11.元の世界
朝日が昇る頃には焚き火もとっくに消え、ロットたちはいくつもの山や森。
そして時には崖を越え、夜になれば休息を取る旅路を続けていた。
灰の荒野と違って、眠気や空腹を覚える事はもちろん。
ロットの速度に合わせている事が、相変わらず移動を遅くしている要因でもあったろう。
いつまでも人里に辿り着く気配もなく、内心ヤキモキしているのも否めなかった。
「…もういっぺん杖を倒した方がいいんじゃねえのか?」
「それで元来た道が指されたら、本当にソッチへ向かいますからね」
ジンの軽口に口を尖らせて返すも、その余裕があるのも灰の荒野のおかげかもしれない。
道なき道を進むひたすら行程には慣れており、やがて植林や伐採の跡。
さらには足跡まで薄っすら残っていれば、自然と警戒心や期待も込み上げてくる。
念のため慎重な足取りに切り替え、程なく森の切れ目に辿り着いた時。
「……村だ」
茂みから覗くロットがポツリと告げるや、ジンもまた木の後ろからジッと村を睨みつける。
そこには農作業に従事する者が。
“普通の人間”が畑を耕し、端で流れる川では釣りに勤しむ住人もいた。
いよいよ元の世界に戻ってこられた可能性に、手を上げて喜びたかったのも束の間。
飛び出したい衝動をグッと堪えれば、すかさずロットはジンの方に向き直った。
「いいですかジン。ボクたちは…少なくともあなたの外見は死人そのものです。今行けば問答無用で退治されても文句が言えない姿をしているわけですから、まずは冷静に村の規模を調べて…」
「把握できたところで襲撃か?」
「…何があっても対応できるようにしましょう。あわよくば体を隠せる物を見つけて…あまりしたくはないですが、最悪夜に忍び込んで衣服を失敬するほかありませんね」
気の進まない提案を話しながらも、概ね理解は示されたらしい。
早速左右に分かれて村を回り込むが、颯爽と姿を消したジンとは異なり、匍匐前進で移動するロットの速度は牛歩そのもの。
見つかればタダでは済まない事は、“前世”でも嫌というほど経験してきた。
だからこそ慎重な行動を徹底し、村を横目に見ながら移動を繰り返していた時分。
「…なにやってんだ?」
ふいに頭上から降ってきた声に飛び上がりかけるも、慌てる必要はどこにもない。
慣れ親しんだ声に呼応してゆっくり立ち上がれば、まずは落ち着いて体の砂埃を払った。
それからキッと見上げた先には、やはりジンが怪訝そうに立ち尽くしていた。
「なにチンタラしてんだ。もう全部見終わっちまったぞ」
「見終わったって、こっちはまだ半分も進んでいないんですが…」
「走れば済む話だろうが。それより向こうに使えそうなもんがあったぜ、ってなに不貞腐れてんだよ」
「…分かれる前に隠密行動の重要性を説いたつもりだったんですが、なぜ堂々と立ってらっしゃるのか疑問に思っただけです。あと不貞腐れてません」
「そんなの見つからなきゃいいだけの話だろ。いいからとっとと来いや」
ロットの追及を意にも介さず、颯爽と小脇に抱えられるとジンが来た方向へ引き返す。
その間も見つからないかと、常に肝を冷やしていたのも数秒だけ。
程なく村外れの陰気臭い空間に出れば、盛り上がった土から突き出した石板が見えた。
素人目にも“墓場”であることは見て取れ、同時にジンの目論見を否応なく理解してしまう。
「…これが“使えるもの”ですか?」
「他になにがあるんだよ」
疑問にそっけなく答えられ、思わず溜息を零してしまうが、これが最適解であることも事実。
最優先事項は村人を尋ね、元の世界に戻ってこれたかを確認することでもあった。
そのためにも服の入手は必須であるが、今ある選択肢は人家から無断で拝借するか。
それとも住人を襲って、着ている衣服を奪うか。
それとも墓を荒らすかの三択。
死者から調達できるのなら、生者にも迷惑をかけずに済むだろう。
