12.家無し人
「気付くのが遅すぎますよ。あとコレ、村で頂いたブドウです。ボクはいらないので、ジンが食べてください」
「……兜で見えなかったもんでな。どんだけ軽いんだテメェは…それに“頂いた”って、いつの間に手癖が悪くなったんだ?」
「ジンが出てったあと、すれ違い様に村の方から渡されたんです。『お爺さんの長話に付き合ってくれたお礼』って…ところで、どこへ行かれるおつもりだったんですか?」
「同盟はあくまで“灰の荒野”を出るまで、だったろうが。いまからどこへ行こうが、俺の勝手だ」
いまだに腰布へしがみつくロットを見下ろすも、やはり態勢が落ち着かないのだろう。
おもむろに足場の枝へ移ろうとするが、ちょっとやそっとで体得できるものではない。
何度も足を踏み外す様子に、渋々ジンが襟首を掴めば、強引にバランスを取らせた。
その間に兜のバイザーをパカっと開けると、素早くブドウを口の中へ沈めていく。
引き抜いた時には房しか残らず、指先で弾くように放り捨てた。
「まだご自分の立場を分かっていないようなので、この際はっきり言いますよ…」
そして声に合わせて視線をロットに戻すも、その顔はいつもの説教臭い時のもの。
灰の荒野を出てまで見たいものではなかったが、ブドウを届けた駄賃分くらいなら。
そう自分に言い聞かせて様子を見守れば、足場の落ち着きに呼応してロットの口が開かれる。
「そもそもボクらが手を組んだのは“脱出”するためでも“共闘”するためでもありません。あくまで“生き残るため”です。だからこそあの世界から無事に帰還できたとは思えませんか?」
「…元の世界に戻ってこれたんなら、もうバケモン相手に警戒する必要もねえだろ。“英雄業”も今の俺らにとっちゃ関係のねえ話だしな」
「もう1度お尋ねしますね。いまボクたちがいる“この世界”が“灰の荒野”と何が違うって言うんですか?」
歳不相応の眼光を浴びせるロットに、当然の答えを返そうとした矢先。
ふと彼の目に映る包帯だらけの我が身を捉え、その下にあるのは亡者と化した骸のみ。
以前ロットにも言われたように、変装したところでジンもまたこの世界では怪物に過ぎなかった。
「ボクらの同盟はまだ終わっていません。それに疑うわけではありませんが、お爺さんが言っていたハミングバウムも、ボクたちが知ってる都ではないかもしれません」
「……ならどうしようってんだ」
「本当に戻って来れたのか確証がまだありません。直接行って自分たちの目で調べる必要があるでしょう…それとは別に確かめたい事もありますし、うわっ!」
油断し切っていたところでパッと襟首を放すや、そのままロットは落下していった。
悲鳴を上げる間もなく茂みに受け止められ、ポカンと見上げていたのも束の間。
直後にロットを追って地上に着地したジンは、颯爽とその場をあとにした。
向かう方角は老人から聞いた町でもなければ、王都ハミングバウムでもない。
ただブリッジフォールの名は聞き覚えがあり、村で聞いた話から“およそ”の位置を叩き出したのだろう。
何も告げずにジンが向かおうとした先は、むしろロットもまた目指そうとしていた場所。
だからこそ口を挟むことなく、頭の葉っぱを払いのければ、再びジンと共に道なき道を進んだ。
「ほんと素直じゃないんだから……って、それはお互い様ですかね」
ため息を零しながらも時折獣道に入るが、大抵歩くのは茂みの山と森の海。
一筋縄ではいかない行程に辟易しつつ、それでも休憩や星の下での野営を繰り返すこと数日。
やがて一層深い森に囲まれた土地に出れば、思わぬ道のりについロットが愚痴を零していた。
「……故郷のロンド村に住んで結構長いつもりでしたけど、こんなに森が深い場所なんてありましたっけ」
「奇遇だな。俺ん時は崖に簡単な橋がかかってただけだったぜ」
「ボクもですよ。それに橋を渡った先はハミングバウムまで一本の道を歩くだけでしたし、村まで裏から回って進んでいるとはいえ、こんな急勾配な山も無かった気がするんですけど…」
