北の聖王《Ⅰ》
北欧領域国家《オリンポス》――
四大陸の中で最も兵力などの武力で警戒すべき国家が、イシュルワであるのであれば――
オリンポスは、聖王と呼ばれる彼女に最も警戒すべき国である。
彼女がその気になれば、四大陸など既に滅んでいる。
――そう、誰かが言った。
北欧の地は、1面が銀世界――。白銀の雪に覆われ、その大地は白く色付いている。
そんな雪化粧によって、農作物が満足に育たない凍土な土地に聖王が豊かな実りをもたらした。
雪の大地でも負けない農作物の開発ではなく。凍土の無い土地を創り出した。
いつしか、その地に国が建国された。
北欧の地に生まれた巨大な国家、それが《オリンポス》――
北欧の中でもトップレベルの規模を誇るオリンポスには、北の地に住む多くの人種が集う。
何より、北欧領域の外で生きる事を選んだ少数の部族や都市の者達にも少ないながらも恩恵を与えた。
オリンポスと比べれば、満足な恩恵とは言えない。
だが、オリンポス外部に住む者達には、贅沢過ぎる恩恵であった。
「……では、報告を――」
玉座の間――。オリンポスの王が座するその場所は、白を貴重とした美しい玉座である。
王のとしての威厳の為、本人は嫌がりつつも配下の者達の熱心な願いに折れて、金装飾の施された豪華な席に座っている。
「――北欧の地は、私のすべてです」
長髪の金髪に聖職者と思わせる真っ白なローブ――
柔らかな薄い青色の瞳は、まるで宝石のようである。
首から下げている銀飾りの十字架、金の王杖、小柄で見るからに華奢な彼女だが、王としての振る舞いやオーラは一級品である。
何より、その場に集う多くの神官達の眼前で膝を折る4人の選りすぐりの騎士――
彼らを前にすれば、彼女の王としての立場が更に強調される。
聖王陛下をお守りする4人の精鋭騎士にして、オリンポスの守護者。
又の名を、聖王使徒――
このオリンポスで、王である聖王陛下に続いての権力を有する者達。
多くの国民は、彼らを敬い。そして、その力を信頼している。
「聖王使徒、序列2位――ブラフマン。御身の前に……」
「同じく、序列3位――ミッシェル・レオハート。御身の前に」
「ハァ……聖王使徒、序列4位……アルク・アヴェル。あー、御身の前にー」
ロングローブ、白の手袋、肌の露出を徹底的に抑えた服装の男がダラけた男――《アルク・アヴェル》を睨む。
古傷を隠す為の仮面を身に着けているその顔は、凄まじい眼光であった。
思わず、普段からチャラ付いているアルクも少し背筋を正す。
そんな2人を横目に、ミッシェルは少し微笑む。
「……ブラフマン。アルクの態度に当然、問題はあります。ですが、今はそれよりも優先すべき事があります。それに、ここ最近は私の下で長期間の任務に着いて貰っていました。昨夜戻ったばかりのアルクに、総会の出席を強いた私にも責任があります」
「いえ、聖王陛下が気に留める事ではありません。例え、疲労が重なっていても――表に出さない。それが、我らなのです。ですが、私にも至らない点がありました……」
深々と頭を下げるブラフマンを見て、聖王が手を上げてこの話題はこの場で収束した事を告げる。
そして、本題へと移る。
「ここ数日の間に、北欧の騎士養成所で騎士候補生の失踪が頻発していると報告が上がりました……この件で、集まって頂きました」
「陛下自ら北欧の領地の安寧の為に動くなど、我々の働きが足りぬのだと……痛感しております」
「……ブラフマン。アナタは、よく働いています。今回の件に関して、落ち度はありません。各々の活躍も私は、知っています。……今回の一件は、外部との接触が危ぶまれます」
ブラフマンと聖王が今回の件を重く受け止め、対応策を講じている間――ミッシェルは、頭を下げたままブラフマンを横目に見ていた。
それに、ブラフマンは気付いている。
だから、表の顔では聖王と北欧の為に尽力する。端から見れば聖王の為に尽くす優秀な使徒だと思える。
――私を、見るな。
ミッシェルの脳内に響くブラフマンの声に、背筋がゾワッ――と、反応する。
嫌にヌメッとした声がした。普段の声がヌメッと気色悪い訳では無い。
ただ、ミッシェルのフィルターによって声質がヌメッとしている。
そのお陰で、ミッシェルはブラフマンの念話に背筋が寒くなる。
(気分が、悪くなるのよね……仕事相手として見れば、優秀なのだけど――)
聖王との話し合いが終わる。
殆ど、ブラフマンとその他の使徒だけで執り行われる。
ミッシェル、アルク、序列1位の3人は除け者となっている。当の本人達もそれに甘えている。
余計な発言で、聖王よりもブラフマンを敵に回す方が恐ろしいからだ。
真紅の絨毯の上を歩いて、絵画や花瓶などの高価な品物が並んだ大きな通路をミッシェルは進む。