短い葛藤の末に答えを導き出すと、墓前に手を合わせていたのも束の間。
ふと聞こえた不穏な音に顔を上げれば、案の定墓石が勢いよく引き抜かれていた。
それをシャベル代わりにどんどん墓土が掘り返され、死者への冒涜を絵に描いたような光景が、延々と目の前で繰り広げられる。
「…何やってるんですか」
「あ゛ん?なんか言ったか?」
「なんで躊躇もなく墓を漁ってるんですか!もっと手厚く扱ってくださっ、って棺桶の蓋を叩き壊さないで……ボクの話、聞いてます!?」
声を潜めながら叫ぼうとも、ジンが耳を貸すことはない。
手際よく墓土をどかすと、程なく棺桶がいくつも地表に姿を現した。
蓋は豪快に破壊され、それから敬意もなく死者が漁られていく。
天罰が下っても言い逃れできない光景に、しかしいまさら怖気付いても仕方がないだろう。
すでに女神から見放され、いまは半死人となった身。
それでも周囲を見回してから手を合わせると、恐る恐るロットも調達に加わった。
幸い埋葬されていたのは戦闘員だったらしく、村の自警団なのか。
それとも雇われ冒険者だったのか。
どちらにしても好都合な戦利品の数々に、まずは自分に合った装備を探していく。
血に染まったもの。
半壊したもの。
古びて使えないもの。
様々な状態の物を選り分ければ、やがて2人の装備も無事に整った。
魔獣の皮で加工されたローブを頭から羽織り、丈を調整した服をその下に着込む。
変色した部位はお供えの包帯で二重に巻けば、ひとまずロットの見た目はひと段落ついた。
「…こんなところかな。ジンはどう…でしたか」
土埃を払いながら振り返るや、そこには薄い鎖帷子の上からローブを羽織った男がいた。
長い手足は包帯や腰布で隠され、顔は鉄兜の上からフードをくるんだ奇怪な出で立ち。
その風貌は傭兵よりも暗殺業に向いていそうだったが、それでも人前に出るための装備は手に入ったのだ。
死者に感謝こそすれ、文句を言う筋合いも相手もいない。
「ひとまず村の入口まで…大回りにはなりますが、今から移動しましょう。さりげなく入村して“この世界”の情報を引き出すのが目的なんですからね?」
「説明されずとも分かってるっつの。そのために仮装したんだろうが」
「変装と言ってくださいっ…じゃなくて、コレがボクたちの正装です。何かの仕事で立ち寄ったことにしたいんですが……ジンは服装も相まって怖がられないか心配ですね。偏見で申し訳ありませんけど」
「…喋りはテメェに任すぞ」
道すがら続いた会話も途絶え、やがて村の柵を回り切ったところでピタリと足を止めた。
死者以外との対面に改めて緊張を覚えるも、直後にジンに膝で突かれると一歩進んだ。
訝し気に振り返りながらも渋々2歩進み、ひとまずは無事に入村ができた。
しかし来訪者が珍しいのか。
それとも2人の出で立ちのせいか。
途端に手を休めた村人たちは、一斉にロットたちを静かに見つめ出した。
まるで鹿のように動かない彼らに、いっそ何事も無かったかのように村を通り過ぎる事も勘案した矢先。
ふいに襟首をグッと引っ張られ、否応なしにジンと目が合った。
「おいっ、なにボサーっとしてやがんだ。怪しまれんなって言ったのはテメェだろうが」
「わーっ!ちょっ、兜の前を上げちゃダメですって!今のジンは顔面凶器なんですから……その、ジンが話しかけてみます?」
「…オレの図体で話しかけて、素直に応じる連中だと思うか?」
「思わない」と言いかけた口をグッとつぐみ、素早く周囲を見回した時だった。
「……あんたらぁ、その包帯…どこで手に入れた?」
1人の住人がクワを担ぎ、訝し気にロットたちを睨みつけてくる。
「まさかぁ…墓のお供えを勝手に持ってったわけじゃあ、ねえだろうな?」
「…あんたらが誰だが知らんが、田舎者だからって好き勝手やっていいわけじゃねえぞぉ」
2人。3人と。
