7.絶命都市
雷と炎。
そして斬撃の嵐が響いていた地下空間も、巨大な爆発音を最後に静寂で包まれた。
辺り一帯は黒煙で満たされるも、あちこちに繋がる排水口から煙が流れ出たのだろう。
塞がれていた視界も徐々に晴れ、うっすら瞳を開けたロットが最初に見たのは地底の床。
そして顔を横にずらせば、ロットに覆い被さるジンの姿を捉えることができた。
咄嗟に爆炎から庇ってくれたらしいが、そもそも炎の耐性は術者として多少は自信もある。
だからこそ魔法をモロに受けたジンの身を案じた矢先。
落ち窪んだ眼窩に光が灯れば、ふいにジンと目が合ってしまった。
互いに視線を交え、胸の前で手を組むロットの姿も相まって、傍目には恋人が逢瀬を重ねているようにすら見えたかもしれない。
長いまつげを何度も瞬かせ、全身を硬直させていたのも束の間。
おもむろにジンが体を起こすや、周囲を軽く見回し始めた。
敵の気配を探っているのか。
程なく歩き出した彼に習って、ロットもゆっくりと起き上がった。
「雲は晴れたみてえだが、俺らごと焼き払う必要があったのか?」
立ったタイミングで声に振り向くと、足で拾われた杖が無造作に蹴り飛ばされてくる。
慌てて受け取ったものの、粗末な渡し方に反して、まるで羽根を抱き留めるような勢いしか伝わってこない。
ジンの器用さに改めて感心するも、当人は我関せず地面をガツガツ蹴っていた。
かつて宮廷の様相を呈していた地下空間も、今や辺り一面がまっ黒焦げ。
ジンが地面を蹴っているのも、その度に煤が宙を舞うからだろう。
ロットの足裏にもザラザラと荒い触感が伝わり、転がっていた死体の山も消し炭となっていた。
下手をすれば敵もろとも消滅していた惨状に、ジンの言わんとしていることも分かる。
だがそれゆえに浮かんだ疑問を、ロットもまた口にせざるを得なかった。
「高速移動ができるうえ、相手が雲の中のドコにいるかも分からなかったんですよ?千載一遇のチャンスを活かすなら、もうあの手しか浮かばなくて……それよりもジンさんはなぜ燃え尽きずに平然としていられるんですか?」
「鍛え方が違うんだよ」
「ミイラなんて燃焼材の塊じゃないですか。それにそんな細身の体では鍛えるも何もあったものではないですし…もしかして洞窟に炎を放っても生き残れたのと何か関係が?」
「ハエの怪物が肉盾になったってだけだ――それよか“アレ”、まだ動いてんぞ」
いくら追及しても、のらりくらり躱されるのはいつものこと。
しかしジンが顔を振った先に視線を移せば、確かに黒い影が蠢いていた。
よくよく転がっているモノを観察すれば、倒れていたのは先ほど戦っていた敵の残骸。
全身はジン同様に黒焦げ、プスプスと嫌な音を立てていた。
“肉”をまとっていた分、生焼けの赤身もちらほらと目立ち、上半身を覆っていた黒髪も消失。
瞼を失った眼孔が力なく宙を漂う間も、微かに行なわれる呼吸は痙攣と区別がつかない。
それでも相手が元英雄であり、亡者にほかならないから。
警戒を怠らずに距離を取り、念入りにトドメを差すべく杖を向けた時だった。
ふいに敵の黒焦げた腕が持ち上がれば、後ろに数歩。
さらにジンに首根っこを掴まれ、一層相手との距離が離れた。
「さすがは英雄様ってとこか。あそこまで成れ果てても死ねないとはな」
着地と同時に毒吐くジンをよそに、敵の腕は宙に向かって伸ばされていく。
恐らく最期の力を振り絞っているのだろう。
指は痙攣するように震え、焼け焦げているせいで、今にも崩れてしまいそうだった。
それでも男が首だけでも起こすや、おもむろに彼の口が開かれた。
「…め……ぁ…ッ……ぃ――」
喉を震わせるか細い声が、微かに男の口から零される。
しかし直後に腕が力なく床に落ちれば、それ以上彼が動くことは終ぞ無かった。
遅れてロットが呪文を唱えると、瞬く間に敵“だったモノ”を焚き火に変えてしまった。
「あのヤロウ、最期にメラミって言ったか?あの状態で一体どんな呪文使おうとしたんだよ」
一帯を仄かに照らす明かりを眺めていると、呆れたようにジンがぽつりと告げた。
壮絶な戦闘の果ての静かな幕引きに、唖然としている暇もないのだろう。
