1.灰の荒野
「――いい加減死ねやオラァァアアぅぅうううぉぉおお!!??」
敵の首を斬り飛ばした直後。
背後から現れた槍使いの一閃を、咄嗟に仰け反って躱した。
その姿勢のまま槍の柄を蹴り上げれば、突き出した勢いのままに相手はつんのめる。
絶好の機会に、弧を描くように上半身を振れば、一刀のもとに相手を両断。
これでようやく長い戦いに終止符も打たれ、ホッと安堵したのも束の間。
すぐさま地面一帯を覆う灰からアンデッドたちが新たに這い出してきた。
「おいおい、いい加減勘弁してくれっての」
連戦に次ぐ連戦で、とっくに体はボロボロ。
受けた怪我の中には、体向こうが見えるほどの切り傷もあったが、“ミイラ化した体”に痛覚はない。
片足、片腕だけでも戦えそうな今の姿のおかげで、何とか長期戦に持ち堪えていた。
しかし不思議と疲労だけは蓄積し、枯れ木のように痩せた手足も徐々に動かなくなっていく。
それでいて武器を携えた亡者が、際限なく地下から這い出してくる、この現状。
遅れを取った隙を。
数の暴力を前にしては容易く打ちのめされ、最期は敗北者らしく地面に突っ伏すことを余儀なくされてしまう。
「…てめぇら全員、顔は憶えたぜ…“次遭った時は”死ぬほど後悔させてやっから、首を洗って待ってやがれっっ…!」
死力を絞って啖呵を切るが、周りを囲む亡者たちが反応する様子はない。
程なく武器が次々振り下ろされ、鈍い音が外側。
そして内側からも断続的に聞こえ、刃や鈍器の感触が全身に行き渡っていく。
瞳の光も徐々に暗転し、やがて深淵に意識が沈む感覚に身を委ねていた矢先。
踵を返すように自我が浮かび上がれば、次に目覚めた場所は灰の上。
屍同然に横たわる自分の体を起こし、気怠そうに一帯を見回した。
そこはやはりドコとも知れない、広大な灰の荒野のど真ん中。
右を見ても。左を見ても。
最期を迎えた場所に戻ってきたのかも、判別することはできなかった。
「……諦めたのは失敗だったのか。そうじゃなかったのやら…」
死に。
そして起き上がる度に自身へ問いかける疑問には、未だ答えが見つからない。
生きていた時は、英雄の重責と死に戻りに辟易し。
死んでからは、運命に背いた罰とばかりに、殺し合いの日々を送らされている。
「…さて、と」
思うことは沢山ある。
しかし過去を振り返ったところで、それらを取り戻せるわけでもない。
現実逃避もほどほどにすれば、砂漠にも似た一帯の景色を一瞥。
それから体に残った灰を落としていくが、先程負った傷は1つも見当たらない。
周辺の景色同様に、見慣れたミイラの肉塊が映るだけだった。
干からびた手には武器が握り締められ、次に落ち窪んだ眼窩が視線を移した先は、遥か地平線に降り注ぐ光の柱。
“生前”も死に戻る際は光に向かって復活していたが、その時は暗闇の中を歩いただけ。
それが1度拒絶しただけで灰の荒野に落とされ、地獄のような時間を繰り返している。
「生きてても死んでも、結局目指す場所は同じか……蛾でもあるめぇし…」
文句を言いながらも体を反転すれば、灰を踏みしめて何百。何千。
何万回目の挑戦とばかりに、再び光の柱に向かって歩き始めた。
そこに希望を見出したわけでも、ましてや奇跡を期待していたわけでもない。
言ってしまえば“暇潰しの一環”。
延々出現する亡者たちの相手をし続けるよりかは、よほど建設的だろうと考えての行動だった。
だったのだが…。
「…またお出ましか」
ものの数分。あるいは数時間。
星の無い夜空が覆うせいで時間の概念も死んでいるなか、再び地中から亡者が出てきた。
それぞれが剣や斧。
あるいは弓、槍と。
多種多様な武器を持って迫ってくるが、厄介なのはそれだけではない。
すでに多勢に無勢だと言うのに、その中で雑魚と呼べる個体が1体もいないのだ。
「……どうした。牽制してるだけじゃぁ、俺は仕留められねえぜ」
そして挑発をかけても反応が無いのは、相手が亡者ゆえか。
だとしても間合いを取り、考えなしに突っ込まないあたりが、自我の無い怪物の動きとは思えない。
あるいは生前の戦闘経験が、彼らをそうさせているのか。
だとしたら互いに殆ど変わらない姿に成り果てた手前、両者を隔てるのは自我の有無だけ。
自分の一歩先の未来を行く彼らを鼻で笑えば、それが合図となったのだろう。
一斉に襲い掛かってきた亡者たちに、すかさず武器を構えた直後。
突如敵の背後から巨大な炎球が迫り、真っすぐ向かってくる様にすぐさま地面に潜った。
すれ違い様に起きた爆発音が地鳴りを起こし、しばらく続いていた燻りも徐々に薄れていく。
