4.亡き廃都
宙が燻る音。
空間が歪むほどの熱気。
それらも火力と共に衰えていけば、メラメラ燃えていた空気も静寂に溶けていく。
同時に体の力を一気に抜くと、遅れて汗がとめどなく流れてきた。
「……はぁー…はぁー……手加減、しそびれました…」
荒い息遣いで大きく肩を上下させ、グッと胸を張って姿勢を正す。
目の前には煤で焦げた洞窟が映り、脱出まで呪文を控えていたのは、ジンまで燃やしてしまわないため。
だったのだが、耳元に迫った羽音の嫌悪感に過剰反応してしまったらしい。
盛大に轟いた反響音からも、走り抜けてきた通路全てを焼き尽くした可能性がある。
「ジン、さん……?痛っっ」
暗闇に恐る恐る囁きかけるが、聞こえてくるのは燻り音だけ。
直後にズキンっと傷んだ背面に手を回せば、触れた箇所がしっとり濡れている。
指先に伝わる触感から、背中を食まれていたらしい。
「…あの世にいてまだ出血するとか、意味わかりませんよ……かと言って干からびるのも御免ですけど」
指先でヌメつく赤い液体を振り払い、もう1度洞窟の中を覗き込む。
もう少しだけ待てばロットに文句の1つでも言いに、血眼になってジンが飛び出してきそうで。
杖先を灯してグッと暗闇に近付けるが、中で動く気配は何もない。
あともう少しだけ。
それからもうちょっとだけ。
今か今かとジンが現れるのを待ったが、ふと背後が無防備だったことに。
互いの背中を守る相手がいなかったことを思い出し、慌てて杖を構えて振り返った。
「えっ…?」
全身にこもっていた力が抜け、思わず杖まで落としそうになった。
突如視界いっぱいに広がったのは、ジンの存在を一瞬忘れてしまうほどの大都市で。
丸みを帯びた屋根をもつ、宮殿に次ぐ宮殿。
そしてそれら建造物の隙間を埋めるように、四角い建物があちこちに立ち並ぶ。
壮大な光景に思わず喉を鳴らすも、風に舞う灰燼で全てが煤けて見えることが、いまだ荒野にいる名残を示唆していた。
「…このままココにいても、ジンさんに怒られそうですよね」
あともう少し待とう。
そう自分に言い聞かせようとしたが、彼は無駄な時間を好む男ではない。
むしろ足の遅さを理由に、「先に行って偵察してりゃよかったろ」と。
合流した第一声が容易に想像できて、クスリと思わず笑ってしまう。
「<ウィスプロード>」
掌をかざせば温かい光が現れ、洞窟の前でフワフワと浮かび続ける。
これで少なくとも脱出できた目印にはなるだろう。
「……今度はボクが先を進んで、ジンさんが後ろから追ってくる番ですか」
微笑を浮かべながらため息を零せば、振り返って大都市に向かう階段を下りていく。
横幅の広さはまるで舞踏会を彷彿させられ、王族貴族が歩けばさぞ華やかに見えたろう。
それが今は奴隷然とした少年が、ぺたぺたと足音を響かせている。
ロットの小さな体には身に余る大きさで、気付けば階段の端へ徐々に寄っていた。
「もっと体が大きければ、堂々と真ん中を歩けたんでしょうか。いずれにしても1人で使うには広すぎますね」
“誰に”告げるでもなく、一瞬振り返りかけた顔を強引に前へ戻す。
それから誤魔化すように空を見上げ、永遠の夜に覆われた見慣れた景色を眺めた。
ゆっくり顔を下ろして都市を囲う山々も見つめ、秘密の入口を通らなければ、到底辿り着けそうにない空間に感嘆していた矢先。
程なく広い踊り場に到着し、左右それぞれに通じる階段を見比べた。
どちらか一方を選ぶための判断材料もなく、ひとまず杖を持つ手の方――すなわち右手の階段を進むことに決めれば、前方に立つ塔を回り込むように段差を降りていく。
「ボクたちのように建物が飛ばされてきた可能性…は除外してもよさそうですね。これほどキレイに土地に収まるとも思えませんし……もしかするとこの世界は、本来は英雄たちの療養所だったとか…?」
小首を傾げながら憶測を述べるが、パット見た限りでは安らげる設備があるようにも見えない。
都の大きさに対して人気も無ければ、そもそも人が生活している気配すら感じられなかった。
あるいはもっと奥に行けば何かあるのでは――そう思いながら、ふと視線をズラした時だった。
突如右肩に鋭い痛みが走るや、殴られたような衝撃と共に体が回転する。
勢いよく階段を転がり落ち、それからは夜空。
階段。
時に手すりが目の端に映り、最後は小さな踊り場へ力なく転がり込む。
