居て、一緒に隣で時間を共有している。
それが、とてつもなく愛おしく幸せであった。
それが、いつ消えてもおかしくはない。だからこそ、この時間を噛みしめる。
黒がどう思っているかは定かではないが、未来はこんな状況下でも黒と隣で居られる事に胸がいっぱいであった。




