3.石の墓標
「おら…よっとッ」
斬りかかってきた亡者をジンが躱せば、すかさず相手を素早く切り刻む。
その間も彼の背後では、ボンっと爆発音を響かせ、ロットの周りに黒焦げの死体が積み上がっていく。
「…はぁ、はぁ、はぁ……守備は、どうですか?」
「見ての通りだよ。それにしても相変わらず体力の無い英雄様だな、おい」
「だから同盟を組んだんじゃないですか。それに倒した数では、まだボクの方が多いんですからねっ……ところでジンさんは何をされているんですか?」
最後の敵を倒したところで、お約束とばかりに安い挑発をかけられる。
もちろん応戦して噛みつこうとしたが、振り返ればジンが死体の傍で屈みこんでいる。
ソーっと回り込んでも反応を見せず、過敏に周囲の物音に反応する彼にしては珍しい。
それなりに信用してもらえているのか。
あるいは“英雄のよしみ”なのか。
いずれにしてもジンの肩越しに覗き込めば、丁度死体の腹部が裂かれているところだった。
中身を躊躇なくまさぐる様子に、普段なら声を大にして卑下していたことだろう。
しかし彼は粗暴に見えて、かなりの知略家。
恐らく内臓の有無を。
つまり弱点の1つでも探ろうとしているのだろう。
「…何か分かりましたか?」
「まったくだ。さんざん切り刻んでみたが、袈裟斬りにしたくらいじゃ倒れやしねえ。それなりにダメージを与えていきゃ動けなくはなるみたいだが……確実に殺るなら首を落とすほかねえわな」
ただでさえ険しい表情をさらにしかめ、自分の首を擦るジンの思考は容易に想像がつく。
敵と同じくミイラの体を持つ相手の弱点は、ジンの弱点も同然。
だからこそ手がかりを求めていたのだろうが、ふいに彼の視線はロットに向けられる。
「…周りは死人だらけで、まともに話せんのも俺らだけなんだ。だってのにわざわざ“服”を着る必要があんのか?」
しゃがんだまま告げる彼の視界に映るのは、胸元と下半身を布で覆うロットの姿。
戦闘で損なう度に敵の装備を剥いでまで着用する様子が、どうも彼のお眼鏡に敵わないらしい。
そんなジンの怪訝そうな視線を受け、咄嗟に身をよじって恥部を隠してしまった。
「し、親しき仲にも礼儀あり、って言うじゃありませんか。人前に立つからには相応の装いをするのも大切ですし、野蛮な土地に降り立ったからと言って、野蛮人のように振る舞う必要もありません」
「親しき仲…ねぇ」
「…そそ、そういえばジンさんは武器を変更されたりしないんですか?接近戦に特化しているなら、もっと上質なものを先輩方からいくらでも拝借できると思うんですが……考えてみればボクたちが死んだ時って、武器も一緒に手元で復活してますよね」
「使い慣れた武器をいまさら手放す気はねえな。それを言うなら杖で防いでばっかのテメェこそ変えたらどうなんだ」
「魔術師が杖を手放すなんてとんでもありません」
緩んでいた腰と胸回りの布をキュッと縛り、再び歩き出したジンの後ろをついていく。
見飽きた景色を慣れない足取りで進み、高低差のある砂丘や広大な平地。
そしていくら時間をかけても一向に近づかない光の柱に、とめどなく汗が流れてくる。
壊滅的な持久力のおかげで、何度弱音を吐きそうになったことか。
だが歩行速度をロットに合わせてくれている手前、自分の都合で足を止めることは許されない。
一帯の警戒を仲間に委ねて歩き続け、巨大な砂丘を登っていた時のことだった。
ふと見上げればジンが立ち止まっており、その先に灰の山が積もっている様子はない。
ようやく登頂できたのだろうと、しかし何万回目にもなる踏破に期待するでもなく。
ジンの隣に何とか並ぶと、膝をついて呼吸を何度も繰り返した。
肺が燃えるように熱かったが、いつも放っている炎の魔術ほどではない。
ジンを待たせまいと体をグッと持ち上げ、直後に麓から少し離れた場所に立つ巨石が視界に入る。