「口を動かす暇があんなら、足を動かしたらどうだ」
「言われずとも動かしてますよっ。手も、足も、体も!」
急な坂道を這うように進むロットとは対照的に、ジンは悠々と長い脚で登っていく。
嫉妬すら覚える彼の長身にため息を零せば、再び険しい山登りが再開された。
岩や木々を支点に体を持ち上げ、その度に何度汗を拭ったかもはや覚えていない。
休める場所もなくがむしゃらに移動するも、ふいに伸ばした腕が勢いよく空振った。
そのまま体がベタリと地面に倒れ込み、思わず驚いたものの何ということはない。
気付けば山道も終わっていたらしく、目の前に広がるのは森ばかり。
少しは一息つけそうな状況に吐息を漏らせば、入れ違いにジンがポツリと呟いた。
「間違いがなけりゃ、この先に村があるはずだ。くたびれ儲けにならなきゃいいが」
「…ふふっ、その時はまた杖を倒して、行き先でも決めましょうか?」
体を起こしながら冗談めかして告げるや、直後に抱えられて森の中をジンが疾走する。
一刻も早く結果を知りたくて、彼も気が気ではないのだろう。
「――でも、もっと優しく扱ってくださいよ!!ぶぇっ…」
茂みや枝が当たるのも構わず、やがてロットの悲鳴すら聞こえなくなった頃。
ふいにジンの足が不自然に止まり、草だらけの顔をあげたロットも途端に表情を変えた。
崖間際に佇むことで2人の視界に飛び込んできたのは、眼下に広がる故郷の姿。
木で出来た素朴な家の数々に、拙いながらも整備された歩道。
庭の花に水をやる老婆。
軒先で杖を振り回しながら近所の子供を怒鳴りつける老人。
花を摘んで楽しそうに話す娘たち。
そして家事も忘れ、忙しそうに会話に没頭する奥様たち。
「……ロンド村だ…あ、あの生垣で走り回ってるのって、サンダとブレイクじゃないですか?それにクレアおばさんに、カーネルおじさんまで相変わらず元気そうで……でも、それにしても何かが」
見覚えのある世界に疲れが吹き飛び、懐かしさに心が躍っていたのも束の間。
思い出は不協和音によって掻き乱され、違和感につい顔をしかめた。
かつては村の中央に小河が流れ、そこには小さな桟橋が架けられていた。
水面を流れゆく木の葉を眺めるのが好きで、子供の頃は橋のふちが定位置だった。
村も山の幸を王都に届けることで生計を立て、積みカゴが必ず各家庭の戸口に置いてあった。
それが今はどうだろうか。
川は跡形もなく消え、あちこちで畑や家畜が扱われている。
カゴの代わりにクワや荷車が置かれ、王都へ降りるためのロンド橋も見えない。
村一帯が深い森に囲まれ、記憶にある情景との違いに戸惑いを隠せなかった。
しかし真に違和感の正体に気付くや、途端に顔をハッと上げた。
「…村のみんな、心なしか若くないですか?村も自給自足できる体制が整っていますし……これじゃあまるで…」
「村を回るぞ」
言い終わるのも待たず、すかさずロットを抱えたままジンが走りだした。
おかげで風が勢いよく顔に叩きつけられるも、横目に映るのは平穏な村の景色そのもの。
一帯は侵入者を拒むような地形が続き、中央に流れていた川も森の奥へ移ったのだろう。
穏やかな流れは激しいものへ変わり、断崖絶壁を繋ぐ橋も長く立派な物に挿げ替えられていた。
外界から完全に村は隔絶され、そしてロットが指摘していた通り。
村人たちにはかつての面影こそあるが、幼さや若さが各々に見て取れた。
まるで2人が過去へ遡ったようにさえ感じるも、それでは環境の劇的な変化に説明がつかない。
疑問こそ次々と沸き立つも、しかし1つだけ変わらない場所があった。
村から少し離れた一軒家に、否応なくロットの記憶が刺激される。
「――…ボクの、家だ」
咄嗟に零した一言にジンが反応するや、その緊張が彼の腕を通して伝わってくる。
そのまま彼の言葉を待ってみたが、無言を貫くその姿勢こそが答えだったのだろう。
