例え、それでも――《Ⅱ》
腰を落として、拳に魔力を込める。
その姿を鼻で笑うウォーロックが、一撃だけサービスしてくる。
無防備な相手に、一撃だけ浴びせる事が可能な権利が与えられる。
「さぁ、来い……。まぁ、殴れても児戯に等しいがな」
ローグを舐めている。舐め腐って、余裕さをアピールする。
確かに、今のローグに真っ向から挑んで勝てる確率はかなり低い。
勝てる保証は何一つ無い。だが、余裕さをアピールしているその笑みを崩す事は出来る。
「……ふぅ、ふぅ……ふぅぅ……」
自分が立っている所が、水面だと頭に誤認させる。
波紋1つ起きないレベルにまで、心を落ち着かせる。研ぎ澄ました集中力に、全神経を研ぎ澄ませる。
外す事は、死に直結する。
――だが、油断しきったウォーロックであれば確実に当てる事が出来る。
この場で、他人の優劣に酔っているあの男が拳1発――魔力攻撃の一撃程度に臆するとは考えられない。
ウォーロック自身がそんな考えをする筈も無ければ、最後まで警戒する様な男でもない。
もちろん、警戒はする。
だが、途端に自分が優勢となれば――調子に乗る。
目の前の男が、どんな人物なのかも頭から抜け落ちている。
ここまで幾度と自分の計画を台無しにされている。その覚悟が、ウォーロックの首に幾度と刃を向けた。
それを忘れている。
油断しきった時点で、ウォーロックはローグ達の恐ろしさに負けている。
皇帝とは、常に挑戦し続ける。新たな領域に向かって、その力を研鑽し続けながら――
「……行くぞ。相棒――」
全身の魔力を拳に乗せる。
全ての力をこの一撃に込める。
魔物の力を自分の力を込める。
胸の奥から燃える様な熱量が全身を鼓舞する。この一撃で、何かが変わるかもしれない。
変わらないかもしれないが、誰かの背中は押す事が出来る。
「ガゼル!! トゥーリ!! ビフトロを守れ――ッ!!」
遠く離れたビフトロの砦に、ローグの声が届く。
ガゼルが魔物の能力で、大地から突き出す鋼鉄製の巨大な建物がビフトロを守る砦を更に守る。
2重3重と、その厚みは増え続ける。ガゼルの魔力を注ぎ込んで、ビフトロを囲む巨大な砦が生まれる。
「……所詮は、無駄な足掻きだ」
「無駄かどうかを決めるのは、お前じゃねーんだよ――ッ!!」
長い時間を掛けて、ウォーロックに直前まで悟られないようにゆっくりと魔力を込める。
練りに練った魔力は、ルシウスが決めた漆黒の一撃と同程度と言える。
だが、肉体も魔力も限界なローグにとって、この一撃が最後であっても不思議はない。
自分の存在を賭けて、この一撃に託す。
「さぁ、準備は……いいか?」
「遅すぎて、読書する時間ができてしまったが……?」
ローグが笑みを浮かべ、ウォーロックが腕を広げる。
殴ってみたまえ――。その言葉に、ローグの今が炸裂する。
直前で弾ける莫大な魔力を前に、その姿で初めて見せた焦りの顔にローグが確信する。
この一撃は、ウォーロックに危機感を覚えさせた――と、踏み込む足に力が込められた。
逃げようとするウォーロックの腕を片腕で掴んで離さない。
振り絞って、逃げようとするウォーロックへと漆黒の稲妻を帯びた一撃が鋼鉄の強度を誇る分厚い装甲を叩く。
肉の鎧へとめり込むローグの拳が、骨を砕いて、ウォーロックへと溶けた永久炉の核に衝撃を与える。
全身を焼く漆黒の稲妻が、ウォーロックに激痛を与える。
内側、外側――その2つから、防ぎようの無い痛みと業火に焼かれる様な感覚が打撃に乗せられる。
「――ぉおおおおおおおおッッッッ!!」
「――ェゥッ、グゥッガガカガガガガガガガガガッッッ!!」
外側では、皮膚のすべてを焼き尽くすほどの稲妻に丸焼きにされる。
