2.砂漠葬送
星の無い夜空。
どこまでも続く灰の荒野。
そんな変わり映えの無い景色を、唯一彩るのが地平線に見えている光の柱だけ。
太陽を目指すように黙々と歩く姿は、まさに亡者そのものと言えるだろう。
何もない世界だからこそ、何かをしていなければ気が狂ってしまいそうで。
だからこそ一心不乱に進んでいたが、ふいにロットが灰に足を取られて、小さな悲鳴を上げる。
それを怪訝そうにジンが振り返り、その時だけは2人が“ほか”とは一線を画す存在であることを仄めかした。
「…はぁ、はぁ……ほかにやることがないとは言え、歩き続けるだけ、というのも味気ないものですね」
頬を伝った汗をグッと拭い、今いる自分の状況を嘲笑しようとした。
しかし直後に足が膝までガクンっと灰に沈むと、絞り出した落ち着きもすぐに暗転する。
今回は体力の消耗だけで済んだマシな方。
時に転ぶこともあれば、最悪の場合は丘をごろごろ落ちていくこともあった。
その度に「亡者との戦いに比べれば」と、呪詛のように自分へ言い聞かせてきた。
もっともロットを1番イラつかせたのは地形でも、ましてや地獄に落とされた己の境遇でもない。
「――おい、ちんたら歩いてるとまた襲われるだろうが。もっと足を上げて体を起こせ」
額の汗を拭いかけるも、ふと聞こえた気怠そうな声に眉をしかめた。
ジロリと見上げれば、体格差も考えずに進むジンと目が合い、咄嗟に怒鳴りそうになる。
だがその前にまずは、肺が爆発しないように呼吸を整えることが先決だった。
「ぜー、はー、ぜー…な、何度でも言いますけど、もっと速度を落としてください!2人以上で行動する時は、周りにもっと目を向けて…」
「へいへい。1番足の遅い奴に合わせりゃいいんだろ?……本当にこんなのが“選ばれし者”だったのかよ」
吐き捨てるようなセリフに、思わず杖を強く握りしめた。
幸いジンの足取りが遅くなったおかげで、先ほどの言葉もそれで相殺。
などと、簡単に切り替えられるはずもない。
殺伐とした空気は以前として漂い、亡者の襲撃時に敵戦力を分散できていなければ。
互いに同じ出自で、光の柱に向かう共通目標が無ければ。
流れで組んだ同盟をとっくの昔に切って、別々の道を進んでいたことだろう。
もちろん足を引っ張っているのが、文字通り自分であることは紛れもない事実。
子供の身だからと言って、甘えが許されないことは頭では分かっている。
それでも感情を理屈で片付けられるほど、人間ができているわけでもない。
やり場のない怒りを頭の中で循環させ、その間も足を止めずに息を切らしていた矢先。
ふと顔を上げるとジンが立ち止まり、両手に持つ剣を強く握りしめていた。
「…来るぞ。準備しろ」
「ふー、ふぅー…んっ、いつでもどうぞ」
まだ疲れは取れていないが、ロットの回復を待ってくれるはずもない。
地中から“先輩方”が姿を現せば、先陣を切ったジンが瞬時に2体の頭部を斬り飛ばす。
一方でロットは杖を横に振り、扇状に炎の波を広げて一気に敵を焼き尽くした。
かに見えたが、餌食になったのは数体だけ。
ほかの敵は屈むなり、跳び上がるなりして各々が回避していたらしい。
新たに地中から這い出た亡者も合わせて、白兵戦の様相を呈するが、度重なる疲労や不和が影響したのか。
ロットの炎が、ジンまで燃やしかけたことが何度もあった。
そのせいもあってか、以前のように互いを庇い合うことも無くなり、戦闘の足並みも揃わなくなる。
預けていたはずの背中も敵に斬られ、叩かれ。
やがて全てが終わった頃には満身創痍。
おかげで砂風呂の如く灰に全身を埋め、休息を余儀なくされていた。
「……後半、ボクの方に敵が雪崩れ込んできてませんでしたか?」
体の節々から伝わる痛みに耐えつつ、星の無い夜空を静かに見上げる。
顔を傾ければ少し離れた場所で、同じく埋まったジンを一瞥することもできたろう。
だが“今は”とてもそんな気分にはなれなかった。