打ち付けた体があちこち悲鳴を上げるが、全ては観光気分で歩いていた自分の落ち度。
痛みと自分のマヌケさに歯を食いしばるも、杖を握り締めれば即座に防御呪文を発動させた。
全身を赤オレンジ色の光が一瞬だけ包み、それから肩口に突き刺さった矢を一瞥する。
撃たれた時に受けた衝撃。
傾いた体の姿勢。
矢が刺さっている向き。
奇襲を受けた状況を整理し、特定した射手の位置をキッと睨んだのも束の間。
直後に視線の先にそびえる柱の影が光るや、目と鼻の先まで矢が勢いよく飛んできた。
無論、防御呪文が刺さる前に燃やしてくれたが、お返しに放った火球は、素早く物影へ隠れた射手には当たらない。
しかし柱を過ぎた途端に爆発させれば、火だるまになった人影が建物の端から落下していく。
「ふふっ、子供相手でもやっぱり容赦はしてくれませんね……くぅッッ!!」
少しでも痛みを和らげようと、無理に笑顔を作ってはみた。
それでも矢を引き抜いた反動で顔は歪み、泣き言を漏らす前に炎の結界を体に纏う。
もっともロットが立ち上がったタイミングで、弾けるような音と火花が背後で散り。
振り返れば炎の残滓に混じって、砕けた槍の破片が視界に映った。
例え広大な都市に降り立とうとも、亡者が蔓延る灰の荒野にいることには、やはり変わりはないのだろう。
「…ほんっと、イヤな場所ですねココは!もぅ!!」
ジンを待っている暇などない。
明日は我が身とばかりに走り出せば、近くの建物へ頭から飛び込んだ。
勢いあまって着地は失敗し、顎をしたたかに打ち付けてしまったが、ただで転ぶほど愚かでもない。
ぶつかる直前に床へ手をかざせば、表面が円状に赤く輝いた。
そのまま転がるように奥へ移動していき、魔法陣が殆ど見えない距離まで走った刹那。
――ッッボン!!
途端に後方が赤く光り、僅かに聞こえたうめき声をかき消す爆音が耳元まで轟く。
炎の罠で何体倒せたかは分からないが、程なく聞こえてきた足音から察するに、ロットの“追いかけっこ”はまだ始まったばかりらしい。
「~~ッッなんでそんなに殺意が高いんですか!<ファイアウォール>!!」
横回転しながら杖をぶんっと一振りするや、杖先の軌道を追うように一本の炎が宙に引かれた。
赤く灯った一閃はやがて膨らみ、凝縮されていたエネルギーが一気に噴き出すと、ロットの背後に“炎のカーテン”が瞬く間に広がっていった。
追跡を撒けることはもちろんのこと。
敵の視界も遮断できる勝手の良い魔術ではあるが、所詮は見かけ倒しの時間稼ぎ。
道中で壁の隅に積もった灰をすくえば、走りながらグッと肩に押し当てた。
矢の傷だけとは言わず、できれば全身の打撲も治したいところだが、時間も量も足りなさすぎる。
今は応急処置で我慢するしかない。
「…1本道で身を隠せる場所もない。万が一行き止まりにぶつかるようなら、その前に応戦するしか……ん?」
変哲のない回廊をぺたぺた走り、右に左と視線を忙しなく動かしていた刹那。
ふいに遠くで響いた異音に導かれるがまま、やがて1本道の終着点に辿り着く。
突き出したヘリには仄かな光が差し込み、半壊した手すりがロットのことを出迎える。
どうやら天井の一部が崩れ、そこから夜空が一帯を照らしていたらしい。
いまだ形を残す手すりを掴み、異音の正体を確かめるべく階下を覗くと、案の定と言うべきか。
何段もの階層が底へと続く空間で、亡者たちが“巨大なハエ”の群れと戦闘を繰り広げていた。
武器を振るう英雄。
魔術や矢で応戦する英雄。
一方でハエも“掌”を相手に向け、血色のおどろおどろしい魔法陣を宙で展開する。
そこから黒い霧がゆっくり噴き出し、無数の羽音を響かせながら、みるみる亡者を暗闇に飲み込んでいく。
その光景が一瞬ジンの最後と重なり、思わず目を逸らしかけた瞬間。
再び轟いた奇声に視線を戻せば、巨大なハエが背後から別の亡者に斬りつけられたらしい。
そのまま振り返って次の戦いを始め、戦争さながらの光景が続く。
「……恐らくあの巨大なハエは、この土地に生息する魔物の類なのでしょう…それにあの魔法陣、というよりもあの小バエの群れ。魔法で出現させていたんですね」
思わぬ敵対構造に驚かされていた矢先、ある考えがふと脳裏をよぎった。
もしも英雄の道から外れた罪人を罰するため、あれらが女神の遣わした怪物なのだとしたら。