その間も地中から様子を窺いつつ、記憶を辿って魔術の発動地点を特定し、およその方角が決まったところで地中遊泳を開始。
灰の中を物ともせずに進むと、やがて感知した振動にピタリと動きを止めた。
1人分の足音から察するに、先ほどの魔術でほかの亡者は殲滅できたのだろう。
今は戦果を確認しようとしているのか、爆発地点まで移動している途中らしい。
「ほぉ、ずいぶんと余裕ぶってやがるみてぇだなぁ」
地上に届かない声で毒吐けば、剣をゆっくり垂直に立てた。
徐々に近づいてくる振動に集中し、やがて狙いを定めた地点を踏みしめた瞬間。
一気に剣先を、地上へ勢いよく押し上げた。
「あ゛あ゛ぁぁああああああーーーーッッ……ぅぅっ…」
手応えあり。
切っ先を通して相手の悲鳴が伝わってきた――と同時に、ひどく困惑も覚えた。
亡者たちは声を発することはせず、加えて今聞こえた断末魔も高音すぎる。
猛烈な違和感に見舞われ、恐る恐る地上に頭を出して確認しようとした時。
突如炎の渦が眼前まで迫り、再び灰の中へ素早く潜った。
致命傷を与えたわけではないのだから、反撃を受けるのは当然のこと。
しかし潜るまでの刹那に見えた光景に、一瞬思考が止まる。
それから辟易したようにため息を零せば、ゆっくりと。
あくまで“ゆっくり”と、再び剣を地上に突き出した。
相手を驚かせて、また魔術を放たれたのでは話にならない。
剣を1本地上に置き、そのまま片手を野に咲いた花のように開けておく。
残るもう片方の剣も捨てれば、同じように手を広げておくが、攻撃される素振りは無い。
ひとまず安全は確保できたところで、いよいよ全身を地上にせり出した。
それでもなお魔術は飛んでこず、どうやら“事前の交渉準備”が役に立ったらしい。
ようやくまじまじと相手を観察すれば、まるで乙女のように座っていたのは“小さな1人の子供”。
フワフワとした年季を感じさせない髪も相まって、一見して少女とも見分けがつかなかった。
もっとも、子供らしからぬ鋭い眼光が。
何よりも自身の身の丈を超す杖を真っすぐ向けられては、まだ腰を落ち着けるには早いらしい。
「…その場から動かないでください。敵意が無いということは……ボクの言葉、分かりますよね?」
再び小さな口から紡がれる“言葉”は、久しく忘れていた人間性の証。
思わず懐かしさすら覚えてしまったが、いまだに両者の間では緊張が走り続けている。
それもひとえに、地中から喰らわせた一撃で少年が動けないからなのだろう。
チラッと視線を移せば、貫かれた足を止血するように灰の中へ突っ込んでいる。
「もう1度だけ伺います。あなたに自我はあるんですね?」
「……まぁな」
二度も問いかけられ、思わずぶっきらぼうに返答してしまった。
しかしその一言で十分だったらしく、少年が武器を降ろせば心底ホッとしたのだろう。
胸に手を当て、何度も深い呼吸を繰り返した。
それから少年が足を引き抜けば、傷口はきれいさっぱり消えていた。
砂漠のように一帯を覆う灰に治癒効果があるのか。
それとも地獄のような空間の亡霊と化した“彼ら”の特性なのかは分からない。
いずれにしても深手を負った彼らが動き続けられる原動力の1つであり、そして亡者たちが復活を繰り返している秘密でもあるのだろう。
「…ところでよ」
しかし治癒の神秘についてはとっくに知っている。
別の事柄へ注意を向ければ、灰を払っていた少年へおもむろに声をかけた。
「なんでテメェは左半身だけ色が変わってんだ?それとも目の色が右は青、左は赤ってのに、わざわざ合わせてんのか?」
「…顔色は想定してましたけど、目の色まで変わっていましたか……あなたから一撃もらいましたが、先に手を出したのはボクの方です。これでお互いチャラという事で仕切り直しましょう。はじめまして、ボクの名前はロットと言います」
少年の左半身が赤紫に変色していることを指摘しても、当人が動揺する様子はない。
むしろ座り直して体を向けてくるや、何事も無かったかのように自己紹介までしてきた。
握手こそしてこないが敵意はなく、それがむしろ火球を突如放った彼をますます怪しく見せた。
「さっきまで敵だったくせに、もうお友達ってか?どんなめでたい頭してんだテメェは」
「あなたの友達になるなんて願い下げです。ただ会話が出来るだけ、ほかの人たちに比べたらマシだと思って、一時的に同盟の申し出をしているだけです。念の為にもう1度言いますが、ボクの名前は…」
「あー、ロットだろ。ロット。俺はジンってんだ。宜しくとは言わねえが…テメェはココがどこだか分かるか?」
「その質問に答えるためには、ジンさんの協力が必要です。お願いできますか?」