「ようは弱い奴から仕留めようって魂胆なんだろうよ。足の遅い奴ほど、手軽なカモはいねえからな」
「確かにちょこまか動くハエよりも、大物を狙いたくなる敵の気持ちも分からなくはないですね」
「ガキが粋がったところで、誰も頭を撫でちゃくれねえぜ」
「あなたに触られるくらいなら、豚舎で家畜と一緒に寝た方がマシです」
「それがトロいから担いで連れてってやる、って話を断ったテメェの言い分か?」
互いに視線も合わせず、紡がれた言葉も次々空に吸い上げられていく。
息の合わない戦闘に、足並みの揃わない移動。
戦い方も雑になっていき、互いをフォローすらしなくなった今。
当初組んだ同盟の利点は、もはや成立すらしていなかった。
「…すっとろい動きを見てて思ったんだが、よく死なずに“ココ”までやってこれたな。こんな場所に堕ちてきたことより、そっちの方がよっぽど不思議でならねえ」
「愚者は行動し、賢者は思考するからです。体力でばかり物事を考えるような人では、長い道のりを進むことは決して…」
不信者を諭すように説教し、またいつもの不毛な会話が始まるものとばかり思っていた。
しかし突如灰が噴き上がれば、次の瞬間には宙に跳んだジンが視界に入ってきた。
彼が振りかざす凶刃はロットに向けられ、胸に刺さる寸前で炎の壁を発動。
火花を散らしながら刃先を弾くも、奇襲をかけた張本人は動揺する素振りも見せない。
むしろ興味を失ったように離れていくと、遅れてロットがゆっくり体を起こす。
「…とうとう亡者になってしまわれたわけですね。短い付き合いでしたが、とても残念です」
「テメエを試しただけだ。気にすんな」
「試すって何をです?まさかこの場で仕留めたら、ボクが次にどこで復活を果たすか気になった、というわけではないでしょうね」
「口先だけのガキが本当に“選ばれし者”なのかどうかをだよ。今のところ火を振りまいてるだけだろ?そのせいで周りの死人どもの方が、よっぽど英雄っぽく見えるんだわ」
ため息混じりに武器が降ろされると、どうやら本当に敵意はなかったらしい。
少なくとも呪文を放つだけの無防備な小僧ではなかった事を知れて安堵したようだ。
しかし一方で彼の想いとすれ違うように、ロットが杖を握り締める音が木霊する。
「…ッッボクから言わせれば、あなたのようなチンピラこそ英雄には全く見えませんよ!」
「そいつは同感だ。俺もずっと前からそのことに辟易してる」
「ふんっ、そうやって大人はのらりくらり話題を逸らそうとして…そんな事したって、全然カッコよくないんですからね。むしろ問題を意図的に避けているとしか思えませんよ」
「それはこっちのセリフだ。これだから会話の仕方も分かってねえガキは、世間知らずで困るんだよ。その若さでココに堕とされたのも、どうせすぐにギブアップしたってところ…」
相も変わらず気怠そうに囀り、サッサと話を終わらせようとしたのか。
ジンがくるっと背中を向けた直後、火球が彼のすぐ傍を通り過ぎていく。
離れた場所で爆発はしたが、それでも爆風と熱気は優に届き、直撃していればタダでは済まなかったろう。
もっともジンが注意を払ったのは、ロットの魔術の威力に、ではない。
腕を掠めたことで表面が燻り、振り返れば杖を構えた少年と否応なく対峙した。
「…おい」
「訂正してください」
「何をだ?」
「先程言ったこと…特に最後に言ったことを撤回してください」
「ほぉん……つまりアレか?女みてえな見た目したガキに、初めから英雄の真似事が務まるわけねえって話を、無かった事にしてもらいてえのか。あ゛ん?」
口汚くジンが罵るや否や、掲げられた杖の先に巨大な火球が出現する。
そこから小さな火の玉が飛びだせば、今度は杖底で叩いた地面を中心に火の輪が広がっていく。
地面と空中から押し寄せる波状攻撃に、しかしジンが焦ることはない。
軽やかに魔法を躱していき、あっさり弾幕をすり抜けてしまった。