「…“女神”、と言ったように聞こえましたが、いずれにしても彼のことで心配する必要はもう無いでしょう」
「はんっ。元英雄様も、今じゃ燃えさし同然か。ゾッとしねぇな」
「敗者に死に方なんて選べませんからね。でも言葉が話せたのなら……もう少し早くボクたちと出会えていれば、あるいは…」
焚き火に杖を突っ込み、念入りに男が動かないことを確認する。
その間もしみじみと会話していたものの、言葉を切ったロットが突然顔を上げた。
辺りに神経を集中させたが、静寂の中では焚き火の音ばかりが耳に届く。
仕方なく杖で表面を薙げば、フッと火の気も途絶えて暗闇と静けさが再び一帯を包んだ。
おかげさまで――ピシッ、と。
硬い布を裂くような、不快な音を再度聞くことができ、ロットの足を伝って体の芯も揺さぶられ始める。
咄嗟に背後へ後ずさったが、一向に振動が途絶える様子はない。
やがて床には亀裂まで走りだし、脳裏によぎった嫌な予感が徐々に現実味を帯びてくる。
それでも冷静でいられたのは、ひとえに隣で佇むジンの存在があったからだろう。
「…今回強敵を倒したのはボクでしたから、順当にいくなら次はジンさんが活躍する番ですよ」
「落ち着き払ってると思えば他力本願かよ。ふざけやがって」
「機動力“には”全幅の信頼を寄せているんです。お願いしますね、ジンさん?」
にっこり笑みを浮かべれば、やはりジンは怪訝そうに表情を歪めた。
しかし直後に亀裂が音を立てて広がれば、視界をも揺るがす振動と共に地割れを引き起こした。
天井にまで届いたヒビは次々石塊を落とし始め、その影が徐々に濃く。
一瞬で2人を覆うほど大きくなってくると、すかさずジンがロットを抱えて飛びずさった。
それまで立っていた場所に落ちた巨塊は豪快に崩れ、同時に床はますます砕けていく。
天井から降り注ぐ岩の雨に、地割れで波打つ床の洪水。
地下空間は刻々と、終わりの世界へと導かれていた。
「…生前でもこんな景色、見たことありませんよ」
一帯が地獄と化すなか、脇に抱えられている状態でついロットは呟いていた。
それでも不思議と焦りを覚えることもなければ、生き埋めになる未来もよぎらない。
恐らくジンが皮肉の1つも零さず、取り乱す様子も見せないからだろう。
脱出の手立てを考える彼に口を挟まず、この世の終焉をゆっくり眺めていたのも束の間。
ふいに迫った歪な音に視線を落とすと、足元に届いたヒビが大きく裂けていく。
その軌道上にあるもの全てを飲み込もうとすれば、軽々とジンは地割れを躱した。
しかし堰を切ったように床も。
天井も。
すべてが一斉に崩れては沈んでいき、着地した先も例にもれず崩壊してしまう。
抱えられたロットでさえ浮遊感を一瞬覚えたが、颯爽と跳んだジンがかつて足場だったモノに飛び乗れば、それから次々と落ちてくる瓦礫の上に飛び移っていった。
人間業とは思えない動きは、恐らく彼がミイラゆえに身軽である事とは無関係で。
生前からこなしてきたからこそ、今も淀みなくこなせているのだろう。
“子供の姿”をしたロットには決して真似できない芸当に、つい重い溜息を零してしまった。
「やっぱり大人はズルいですね。不公平ですよ」
「あ゛んッ!?なんか言ったか!!」
「瓦礫の音で鼓膜が破れそうなので、早くココから抜け出してくださいって言ったんですよ!!」
「ウソつけやっっ!もっと短かったろうが!!」
「つべこべ言ってないで脱出に専念してください!!ほら、前っ。前っっ!!」
睨んできたジンの怒号を跳ね返し、眼前に迫る瓦礫をすかさず指摘する。
すると彼は冷静に側面を蹴って、別の巨塊に容易く飛び移った。
空から次々降ってくる“足場”を――。
時にハエの魔物を。
そして亡者の死体と、それらを器用にも乗り換えていく。
やがて上階にひょっこり姿を現すことはできたものの、崩壊は留まることを知らない。
一見して床だけが最初は抜けているように思えたが、亀裂は建物の壁にまで走っている。
それらも程なく瓦礫となって落ちていき、地響きは階下にいた時よりも、さらに激しさを増していた。
その様相は、まるで建物が悲鳴を上げているようにさえ感じたが、思い返せば宮殿都市は荒野のうえに佇んでいる建造物。