内部からは、全身に爆発的なエネルギーが滞留し続けて内側から出ようと内部を焼き焦がす。
外を焼かれ、内部は高濃度な魔力によって破裂寸前――
片腕だけで、この威力であった。
ならば、両腕でそれを叩き込まれたら――
トリスメギスの力を更に結集させ、大気中の魔力残滓がローグの空いた片腕に集中する。
倒れたルシウスから託された魔力が、トリスメギスとローグの魔力を更に増幅させる。
その一撃が、1発目の影響で身動きの取れないウォーロックへと迫る。
腹部に2発、最も防御の薄い箇所へと叩き込まれる拳からの魔力が更に激痛と魔力による内部攻撃を増幅させる。
「――!?」
もはや、声すら出ないほどの攻撃に、ウォーロックもされるがままであった。
凄まじい漆黒の魔力の衝撃が、地面に流れて遠く離れたビフトロにまで影響が及ぶ。
ガゼルの展開した鋼鉄の砦が亀裂を生む。隆起する地面が、砦を倒そうとすらする。
「――ガゼル!!」
トゥーリの心配が的中し、第二波として先程よりも強い衝撃と魔力の余波で砦の一部が吹き飛ぶ。
ガゼルの創り出した創造物の殆どには、ガゼルとその魔物の魔力が込められている。
その為、特別な攻撃や爆発的な魔力で無ければ大抵の攻撃は防げる。
「ローグ、こんな力何処で――」
「もしかして、ローグ本来の力……とか?」
砦に隠れて、爆風を耐え凌ぎながらローグの戦闘を見守る。
爆風に乗って、ローグの魔力が肌を刺激する。
トゥーリの心は、ローグの身を案じて締め付けられていた。
遠く離れたここからでも、嫌なほどに変貌したウォーロックの異質な魔力は感じ取っている。
そんな存在とたった1人で対峙して、無事な保証はない。この一撃も無理を承知で放ったに違いない。
「……ッ、ローグッ……!!」
「おい! クソッ……トゥーリ!!」
思わず走り出したトゥーリが、戦いの衝撃で変化した地形前に止まらず走り出した。
転びそうな地形でも、トゥーリはそのまま駆け出す。
僅かな希望を胸に抱いて、砂塵の中を突き進む。魔力感知には何も反応しない。
激戦の場所には、生命反応の一つも確認されない。
「どこ、どこなの……どこにいるの、ローグ……」
胸に手を当てて、服を強く握り締める。不安が、濁流のようにトゥーリに押し寄せる。
そして、時に焦りは――人を狂わせる。
魔力感知に神経を回して、トゥーリを中心に痕跡の手掛かりを探す。
――1つ、弱々しい反応がトゥーリの心臓を跳ねさせた。
急いで駆け出して、微弱な魔力反応の元へと向かう。
そこに待っていたのは、ローグではない。
半身を欠損させながらも、不敵な笑みを浮かべるウォーロックであった。
ゆっくりとだが、確実に傷が癒えている。
「ウォー……ロック……ザム、ザインッ!!」
トゥーリが、武器を手にしてウォーロックへと襲い掛かる。
冷静さを欠いて、衝動的に襲い掛かった。
そして、今のウォーロックには――魔力が必要であった。
目の前には、人であった頃から特別な感情を抱いていた――女がいた。
「……やはり、神は私に味方したようだ」
ウォーロックのボロボロな片腕が細く伸びて、数本の触手となってトゥーリの体から自由を奪う。
もはや虫の息のウォーロックでも、時間があればまた元に戻る。
そして、魔力を喰らえばその掛かる時間は格段に減る。
「……邪魔な存在は、もう……消えた……。後は、楽しむだけだ……」
「よくも……よくも、ローグを」
「無駄な抵抗は、やめたまえ……今の私は、魔力を奪うのに力加減が苦手でね……誤って殺してしまう」
トゥーリから、魔力が奪われる。
触手が肌から魔力を奪い取る。全身に強烈な痺れが生まれ、動くにも動けない。