「おいおい。そんなチンケな手品じゃあ、俺は殺れねえぜ」
「……ハエが鳴いたところで、ボクの火からは逃げられませんよ」
互いを挑発しても、彼らの声に感情はこもっていない。
再びロットが杖底で地面を叩くと、通り過ぎた炎がすべてジンに押し寄せ、頭上で浮いていた特大の火球も彼に向かって降下し始める。
逃げ場のない状況に、今度こそ仕留められることを確信したのも束の間。
突然ジンが宙に跳んだ姿勢のまま、拳で地面へ殴るように突き立てた。
すると勢いよく灰塵が噴き上がり、彼に向かっていた炎は全て誘爆される。
思わぬ隠し玉に驚かれたものの、すぐにハッと我に返れば“火蜥蜴の尾”を発動。
体の側面を見えない炎の壁で守り、周囲を鋭い眼光で忙しなく警戒した。
辺りを漂う爆煙と灰で視界が遮られ、奇襲を仕掛けるなら今が絶好の機会。
もしも頭上から襲ってくるのなら、空中で逃げ場のない彼に火球を叩き込む。
あるいは“前回”のように地中から足を貫かれても、次は痛みに耐えられる自信がある。
刺されると同時に足元へ魔術を放ち、一瞬で地中にいるジンを丸焼きにできるだろう。
あらゆる角度からの攻撃に備え、自ずと杖を握る力も強くなる。
しかし目の前で粉塵が上がり、堂々と――。
ロットの正面にジンが飛び出してくると、流石に目を丸くせざるを得なかった。
「……っいくら何でも、ボクのことナメすぎじゃないですか!?」
奇襲に備えていたとはいえ、出現位置はもっとも可能性が低いと考えていた場所。
瞬間的に沸騰した怒りを魔力に変換し、杖先へと収束させていく。
今すぐにでも魔術を放ちたかったが、理性が辛うじて想いを踏みとどめてくれた。
さんざんコケにされた手前、一瞬で消し炭にするのでは気が収まらない。
まずはロットが纏う見えない炎の壁で、彼の一撃を弾き返す。
その時にジンの驚いた顔を拝みながら、無防備な彼に思いきり魔術を叩き込む。
数秒先に見えた未来についほくそ笑むも、ふいに灰の塊がロットめがけて投げつけられた。
その勢いも相まって炎の壁は、“一撃”と判断してしまったらしい。
灰は瞬く間に燃え上がり、魔術が解けたことで咄嗟に杖を構えたが、時すでに遅し。
隙間を縫うように蹴られたジンの足は、無防備な脇腹を的確にとらえていた。
「がぅ――…ッ!!」
速さは重さ。ジンの細長い脚が繰り出した一撃は、ロットの体から嫌な音を響かせる。
腹の内側に深々と刺さる痛みに吠える間もなく、勢いのままに吹き飛べば二転三転。
まるで魚のように荒野の上を跳ね、やがて砂丘の側面に体を叩きつけられた。
「……かは!…けへっ、ごほっ…」
衝撃で肺に残っていた空気が喉をせり上がり、蹴られた腹部の激痛はもちろん。
灰の上を転がった痛みも相まって、体中が悲鳴を上げている。
指先を動かすことすら億劫だったが、それでも顔を持ち上げれば、少し離れた場所で佇むジンを見つめた。
「こほっこほっ…ボクの防御魔法、よく対処できましたね。あなたを英雄と呼べるかはともかく、単純な戦闘力だけではやっぱり敵いませんよ」
「戦闘中に何度も唱えてんの見てりゃ、警戒するに決まってんだろ…んなことより」
亡者たちの出現を警戒していたのか。
周囲を見回していた彼の視線が、大の字で倒れるロットに戻される。
「前に言ってた話だが…いまココで死んだら、この場で復活できると思うか?」
「げほっ、ごぼっ……さぁ、試してみない事には分かりませんね…“あなた”が」
精一杯の笑みを浮かべてみたが、満身創痍なのは一目瞭然。
だからこそジンも油断したのか、ロットの掌が砂丘に触れている事に気付かない
地面がみるみる赤く灯れば、ようやく彼も異変を察したが、その時にはもはや手遅れ。
ジンの足元まで急速に広がった光は、巨大な火柱となって一帯を包みこんだ。
轟々と立ち昇る炎は光の柱に負けない輝きを放ち、まるで火竜が咆哮を上げているようにさえ見えたろう。