「…だとしてもこの街は、到底亡者に建てられるものではありません。それもあんな魔物が徘徊しているのに、砦ではなくて文明の跡が垣間見える宮殿を、あえて築いているなんて……一体だれがこんな荒野に都市を…」
情報量は絶望的に足りないが、何かしら納得のいく結論は欲しかった。
しかしその思考も――ジャリっと。
ふいに聞こえた足音で振り返れば、咄嗟に杖を構えて振り下ろされた斧を食い止めた。
直後に腹部を蹴りこまれるも、胃液が込み上げてきそうな一撃に悶える時間も無い。
体を突き抜けた衝撃は背後の手すりをも砕き、なすすべもなく虚空へと弾き飛ばされた。
「かっは……ぐ、ふ…<フライ・ハイ>!!」
激痛と困惑で頭がチカチカするが、それでも手放さなかった杖を握りしめる。
するとロットの全身を瞬く間に炎が包み、ハンカチが落ちるかの速度でゆっくり下降を開始した。
ひらひら落ちる火の玉は、階下を通過する度に周囲を仄かに照らし、おかげでいまだ各階で続く戦闘を遊覧気分で眺められた。
しかし吹き抜けを炎が通過する光景は、亡者はおろか。
魔物でさえロットに注意を惹かれ、中には目が合った者さえいた気がした。
意図せず注目を集めてしまったが、その状況に慌てるつもりはない。
やがて地の底に到着すると、それまでまとっていた淡い炎がロットの元を、蜘蛛の子を散らすように離れていく。
かと思えばそれぞれが再び集まって、4つの赤い球体が生み出された。
それらも最初はロットの周りで浮かぶだけだったが、杖床をカツンっと地面で叩いた時だった。
今度は降りてきた吹き抜けを昇り始め、その間にも敵は次々手すりを越えて飛び降りてくる。
そんな輩が上昇していた炎の球に接敵した瞬間、火の粉が散弾の如く彼らに発射され、触れたモノを容赦なく燃やしていった。
「ふふん、虚空にいては避けることも出来ないでしょう?…って、ゆっくりしてる場合でもありませんね」
燃えた蛾のように落ちてくる亡者に、ニコリと勝ち誇ったのも一瞬だけ。
炎の球が階層を通過すれば、遅れて飛び降りてくる敵の対処に追われることになる。
混戦する前に颯爽とその場を離れるも、周囲に通路と呼べるものが見当たらない。
足裏に伝わる滑らかな感触からも、かつては水場だったのだろう。
だがそうなれば今のロットはまな板の魚も同然。
いまさら込み上げてきた焦燥感に、慌てて視線を右左に移していた時だった。
壁際に四角い穴が、床に密接してぽっかり開いているのを発見する。
形状からして排水口の類に見えるものの、一体それがどこへ繋がっているのか。
そして子供の大きさとはいえ、“最後”まで通れるのか判断できない。
「…下手をすれば小さなトンネルの中で、一生身動きが取れなくなるか。最悪自爆して再スタートをきるか……いずれにしても、まともな終わり方はできませんね」
上空で響く阿鼻叫喚を聞きながら、ため息を零して逃走経路を眺めた。
この場に留まったところで、死を免れることは決してできない。
そうなれば光の柱は遠ざかるばかりか、ジンとは二度と再会することもできなくなる。
大きな賭けに出ていることは否定しようがなく、覚えるのはその先で待ち受ける不安ばかり。
しかし死ぬことも。
孤独も。
終わらない戦いと、悪夢を見続ける夜も。
生前から吐き気を覚えるほど味わい慣れている。
敵わない相手に背を向け、恥をかいてきたこともまた同様で、だからこそ。
そんな過去をなぞるように走り出せば、背後で聞こえた亡者の着地音と同時に、抜け目なく張った炎の罠が起爆する音を耳にした。
爆風の勢いで一気に排水口へ押し込まれ、小さな体も瞬時に暗闇で包まれる。
まるで怪物に飲み込まれるような錯覚も、すでに生前で体験済み。
忌々しい記憶を慌てて振り払い、背後で遠ざかる喧騒に僅かな平穏を見出そうとした矢先だった。
初めは単純に滑走しているだけだったが、やがて全身を縦横無尽に振り回される。
ほどなく広い坂道に出ても、その勢いが殺されることはない。
もはや天地の区別さえつかなくなり、壁に叩きつけられることもあれば、勢い余って宙に何度も弾かれた。
鈍痛が辛うじて吐き気を抑えてくれたが、それもいつまで持つかは分からない。
覚めない悪夢が延々と続くも、ようやくロットが壁から射出されたことで、数少ない願望が細やかながら叶えられた。