「…ずいぶんと大きな岩ですね。家一軒分はあるかもしれません。ここに堕ちてきてあれほどの規模の物を見るのも初めてですが…もしかして立ち止まっていたのは、岩を鑑賞していたからですか?」
呼吸を落ち着けながらジンをからかうが、彼の視線がロットに向けられることはない。
むしろもう1度見るよう顎で指され、改めて観察すると岩の下に入口らしき穴を発見する。
さらに目を凝らせば、穴の周りは掘られたような痕跡さえ見受けられた。
「どうするよ」
「……行ってみましょう。何か役立つモノがあれば上々です」
幸か不幸か、向かう方角は光の柱と同じ。
共に斜面を滑るように下っていけば、通り道に灰の噴煙が巻き上げられる。
おかげで登った時よりも遥かに速い時間で麓に到達するも、勢いをつけすぎてしまったらしい。
前につんのめって転びかけたが、颯爽と胸周りに縛った布をジンが掴み、何事もなく洞窟の前まで辿り着けた。
近くにくると人為的に掘られた形跡がよりはっきり見え、ようやく訪れた景色の変化に期待半分。
そしてジン以外の英雄すべてと敵対している今、警戒半分で踏み込んでいく。
そこでは世界をくりぬいたような空洞が延々続き、冷たい床をぺたぺた歩く足音が木霊するだけ。
だからこそ背後にチラチラ視線を投げれば、ジンがついてきているか何度も確認してしまっていた。
ロットと違って足音を全く立てず、無音で移動しているのはミイラの特性なのか。
それとも“そういう歩き方”を日頃から心掛けているのか。
いずれにしても不可解な行動を繰り返したことで、おもむろにジンが顔をしかめた。
「…なんなんだ、さっきから振り返ってよ?」
「後ろから襲撃される危険性もありますから、警戒しているだけです。どうぞお気になさらず」
「テメェを始末するんだったら、とっくの昔に殺ってるっての。ビクビクしてんじゃねえ」
「先輩方のことですよ。いまさらジンさんに襲われる心配なんて…」
冷静に対応しようとしてもジンが相手だと、どうしてもムキになって声に力が入ってしまう。
しかし彼の視線がロットから外れ、進行方向に鋭い視線を向けたことで、自ずとその場でピタッと足を止めた。
つられて通路の奥を凝視してみるも、見えるのは延々と続く暗闇だけ。
耳を澄ませても何も聞こえず、咄嗟に杖で明かりを灯すが結果は特に変わらない。
「…どうかされましたか?」
「嫌な気配がするだけだ。んなことよりまだ進む気か?これ以上探ったところで、何か見つかるとも思えねえがな」
「結論を語れるまでが愚者の道…師匠の受け売りですが、時間に囚われているわけでも無いんです。始めにも話した通り、役立つモノがあれば上々。何もなくて引き返すことになったとしても、それはそれで十分な情報と言えるでしょう」
「気になったらとことん調べる、ってか。難儀な性分だな」
「ふふっ、“冒険”なんてそんなものじゃないですか?」
振り返りながらにっこり笑みを浮かべれば、ジンのしかめっ面はますます険しくなる。
そんな彼を尻目に移動を再開するが、程なく進んだところで再び足を止めた。
一瞬暗闇が蠢いた気がしたが、明かりを灯した杖を突き出すも、特に何も見受けられない。
ジンが反応する様子もないことから、恐らく2人の影と見間違えたのだろう。
そう自分に言い聞かせて足を動かすが、先程から1つだけ気になることがあった。
まるで肌をざわつかせるような不快な音が、小刻みに耳を震わせていることに。
かつてない違和感に、当初こそ警戒していたが、洞窟へ入った影響だとも考えられる。
加えて硬い床のおかげで足をとられず、地下より亡者が這い出てくる心配もない。
何よりも背後をジンが守っているからこそ、多少の安心感があったのだろう。
ひとまず洞窟の探検を優先することにしたが、それも複数の屍が前方に倒れていたことで、警戒心が一気に盛り返してきた。
「ジンさんには、何が見えていますか?」
「首の無ぇ死体がごろごろ転がってんな。わざわざ俺に確認するまでもねえだろ」