しかし最後の炎が空へ吸い込まれていけば、暗闇と静寂が一気に吹き込んできた。
ただでさえ何も無かった荒野は砂丘すら消し飛び、そんな空間へ一石を投じるかの如く。
ボフンっ――と。
空から降ってきた少年を、灰がやさしく受け止めてくれた。
「くっ…炎に耐性があると言っても、流石に無茶をしすぎましたね……そうだ、ジンさ…あいつは消し飛んで…ッ」
星の無い夜空を眺めていたのも束の間。
気力を絞って無理やり体を起こそうとしたが、直後に顎へ走った衝撃で後ろに仰け反った。
そのまま回転しながら灰の上を転がり、再び灰の上に仰臥したところで、今度こそ全身の力が抜けてしまった。
「……ごぅっ、ボクの負け…ですね」
もはや悪態をつく余裕も、相手を称賛する言葉も出てこない。
辛うじて瞳を開ければ、目の前にはロットを蹴り上げたジンの姿が映った。
その体はいまだに熱で燻り続け、墨のように炭化して黒々としている。
ロットの炎でも殺しきれなかったことに悔しさこそ覚えたが、敗北することは“死ぬほど”慣れている。
煮るなり焼くなり好きにすればいいと、思考を捨てて瞳を閉じた矢先だった。
「どぅわぁッ!?」と。牛が潰れるような声が聞こえるや、灰が盛大に宙を舞った。
突然のことに長いまつげを瞬かせるも、やがて濃霧が晴れた先で映ったものは、ロットの足元で倒れているジンの姿。
彼の上には焼け焦げた死体が積み上がり、恐らく地中に放った魔術が、埋まっていた亡者たちをも吹き飛ばしたのだろう。
遅れて空からパラパラ降ってくる英雄たちを、ぽかんと見上げていた時だった。
「――なんだ、ちゃんと付いてんじゃねえか」
おもむろに聞こえたジンの声を追えば、彼の頭が足を開いたロットの股間に突っ込まれている。
シュールな光景に一瞬思考が途絶え、ようやく我に返るとすぐさま足を閉じた。
「なっ、どこを見てるんですか!いくら男同士でも、やっていい事と悪い事の区別くらい…ッッ」
「そっちじゃねえよ」
羞恥心に体が火照っていくが、ジンの放った一言で幾分か冷静になれた。
そのまま彼の視線を辿っていくと、ロットの太ももの内側にあった蝶を模る――あるいは4枚の花弁に見える小さな痣が見え、彼の言わんとしていたことをようやく理解できた。
長い長い亡者生活で、もはや自分でも忘れていた“英雄の烙印”。
ジンに視線を戻せば、彼の肩にも同じ紋様が浮かんでいた。
周囲に転がる焼死体の数々も、よくよく観察すれば印がそれぞれ刻まれている。
互いにようやく認識を改めたところで、ゆっくりとジンが起き上がった。
周囲を見回すとその場を離れるが、すぐ戻ってくるとその手にはロットの杖が握られていた。
そのまま無言で差し出され、ぐっと伸ばされた杖先に恐る恐る手を伸ばす。
それから意を決して掴み返すと、一気に体を引き起こされた。
立ち上がったところで杖はあっさり手放され、何も言わずにジンは再び光に向かって進もうとする。
「あ…あのッ…さ、先程はすみませんでした。当てるつもりはなかったんですが、思いのほか火球が大きくなってしまって……その」
いま声をかけなければ、一生言えない気がしたから。
咄嗟にジンの背中に語りかけたまでは良かったが、徐々にその勢いも衰えていく。
チラッと“最初の一撃”を掠めた片腕を見るも、全身が炭化した今となっては、いまさら謝るのもお門違いだったろう。
しかし何を思ったのか。
ふいにジンがロットの元へ戻ってくると、身構える暇も与えられなかった。
そのまま頭を乱暴に掴むや、勢いよく髪をかき乱して、やはり何も言わずに去っていく。
それが頭を撫でる行為であったことに、気付くまで少し時間はかかってしまったが、文句を言おうにも彼との間にはすでに距離がある。
もっともその背中は遠ざかることなく、子供でも余裕で追いつける速度を維持しているのだろう。
ゆっくり歩く彼につい微笑みを浮かべると、気を取り直してジンの背中を追いかけた。