砂漠同然の環境に重量物が沈んでいけば、その先に待ち受けているものが何なのかは、英雄でなくとも察しはつく。
「…っっジンさん!!」
「言われなくとも分かってらぁっ!!」
周囲を眺めていたジンも、ハッとなれば壁に開いた穴めがけて走り出した。
落下物で塞がれる寸前で跳び抜ければ、背後では重々しい音が荒々しく響いた。
その間も都市は激しく震え、亀裂を走らせながらどんどん崩れていくが、暢気に眺めている余裕などない。
剥がれ落ちた壁を足場に上層へ向かい、一帯を轟音が包んでいたのも束の間。
ふと視界の端が光るや否や、慌ててロットが杖を振って飛んできた矢を焼き払った。
直後に反応したジンが拳大の石を蹴りつければ、弓を構えていた亡者の頭部へ直撃。
“ボール”が砕けると共に敵は落下していくが、戦闘はそれだけに留まらない。
ジンの移動経路には、いまだに戦いをやめないハエの魔物と元英雄たちが姿を見せ、壮絶な戦景色を繰り広げていた。
「はぁー…もしボクらが自我を失っていたら、あんな風に殺し合いを続けていたんでしょうか。こんな状況なのに一体なにを考えて…あっ、いまの人たち、割れ目に引きずり込まれていきましたね」
「失うもんが無ぇなら、それはそれで楽なんじゃねえのか。もっとも、最初っからそんな大層なもんを持ち合わせた覚えもねえがな」
「……だからこそボクたちは、意思を持った亡者として彷徨っていられるのかもしれませんね…ははっ」
脇に抱えられたまま自嘲するロットに対し、ジンが返答することはなかった。
希望を持たなければ、絶望することも無いように。
英雄になれないことを受け入れたからこそ、いまだに2人は背中を預け合えているのかもしれない。
思わぬ場所で想いに耽ったものの、すぐに意識は崩れゆく都市と、襲い掛かってくる敵たちへ引き戻された。
普段なら絶体絶命の戦況と言えたろうが、逃げに徹していればさほど苦にはならない。
接近すればジンの体裁きで躱し、懐に入られる前であればロットが炎で蹴散らしていく。
その間も石の橋はバラバラに崩れ、流れゆく砂上が運ぶ瓦礫は、飛び石の要領で足場にされていた。
しかし突如ロットが浮遊感に襲われると、視界は絶壁によって完全にふさがれる。
その感覚も最後は下から突き上げるような衝撃と。
振動に呼応した砂埃が激しく舞えば、ロットがむせている間に再びジンが走り出したことで、風が勢いよく顔に吹きつけられた。
体感から察するに、恐らく都市部からは離れられたのだろう。
それでも足元には深い亀裂が走り、荒野の地盤沈下はいまた続いていた。
背後で響く流砂と崩壊音を耳にしながら、何度も砂丘の上り下りを繰り返したあとだったろうか。
やがて小高い丘の頂でピタリとジンが止まるや、直後にロットは解放された。
ぼふっと顔から地面に落とされ、口に入った砂を不味そうに吐き出すが、相方の無作法に文句を垂れる暇もない。
直後に視界へ映ったのは、みるみる沈んでいく都市の無残な姿だった。
初めてその威光を目にした時の神々しさも、今や怪物が上げるような咆哮を響かせ、飛沫をあげる荒野の底へ飲まれようとしている。
それも最後には灰塵が吹きあがり、やがて一帯を覆い隠していた灰が落ち着いた頃。
辺り一面には文字通り、何1つとして残されてはいなかった。
いままで通り地平線まで続く荒野に、まるで都市での冒険も戦闘も。
すべてが最初から無かったかのような錯覚に陥らされたが、ふと聞こえた足音に振り返れば、颯爽と歩き出していたジンの後ろ姿を捉えた。
行き先は考えるまでもなく、遥か遠くに見える光の柱であろう。
偉大な荒野都市も、彼からすれば通過点の1つに過ぎないのだ。
「…切り替えの早さも、並大抵の英雄では敵わないでしょうね…もぅ」
何もない光景を前に立ち尽くしていたロットも、小さな溜息を零すと小走りで後ろをついていった。
もちろん彼らが向かう光の柱でさえ、あるいは都市同様に容易く崩れてしまうかもしれない。
それでも不安を覚えなかったのは、仮に2人が目指すものがすべて幻であったとしても。
空はこれからも永遠の夜で覆われ、灰の荒野を歩き続けることもまた変わらないからだろう。
そう静かに心の中で呟けば、ゆっくりとした歩調のジンの背中を、すかさずロットは眺める作業に戻った。