抵抗しようにも体の自由が奪われている。さらに、魔力を奪われ続ける為に抵抗する力も減少する。
そんな触手を上から降りてきたガゼルが手頃な刃物で切り落とす。
「トゥーリ、先行しすぎだ……相手を見ろ」
「ごめん、ガゼル……」
――邪魔な虫けらが、叩き潰してやる。
ウォーロックの楽しみを邪魔された子どものような恨めしい眼光をガゼルは、鼻で笑う。
「お前みたいな……変人には、トゥーリのような美人は勿体ない。それに、トゥーリは――ガードが物凄く硬いからな」
「……なら、オマエに、マモレルノカッアアアアッ!!」
巨大な口をガゼルの足元から地面諸とも噛み砕く一撃で、ガゼルを仕留めに掛かる。
しかし、ローグと同じく。ガゼルもトゥーリも皇帝である。
実力に差があっても、れっきとしたイシュルワの騎士である。
真下からの攻撃を避けて、動きの取れないウォーロックへと攻撃が叩き込まれる。
首に蹴り、腹部に打拳、顔面にも蹴り――
蹴りと殴打の猛攻に、ウォーロックの肉体が完全に構築されていない事も相まって、そのダメージは計り知れない。
「肉体が、再構築されてないと……脆いサンドバッグみたいだぞ?」
「……ガキが、調子にのッ――」
ガゼルとウォーロックの間へとトゥーリが割って入って、僅かな隙をついてウォーロックの下顎を蹴り飛ばす。
顔が上へと向いて、ガラ空きの腹部へとトゥーリ渾身の魔力を纏った掌底が叩き込まれる。
完全に体が再構築されていない事で、本来の柔らかさが浮き彫りになる。
そこを突かれ、内臓や骨などに直接攻撃が叩き込まれる。
鮮血を吐き出して苦しむウォーロックへと、トゥーリとガゼルが同時に仕掛ける。
だが、そこで時間となる。
――ガギンッ!!
鋼鉄を殴った様な手応えに、2人は顔を瞬時に青ざめる。
そんな2人とは対照的に、頬まで裂けた口だけの何とも不気味な笑みを浮かべるウォーロック――
2人の打拳を物ともせず、2人を体を殴って容易く吹き飛ばす。
地面を転がって立て直すガゼルの顔を蹴って、その顔を地面に叩きつける。
助けに来たトゥーリを触手で縛り上げて、再び魔力を奪う。その間、無抵抗なガゼルの顔を何度も踏み付けていたぶる。
「ほら、どうした! 抵抗して、みせろッ!! あぁ、可哀想に、できないのか~。したくても、無力過ぎて2人して動けないッ!! あぁ、かわいそうだ。んー、見てて心が痛ましいよ」
顔面が血でぐちゃぐちゃなガゼルが、トゥーリの方へと歩くウォーロックに向かって石を投げる。
フラフラと、立ち上がって薄れる意識の中で――ゆっくりと構える。
「……仲間想いだな」
トゥーリの前で、ガゼルの顔を力任せに蹴り飛ばす。
生々しい骨が砕ける音が辺りに響き渡り、トゥーリの頬に涙が伝う。
長い間、共に戦った仲間であって友人――。共に笑って、泣いたあの日の思い出が脳内でフラッシュバックする。
――もう、消えてしまう。
薄れ行くガゼルの魔力と生体反応――。残り火がゆらゆらと煌めくように、ガゼルの命が消え始める。
そんな想いが――涙と共に込み上げる。
叫んで、ウォーロックの意識を自分へと向けようとする。
だが、幾ら叫んでもウォーロックはガゼルに振り下ろす拳を止めない。
喉が潰れても叫んだ。ウォーロックの両手が血で真っ赤に染まってガゼルの生命反応がさらに薄れる。
「止めて……止めて……」
「何を、かね? 今更、怖じ気付いたのかね?」
ポロポロ――と、頬を伝わる涙が地面を湿らせる。
もう、ガゼルの命は風前の灯であった。
それでも、ガゼルはトゥーリに危害が及ぶのを阻止する。自分が死ぬかもしれなくとも、友人の想い人を護る為に――
「素晴らしい。友情だ……ヘドが出る」