「異様な光景を2人して認識できているのなら、それは紛れもない現実ってことですよ。ココまで先輩方が来ていたことも十分警戒に値しますが、それよりもこんな死に様はこれまで見たことがありません。もしかしたら頭を落とすことで敵を無力化できることを知った先駆者が…ボクたち以外にも自我を保った人がこの先にいるのかもっ」
「そのわりには、まるで毟りとられたような切り口だがな」
一瞬抱いた期待も、ジンの言葉ですぐに雲行きが怪しくなる。
よくよく見れば確かに死体の首の切れ目は荒く、何よりも肌があちこち虫食いのように穴が開いている。
もう少し詳しく調べようとした矢先、ふと前方に感じた気配にサッと杖を身構えた。
程なく灯りが生み出した影が不自然にうねり、さらに耳障りな音が唐突に沸き起こる。
すると暗闇が明かりを消さんとばかりに、津波の如く2人に迫ってきた。
「…ふ、<フレイムボール>!」
咄嗟に杖先から炎の球を射出すれば、通路を照らしながら奥で揺れる影に直撃する。
無数のネズミが潰れたような異音が同時に響くも、すぐに暗闇は膨らんで炎の勢いを押し返した。
再び通路を闇に染めんとロットたちに迫り、後方へ撤退する姿勢に入った時だった。
ふいに影の侵攻が止まり、耳を這うような音が延々流れてきた。
闇の中で不快なざわめきがうねり続け、やがてそれらが徐々に道を開けるかの如く。
暗闇が左右へと分かれていくや、その間から黒い。
枝のような足が――ズシャッ、と。
杖先で照らした光の中に、重々しい音を立てながら姿を現した。
一見して巨大な虫の節足を彷彿させられるも、足先は人の手のような鉤爪を模っている。
ズルズルと引きずられた重たそうな体は、醜悪なハエの外見そのもの。
背中に生えたボロボロの羽根や頭部が時折小刻みに震える様は、嫌悪感だけをもたらした。
そして何よりも赤い双眸を爛々と輝かせ、身をよじりながら迫ってくる姿が、ロットの生存本能にけたたましい警鐘を鳴らしていた。
「あれがお山の大将ってわけか。周りの羽虫に比べて、ずいぶんとデカく育ったもんだ」
「よくそんな冷静でいられますね。正直不快感がひどくて、見たくもないんですけど…それにしてもあの不快な音は、小虫の群れの羽音だったんですね。もしかして傍の大きいのが率いているんでしょうか」
「テメェも人のこと言うわりには余裕そうじゃねえか」
「これでも我慢しているんです。察してください」
「あんま目を逸らすな。首“もって”かれっぞ」
いつもの気怠そうな声に反し、彼の言葉が鮮明に頭の無い死体の数々を彷彿させる。
目の前の怪物に収集癖でもない限り、すべて捕食されたと見るべきなのだろう。
人の手の形をした鉤爪――の8本のうち2本が犠牲者の肩を掴み、そのまま巨大なハエの口が頭を…。
「…うぇっ」
想像するだけで吐き気を覚えるも、ズシリと重い足音がロットを現実に引き戻した。
反射的に火球を杖先から放ったが、周りを飛ぶ羽虫が怪物を覆って炎が届くことはない。
“率いている”よりかは、操っているといった方が正しいのだろう。
「……おい、放火魔」
「…なんですか切り裂き魔」
「敵に火を点けられんなら、武器を燃やすこともできんのか」
無数の羽虫を従えながら、ゆっくり向かってくる怪物を注視していたのも束の間。
ジンの一言で思わず彼を一瞥するが、この狭さでは出せる魔術も限られてくる。
そのため作戦も何も聞かず、指先でひゅっと宙を撫でれば、途端にジンの双剣が真っ赤に燃え上がった。
突然自分の武器が燃えれば普通は驚くだろうに、一方のジンは反応する素振りも見せない。
「言っておきますけど、その呪文はあまり長く持ちませんからね。下手をすると所有者にまで火が回ることも…」
「俺に掴まってろ。離した時がテメェの最期だ」
「……知性的な作戦とは言い難いですが、それよりも同盟が一方的に切られそうな環境に置かれていることの方が不快ですね」
ため息を零しながらもジンに近づくが、手を伸ばす直前で体が石のように動かなくなった。