殺気立った住人たちが各々農具を持ち、ゆっくりと集まってくる。
墓を荒らした際に見た死者の傷跡からも、恐らく村に所縁のある最期だったのだろう。
彼らの怒りはもっともであり、仮に嘘をついたところですぐにバレるのは明白。
今後訪れるだろうよそ者の肩身が狭くなるうえ、そもそも情報を聞ける状況ではない。
ひとまず“嘘の説明”と謝罪を試みるも、ふいにジンが幽霊の如く前に出た。
「死人に使い道が無さそうなんで、ちょいと借りてるだけだ。連中が文句を言いに来たら喜んで返してやるよ」
「へんっ。威勢だけは買ってやるよ、都会者がっ!」
悪びれる様子もなく、淡々と返答するのは実にジンらしい。
ここが灰の荒野ならとても頼れる存在なのだが、生憎といまは元の世界と思しき場所に。
それも亡者ではなく、相手は戦闘経験もない一般人。
異様な風体の男が放つ空気に押され、威勢のわりに住人たちが前に出てくる気配はない。
加えて互いの溝は深まるばかりで、もはや話し合いの余地もないだろう。
住人たちには悪いことをしたが、大人しく村を去る方が賢明だろうと。
溜息を零しながらジンの腰布を引き、諦めて踵を返そうとした刹那。
「お前たちやめんか!!血を流すことはたとえ仏様が許しても、ワシが許さんぞ!!!」
突如しわがれた声が一行まで届けば、一斉に視線が音の出どころへと向けられる。
そこには杖を突いた老人が曲がった腰を押さえ、ゆっくりとロットたちに近付いてきていた。
「…あんたら、戦士ギルドのもんかね?」
「そんな大層なもんに見えんなら、俺たちもまだ捨てたもんじゃねえな」
「ここは遥か北の外れにある村なんじゃ。そうでなければあんたらみたいな輩が、この村になんのようだ」
「…突然お邪魔してしまって申し訳ありませんでした。ボクらは…あちこち見て回ってるただの旅人でして…ところでハミングバウムという大きな街を知っていますか?お城があって、城壁もあって…」
「……あのな。わしが田舎者の老いぼれだからってバカにしちゃいかんぞ、お嬢ちゃん。この村から出た事はなくとも“はんみんぐなんたら”という街くらい知っておるわ!あすこにどれほどご大層な歴史があるのか分からんが、このルーカン村にも立派な語り草の1つや2つはあってじゃなー!」
徐々に興奮しだした老人の声に熱がこもり始めるも、大切なのは村の歴史ではない。
王都が実在することを聞けただけでも十分な成果であり、少なくとも性別の間違いを聞き流す価値はあった。
あとは王都までの道のりを聞きだし、一刻も早く村を離れるだけ。
ロットたちは目的を果たせ、住人たちも2人にこれ以上関わらずに済む。
「――そいでな、貧しいながらも皆で助け合ってだな!」
しかし杖の存在も忘れ、両手を振り回しながら語る老人の話はなかなか終わらない。
周囲の村人も「また始まった」と言わんばかりに、次々いつもの日課に戻っていく。
ジンも彼らに同調するように後退を始めるが、すかさず腰布を掴んで語り草の道ずれにした。
老人の話によれば、かつて村にまだ名すら無かった頃。
突如現れた魔物が作物を荒らし、喰われては育て直す生活が続いた。
守ろうと妨害すれば襲われてしまい、献上するだけの生活にとうとう若い衆が決起すれば、村の金をかき集めて武具を用意したらしい。
村不相応の装備と皆の想いを背負った彼らは、意を決して魔物退治に出立したのだった。
「……とまぁ、魔物を倒すことには成功しても、その時の傷が元で皆命を落としてな。この村の名はその若い衆を率いた青年から名付けられ、彼らは英雄として手厚く葬られたんじゃ。助け合いと勇気の象徴としてのぅ…普段は土地を潰さんためにも火葬にするんじゃが、実は何を隠そう。わしの曽祖父の友人の弟もあそこに埋まっておってな。もしよければ手でも合わせてやって…お嬢ちゃん、顔色が悪いが大丈夫かね?」
