強い想い《Ⅲ》
紫苑が砦へと到着して、結界に拒絶される少し前――
紫苑の向かった結界とは別側では、多くの化け物がビフトロの兵隊と交戦した後で、広場は負傷者で溢れていた。
その為、一時的に砦を完全に閉鎖して結界の強度を高める措置がなされた。
対皇帝用に使用されるレベルの強力な結界に切り替わった事で――紫苑でも、そう簡単には突破出来なくなる。
――本気を出せば、突破は可能であった。
だが、赤子を抱いた上で、片手のみで突破するのは先ず不可能。
紫苑なら無事であるかもしれないが、抱いている赤子に影響が無いかと言われれば定かではない。
様々な不幸が積もりに積もって、紫苑に押し寄せた。
結界を叩いて、大声で叫んでも聞こえない――
地面へと涙が落ちて、彼女の悲痛な叫びは届かない。
誰か、助けて――
彼女の願いは、誰の耳にも届かない。
かに見えた――
「今の、紫苑ちゃんの……声?」
「嘘、未来ちゃんも聞こえたの!?」
「うん、なんて言ったかは聞き取れなかった……でも、泣いていた」
強力な結界に阻まれても、分厚い鋼の砦の向こう側であっても、その魔法の言葉は――届いた。
未来、心の2人がビフトロで治療にあたっている。
その地から見上げる灰色の空を眺めて、荒れ始める空模様に2人の胸は酷く締め付けられた。
紫苑が結界を叩くのと同時刻――
――1人の男が、自分を許せずにいた。
悔しいな……。
凄く、悔しい……。
頼れって、大口叩いたのに……本当に、頼りたかった時に力になってやれなかった……。
男が、硬い地面を指先で抉る。
握りこぶしを作って、泥だらけの全身に加えて顔は流血の影響で真っ赤に染まっている。
「痛くない……痛い、訳が無い……」
鼻が折れても、歯が砕けても鼻や口から血を流しても痛みはない。
外傷は、魔力で治療すれば何とでもなる。――だが、心の傷は癒える事は、ない。
「……痛いのは、キミじゃないか――」
地面を叩いて、自分の惨めさに可笑しくなって笑ってしまう。
戦いを好まず。平和を愛して、同胞達の幸せを願った。
にも関わらず、その幸せを奪った。
下して無くとも、手を取らなかった。手を差し伸べなかった時点で、ルシウスにとっては同じ事である。
その手が、汚れていなくとももはや関係ない。
仲間の手を取って、助ける事をしなかった人間に――その資格は無い。
《騎士》は、誰かを守る為の存在である。
《異形》を倒すだけであれば、皇帝やその他の力を有する者達に任せれば良い――
それが、ルシウスの貫く《正義》である。
力を持っていようが無かろうが、誰かを守る為にその力を振るう。
そう、誓った。
《奪う》為ではなく《守る》為――
《倒す》為ではなく《託す》為――
その力は、その為にのみある。それが、この様である――
誓っておきながら、助けを求めたその手を掴もうとしない。
まして言えば、そのサインにすら気付いていなかった。
黒に立ち上がる手を差し伸べた。それより先に宗治を助けれた筈であった。
その後に、2人で黒に――手を差し伸べていれば結末は幾分か変わっていた。
そんな事にすら、気付かなかった――。それが、どうしようもなく許せなかった。
誓った覚悟が揺らぐ。
――だからかもしれない。
宗治の最後の魔力が大気中の微小な魔力に溶けて、混ざり合って、その託した想いがルシウスの魔力へと溶け合う。
そして、すべてを理解する。
――なぜ、助けたかったのか。
――なぜ、逃げなかったのか。
――自分1人ではどうしょうもなくて、挫けそうな心で縋るような思いでルシウスを頼ったのか。
――今更、理解した。
そして、耳に届く。
地面へと落ちる紫苑の涙の弾ける音が、紫苑と宗治の想いが――ルシウスに最後の願いを届けた。
遅すぎるほどに、今になってルシウスの心臓が奥底で跳ねた。体の奥から燃えるように心臓が爆ぜるように熱くなる。
飛び跳ねる様に、何度も心臓が脈打つのを感じる。
煮え滾る熱湯のように、凄まじい蒸気が心臓から全身を満たす。
細胞が震え上がり、叫ぶように立ち上がる。一つ一つの細胞がそうして目覚める。
沸き立つ熱量に乗せて、全身に駆け巡る魔力が――
――ルシウスの想いに、応えた。
何から何まで遅い。そんな自分が悔しくて許せない。
だから、コレは贖罪なのかもしれない。
そう、勝手に思ってしまった。
きっと、黒や他の者達に聞かれでもすれば、自己満足だ――と、文句の一つでも言われてしまうだろう。
――が、今はそれで良い。
ただの自己満足であれば、尚の事良い。
――で、あれば、命を賭しても構わない筈である。
ただの自己満足なのだから――……。
 