“ジンの家”でもあった場所にそれ以上詮索することはせず、代わりに家を静かに見守った。
すると程なく近所に住む老婆が花かごに野菜を積み、扉を軽くノックした。
間を置かずに中から出てきた女は微笑を浮かべ、お裾分けに感謝している仕草を見せる。
「…きれいな方ですね」
「なんだ、あーいうのがタイプなのか?それにあの婆さん、まだ歩けたんだな」
「なっ、違っ…変な詮索をしないでください!それよりもあの女性、ボクの……ボクらの生まれた家に住んでるみたいですけど…もしかして…」
「あの女が英雄ってわけじゃねえだろ。それより婆さんが渡してるちっこい服、中にガキでもいるんじゃないのか?」
老婆が帰っていくと女も中へ戻り、ようやく互いに顔を見合わせると再び家に視線を向けた。
それからも監視を続けたが、大きな変化が起こるわけでもない。
女が庭仕事に勤しむこともあれば、村の住人が鼻の下を伸ばしにくる事もある。
どこの村でも見るような景色を眺めていると、気付けば辺りは暗闇に覆われていた。
働きづめだった住人たちも全員家路につき、フクロウと川の流れが遠くから聞こえてくる。
誰もが夜の静けさを漫喫できるなか、ふいに一陣の風が女の家を駆け抜けた。
庭を通って2階へ難なく辿り着き、窓もあっさりと内側に開かれる。
するとその部屋には小さな服が入った棚におもちゃ箱。
そして揺り籠が視界に映り、ゆっくり背後で窓が閉められると、2つの影が恐る恐る篭を覗き込んだ。
「…赤ちゃん、ですね……もしかしてこの子が次の…って何やってるんですか!」
「このガキが“そうなのか”確かめるって言ったのはテメェだろ。なら俺たち同様に印がどっかにあるはずだ」
「だからって片足を持ち上げる人がどこにいますか!?今すぐ降ろして…それにボクは“機会があれば”と言っただけで、不法侵入するなんて元英雄として信じられませんっ」
「そもそも人じゃねえよ」
「突っ込むところもそこじゃないです!」
一方的な言い合いに発展したのも束の間。
ふいに眠っていた赤ん坊がぐずり出し、途端にロットが顔色を変える。
慌てて籠を揺らせば赤子も小さな手で瞼をこすりながら、再び眠りにつこうとしていた。
安堵するロットを尻目に、ジンも暇を持て余したのか。
家を見て回ると言って部屋を離れ、引き留めようにも声を上げる事ができない。
渋々彼の背中を見送れば、おもむろに欠伸をした赤ん坊に視線をおとした。
天使のような寝顔を浮かべるこの幼児は、果たして彼らが見た地獄をくぐることになるのか。
まだ痛みも知らない柔肌を優しく眺めると、ソッと揺り籠から距離を取った。
「…あなたが英雄ではない事を祈りますよ。村の外は……危険でいっぱいですから」
「印は見つかったのか」
ニッコリ微笑みかけるや否や、突如背後から話しかけてきたジンに体が飛び上がった。
咄嗟に口を押さえて声を抑えれば、すぐさま彼を鋭く睨みつける。
「…家探しは終わったんですか?」
「まぁな。少なくともこの家に住んでるのは、あの女1人だけだ。もっとも宝石類も何も持ってねえし、盗れる物も売り飛ばせる物もなかったがな」
「淑女の寝床に這いよったんですか!?あなたって人は本当に英雄だったん……」
大袈裟にため息を零しかけた刹那。
ふいに廊下が軋むと、一瞬で体が硬直した。
それから扉がゆっくり開いたものの、その時には2人が窓から逃げ出したあとだった。
「…誰かいるの?」
不審な物音に恐る恐る女が声をかけるが、部屋には赤ん坊しかいない。
強いて言えば窓が開きっ放しになり、夜風がカーテンをなびかせている。
「たいへん、赤ちゃんが風邪をひいてしまうわ……それにしても突風でも吹いたのかしら?」
疑問を口にした女がすかさず窓を閉めれば、そのまま揺り籠へと近付いていく。
世界で1番の宝物は我関せずに眠り続け、その光景にホッとしたのだろう。
はだけた毛布を直すと頬を優しく撫で、それからも静かに赤ん坊を眺めていた。