初対面にも関わらず、淡々とロットは会話を進めていく。
しかし一方でジンは、少年の言葉尻の1つ1つに。
何よりも頭がいいと思い込んでいる子供特有の振る舞いに、協力する気がみるみる削がれていく。
それはたとえ常時危険に晒されている、灰の荒野にいようとも変わらなかった。
「無言は了承と捉えさせて頂きますね。早速ですが…」
承諾を得ないまま、さらに会話を続けようとしていた矢先。
おもむろに感じた違和感に双方がハッと顔を上げれば、自然と背中を向かい合わせていた。
「まず!ココに来る前は何をされていましたか!?」
「ンなこと言ってる場合かッ。話ならあとで…」
「あなたがココでやられたら、次に会える保証は無いんですよ!?せめて有意義な情報を残してから、心安らかに旅立ってくださいッ」
次々這い出てくる亡者たちよりも、衝動的に背後の少年を叩きのめしたくなる。
それでも彼の視線が突き刺さると、やむなく散開して敵を迎え撃つ傍ら、“協力”することに同意した。
久しぶりに会話ができる口実が無ければ、仮に生きていた頃でも回答することはなかったろう。
「それで、何をされていたんですか!?うわっ!…このッッ」
「あ゛ぁ~…魔物退治をして、気が向いたら人助けもしてたな。そういう仕事をなんて言うんだ!?」
「傭兵、でしょうか!?でもその前にナニか……何か信じられないような出来事がありませんでしたか!!?」
「……おふくろが知らねえ男と夜に…」
「真面目な話をしてるんです!!」
杖で亡者が振るう棍棒を受け止めながらも、炎の魔術で相手を焼き払うロット。
戦力の分散で余裕が出来たからか、その鬼のような声についカラカラ笑ってしまった。
もっとも彼の殺意が向けられては。
加えて亡者が次々現れていては、ふざけている場合でもない。
少し考え込んだふりをしながらも、やがて笑われる覚悟で渋々彼に答えることにした。
「…ガキの頃に変な夢を見てよ。お前が選ばれし者だー、だの。光の道を進めだのなんだの…最初は無視してたんだが、あまりにも毎晩しつこいんで、その光のなんちゃらってのを見に行ってやったんだよ」
「……その光の道って言うのは、朝日が差し掛かった滝のことじゃありませんでしたか?」
淡々と話していたつもりが、ふいに図星を突かれたからだろう。
一瞬動きを止めた隙に敵から一撃を入れられかけるも、直前にロットが対象を焼き払った。
「ボクも聞いたことありますよ。『あなたは寵愛を受けし選ばれた存在。光が注ぐ道を歩みなさい』…そのあとも色々言っていましたが、大まかにはそんなところじゃなかったですか?」
黒焦げの死体や切り刻まれた骸。
それらが地面にあふれた時、ようやくロットが顔を向けてきた。
彼なりに気を利かせたつもりなのか。
まだ“無事な方”の頬を見せてくるが、服を殆ど着ていないからだろう。
もはや腰と胸回りを布切れで縛るだけの姿に、半身の変色が否応なく見て取れる。
それでいてむっちりとした肌はもちろん。
長い睫毛も相まって、何度見ても少女の出で立ちを彷彿させられる。
「ボクも逃げてきたんですよ。“運命”や“光”から…」
「……出身は」
「ロンドの村。その奥に佇む1軒の家屋です」
今度はジンから質問をするが、干からびた表情からでも十分伝わったのだろう。
同じ出身地。
同じ場所に建つ住処。
お互いの“共通点”を理解したところで、新たに疑問が生まれてくる。
「…俺が村を出たあとでテメェが産まれた……って雰囲気じゃあねえな」
「ジンさん。生前に“死に戻った”時、どのような状態で復活されていましたか?」
「……最後に女神像を見た場所で毎度目が覚めてた」
「大事なことなので質問にはハッキリ答えてください。“どのような状態”で復活されていましたか?」
「………最後に女神像を見た場所…つまりその瞬間まで時間が巻き戻ってやがった」
思い出すのも憚られる“生前の栄光”に、虹色の反吐が出そうになる。
それでも気を取り直して会話を続ければ、やはり2人の共通認識が揺らぐことはない。
死に戻った際には、各地に点在していた女神像の前まで時間が遡ること。
そこから“やり直しが利いた”こと。
ところが死に戻ることを――“英雄の責務”を拒絶したことで、気付けば灰の荒野に堕とされていた。
恐らく罰として異空間に閉じ込められたのか。
あるいは時を戻れる力の反動で、現実世界から弾かれてしまったのか。
明確な答えが出るはずもなかったが、少なくとも亡者に雑魚がいないのは彼ら同様。
英雄の責務から逃げ出した“最強の臆病者”だからなのだろう。