大袈裟に手を動かしていた老人が声をひそめるや、心配そうにロットの顔を覗こうとしてくる。
手を合わせるどころか、彼らの英雄たちとは先程“対面”してきたばかり。
それだけに飽き足らず身ぐるみまで剥いでいるとなれば、到底許される行為ではない。
罪悪感に苛まされるも、すかさずジンが2人の間に割って入った。
「悪ぃなジイさん。オレらも先を急ぐんだ。ここから一番近い街を知らねえか?教えてくれりゃ墓の下の連中と向こうで遭った時、代わりに挨拶しといてやるよ」
「ふぉっはっは、この不敬者め。だが…そうじゃな。もし会えたらわしら村の者の感謝と、お前さんたちの旅の話でも伝えてやってくれ……さて、町じゃったな。ここから南西にブリッジフォールという町があるぞぃ」
「…あ、ありがとうございます……その、お供えものは…」
「あー、ええんじゃ。ええんじゃ。そういったもんは生者が使ってこそ意味があるからのぅ。死後も頼りにされて、あの方々も草葉の陰で喜んでおろうて…それとじゃな」
笑みを浮かべた老人の顔にシワが寄れば、少し離れた場所で佇む女性に合図を出す。
彼の世話役なのか、親戚なのか。
いずれにしてもクスクス笑いながら家に引っ込むと、程なくブーツを持って近づいてくる。
「孫の使い古しで悪いがな。裸足で山中を歩くのもお嬢ちゃんには億劫じゃろうて。そちらの御仁は…」
「俺はこいつで十分だ。せいぜい長生きしろよジイさん」
包帯で巻かれた足を軽く見せれば、老人の快活そうな声が聞こえてくる。
それから別れの挨拶も程々に村を離れると、辛うじて残る獣道を使って次の町を目指した。
頂いた靴の調子も履き心地が良く、おかげでロットの歩調は順調そのもの。
しかしそれが余計に心へ重く圧しかかれば、徐々に足取りも重くなっていった。
「…死人の俺らが、“昨日今日”死んだ連中の身ぐるみを剥いだところで、いちいち気を悪くする必要もねぇだろ」
「……これだけ良くしてもらったのに、村の名を穢してしまったのが何とも言えないといいますか」
「墓は元の状態に埋め直したんだ。村の連中にバレっこねえよ」
「そういう問題だったらここまで落ち込んでませんよ。そうではなくって、ボクたちのような偽物と違って、“本物の英雄”の墓を暴いた事がどうにも…」
「ジイさんも言ってたろ?くたばった後もオレらの役に立ってんだ。返してほしけりゃ、そん時は殺し合うだけだよ。“死人の流儀”に乗っ取ってな」
「……もし灰の荒野で彼らと会う羽目になったら、ボクと一緒に謝ってくださいよ?」
ぶっきらぼうながらもジンらしい言葉に、どれほど救われたか恐らく気付いていないだろう。
改めて彼との出会いに女神へ感謝を捧げかけたところで、ふと思考が止まってしまった。
果たして2人が英雄に選ばれた事は、そもそも祝福だったのか。
あるいは呪いだったのか。
それとも“間違い”だったのか。
意思を疎通できない女神相手では、答えが返ってくるはずもない。
彼らの旅路もどんなものになるか検討もつかないが、ふいにジンの足が止まった時。
思わず彼の背中にぶつかりかけて、怪訝そうに顔を見上げた。
それからジンがゆっくり振り返るや、一陣の風が2人の服をなびかせる。
「快適な旅路には程遠かったが、それでもそこそこ楽しめたわな。じゃあ……――ここでお別れだ」
ポツリとジンが言い残すや否や、軽く地面を蹴ってそのまま木の上へと着地する。
そのまま木から木へと。
鳥が飛び立つ間もなく距離を離し、やがて前方で実ったりんごの木で一旦足を止めた。
早速1つもいで一齧りするも、熟れすぎて食感もみずみずしさも無い。
ハズレに辟易しながらも食べ切れば、物足らない後味にもう1つ。
今度こそ当たりを引く事に期待したものの、自然と腕は肩越しに“生えていた”葡萄を手に取った。
そして口に入れる前にピタッと再び止まれば、振り返った先には腰布に張り付いた少年が視界に映った。