ミイラ、というよりも“人”と触れ合うことに抵抗を覚えているからなのだろう。
一瞬頭まで真っ白になりかけたが、チラッと見上げたジンの表情は鬼気迫るもの。
恐らく“一か八か”の作戦であり、仮に道を引き返したところで、再び灰の荒野を通って光の柱を目指すことになる。
「…そうすれば今度は、また先輩方の相手をする羽目になってしまうわけで、硬い床の恩恵も消えるわけですか」
洞窟に入った理由の1つとして、地下から這い出る亡者たちを避ける目的もあった。
そして欲を言えば、その先に何かあることを期待していたことも事実。
これまで歩んできた道を戻る気持ちも薄れると、ため息を零すように肺の空気を吐き出した。
目もキュッと固く閉じ、やがてジンの腰に意を決して飛びついた瞬間。
下半身が置いていかれる錯覚に陥るや、次に感じたのは全身に殴りかかる凶悪な風だった。
気を抜けば一瞬で飛ばされてしまいそうな勢いに、ありったけの力を込めてしがみつく。
しかし一方でウサギが潰れたような鳴き声は耳に。
焦げついた異臭は鼻につき、咄嗟に片目を開けたのは必然だったのかもしれない。
もっともロットの視界に映ったのは、激しい残火の軌道だけ。
巨大なハエが伸ばした手足も、2人に差し迫る羽虫の軍勢も。
真っ赤に燃え盛った世界の中で、ジンがすべてを瞬く間に弾いていく。
戦況の優劣は一見して分からず、ロットができることは必死にしがみつくこと。
だったはずが。
おもむろに腕を強引に振り解かれ、小さな体は勢いのまま宙を飛んでいった。
羽虫の群れを避け、僅かに開いた穴を通すような“投擲”に、ハッとなった時にはすでに手遅れ。
怪物と死闘を繰り広げるジンの姿を最後に、漆黒はあっという間に彼を覆い隠してしまった。
「じ…ジィィイーーーン!!!」
悲痛な叫びを上げるが、羽音も相まってジンには決して届かないだろう。
1人だけ助けられた裏切りに憤りを覚えるも、やがて地面にぶつかると二転三転。
悲鳴も否応なく押し潰され、ようやく勢いが止まる頃にはぐったりと動けなくなっていた。
“暴れ馬”に掴まっていた疲労が一気に出たのだろう。
剥き出しの肌もヒリつくように痛んだが、倒れている暇などあるはずもない。
黒く渦巻く影が膨らみ始め、徐々にロットに迫ってくると咄嗟に炎を振り放った。
先頭は一瞬で焼き尽くせたが、後続が溢れるように押し寄せてくる。
「人の心配をする時間もくれませんか…」
姿の見えないジンの安否も、蓄積した疲労にかまけている余裕もない。
床を掻きむしるように走り出せば、脇目も振らずに走り出した。
耳元を掠める羽音にビクつくと、杖だけ背後に振って火を撒いた。
1度は炎の壁を形成してみたが、羽虫の群れはそれすら突き破ってくる。
小さな体は息切れまで起こし始め、暗がりは足音すら容赦なく蝕んでいく。
いっそ立ち止まって特大魔術を放ってしまいたいが、“まだ”その時ではない。
今は逃げ惑う必要があるとはいえ、自分の不甲斐なさに歯を食いしばり、汗で何度も塞がれた視界を拭っていた時。
「…っっで、出口!!?」
瞳に滲んだ光で、最初は半信半疑だった。
しかし徐々に明かりも強くなれば、ようやく確証を得て浮かべた笑みも、はためく腰布に“何か”が触れる異物感で陰りを見せた。
漆黒はすぐ傍まで迫っており、それでもギリギリまで足を止めることはない。
やがて肌にまでチリつく痛みが、体の背後に走り始めた時。
三角に模られた光の中へ飛び込むや、転がりながら背後に杖を向けた。
「<ドラゴンブレス>!!」
途端に噴きだした業火が暗闇を包み、態勢を立て直したロットが杖を構え直す。
肩に力を入れて魔力を集中し、初めは押し返そうと群がっていた羽虫も、程なく洞窟の奥へと押し戻されていく。
そのまま竜の咆哮に飲まれるが如く、灼熱の中で次々消滅していったのち。
最後には闇も羽音も、一帯を占める轟音によって完全に埋め尽くされていった。