豪華なシャンデリアからの光に照らされて、対面から来た人物の顔が暗く見えた。
「――余計なマネはするな。良いな?」
仮面の下で、イラ立ちを抑え込んだブラフマンの顔を見下ろしながら、ミッシェルはいつものふざけた口調で笑みを浮かべて応じる。
「……えぇ、分かってるわ。聖王陛下の後釜は、アナタでしょ? ――ブラフマン」
目的を再度一致させ、ブラフマンとミッシェルは自分の向かう先へと通路を真っ直ぐ進み始める。
互いに行き先もその方法も違えど、最終目的はほぼ一致している。
それゆえの協力関係であり、利害が一致した仲間とは呼べなくとも通ずる者同士――
北欧領域の完全支配権――
それが、ブラフマンの野望である。
四大陸を手中に収める為に、まず先に地盤を固める。その第一歩が、このオリンポスである。
既に、四大陸の脅威が半減した今だからこそ――最大の国土と影響力を有する北欧を裏から支配下に収める。
ミッシェルも北欧領域の完全支配とはまた違う。だが、支配者を求めているのは確かである。
だが、ブラフマンやミッシェルが思うよりも聖王はかなり手強い相手である。
(……そう簡単に、行けばいいのだけど)
手強い相手を間近で見ているからこそ、彼女の恐ろしさを知っている。
一人、これからの展開に危機感を抱きつつも黙って通路を進む。
そんなミッシェルが1枚の大きな絵画の前で、ピタッ――と、止まる。
椅子に座って、綺麗に化粧や装飾品で飾る。
それでも、純白なローブよりも綺麗で月明かりに照らされる白い花のように彼女は美しく咲いていた。
指先まで丁寧にネイルなどの細かさ所まで、繊細に描かれた1枚よ絵画。
が、彼女の前に一度でも立った事のある者達からすれば、絵画などで彼女の美しさを再現する事などは出来はしない。
目を閉じれば、生前の彼女の美しい所作や声音――
多くの者達を従えて、微笑みかけた北欧の女神――
北欧の地に咲く、美しき1輪の花――
もう、2度と見ることは叶わない。そんな幻の月光花――
「おや、ミッシェルさん……奇遇ですねこんな所で会うとは――」
「ッ!? ――あら、聖王陛下じゃありませんか……こんな夜遅くに、どちらへ? 良ければ、ご一緒しましょうか?」
「フフッ……えぇ、お願いします。ここの通路は長くて、1人だと退屈なので」
「フフフ、確かに……この通路は長いです。でも、この北欧の歴史が詰まっております。これまでの歩みが、先人達の軌跡がここにはあります――」
再び、1枚の絵画の前で、ミッシェルの歩みが止まる。
幼い子供を抱いた優しげな母となった顔と太陽のような満面の笑みを浮かべた幼い子供――
そんな子供を優しく抱き抱えている。その絵は、まさしくこの国を代表する『母』の絵画である。
立ち止まるミッシェルを不思議そうに見て、立ち止まる理由に聖王は微笑む。
「――母は、アナタを許していますよ」
「……例え、許されても、私が許せません。この手は――汚れている」
「そんな事は、いえ――私が口を挟む事ではありませんね。急ぎましょう。ここは、冷えます」
「はい……陛下の貴重なお時間を無駄にして、申し訳ありません」
「いえ、気にならさらないで下さい……どちらにせよ、待つ羽目にはなっていました――」
北欧のシンボルである聖王の王城の大扉が開かれる。
ギギギッ――と、偉大な音を上げて扉が開かれる。
そこには見知った顔があった。
黒髪短髪、普段のダラけて適当な態度や言葉遣い。――だが、一度でも刃を交えると、その印象は大きく変わる。
敵を躊躇なく仕留める冷酷な眼光、この世界の闇を纏ったような黒一色の魔力――
圧倒的な戦闘力、莫大な魔力と魔物の力で他を圧倒する。
「……やられたわね。ブラフマン――」
ミッシェルの呟きを聖王は聞かなかった事にする。
所詮、ブラフマンの策略など無に等しい。
相手が一国の王であれば、話は違っていた。
裏の裏まで対策が打てる王でも無ければ、きっとブラフマンの策に翻弄され失脚していた。
――が、世界最高レベルの皇帝には、通じない。
暗殺、策略、毒、それらすべてを利用してもきっと黒は倒せない。
それを知った上で、聖王は黒を招き入れた。
黒は、聖王との面会を――
聖王は、黒に面倒事を――
黒が自分を訪ねると理解した上で、これまで泳がせていた。
時折、こうして隣の聖王に恐れを抱かされる。
ミッシェルが、ブラフマンと繫がっている事を知った上でこうして隣に立たせている。
「……顔色、優れませんか?」
「いえ、興奮しているのですよ」
聖王が、本気を出せば――四大陸は滅ぼせる。
魔力、魔物、戦闘力、だけではなく。
知略に関しても妥当だ。
これまで、長い年月を掛けて行った準備が崩れる。
北欧で戦争を起こしても聖王の喉には――届かない。
黒竜帝が、この場にいる限り――




