第4話 候補は若い辺境伯
別に積極的に情報収集をしているわけではないが、王家の話は自然と聞こえてくるものだ。というか、アリシアの兄のラスターが逐一教えてくれるのだ。
「アリシアを婚約破棄したあの王子だがな、父である王に咎められて、謹慎処分を申し渡されたらしいぞ」
「ふうん」
「おいおい、反応薄いな。もう少し快哉を上げてもいいんじゃないか? 敵が酷い目に遭ってるんだぞ?」
「お兄様、それで喜ぶような性格の妹が好きなんですか……?」
ラスターはしばらく考えてから、
「ちょっと引くな」
と言った。
「ほら、ダメじゃないですか。まっ、根回しも何もナシで勝手に自滅される方に嫁いでも幸せになりようがなかったので、そういう方の婚約者になったのが運の尽きでしたね」
アリシアは中断していた読書を再開する。
王子の評判がたいしてよくないからといって、王家の嫡男の婚約者にという話を拒否することは、父親のオルテリックもできなかったはずだ。
断り方によっては、王家への反逆とみなされかねない。
アリシアに魔力がないという部分も王家には魔力は必要がないからという理由で、不問にされた。
当時のアリシアも、魔力がやけに弱い自分が、近い家格の婚約者が見つかりづらい立場であるという自覚はあったので、これで王子の性格がまともならラッキーだとすら考えたのだ。
しかし、結果はそんなに甘くなかった。
王子の第一印象は身分をやけにひけらかすし、その割に小さいことにこだわって陰湿なところがあるというものだった。
第二印象も、第三印象もそれが変わることはなかった。
後で知ったことだが、この王家の嫡男は優秀な弟と比較されて育ったため、性格が悪くなったようである。
しかし、兄弟と能力を比べられようと、鷹揚で寛大な性格の人間などいくらでもいるのだし、そこは本人の資質の問題だ。
しかも明確なトラブルさえ起こさなければ、嫡男として順当に王位に就いたはずなのに、それすら王に謹慎処分を命じられて危うくなっているのは、身から出たサビとしか言いようがない。
「時折、小説の中で誰も望んでないのに自分から破滅の道を歩んで、周囲の人まで巻き込んでいく登場人物がいるのですが、王子もそういう人でした」
「それは悲劇なのか、それとも喜劇なのか?」
ラスターが不思議そうに尋ねた。
割と独特な質問だとアリシアは思った。
「一般的に考えれば悲劇なんでしょうが、愚かな人の破滅を見ると考えると、喜劇なのかもしれませんね」
「アリシア、お前は王子の直接的な被害者なのに、全体的に他人事だな」
「いやあ、本当に結婚しなくてよかったという気持ちも強いので……。結婚後にこんなふうに破滅されると、わたくしの命まで危うかったかもしれませんし……」
王が暴政を理由に殺された場合、その妻も暴政を止めなかった責任を問われることは、よくあるケースである。
他国の歴史書でもそういうケースは珍しくないので、アリシアは命拾いしたのかもしれない。
そこに父親のオルテリックが駆け込んできた。
「おお、二人とも、いたか。吉報が来たので、急いで伝えようと思ってな!」
「あまり城の中を走り回るべきではありませんよ」
「アリシア、大目に見てやれ。親父はこうやって運動してるんだよ」
人の目がないところでは、ラスターは父を親父と呼ぶ。
家臣一同が揃うような場では、息子であろうと名目的には当主の家臣だが、この場では普通の親子である。
「それで吉報とは何ですか? 街に大きな商会の支店でもできるんですか?」
「婚約者候補が見つかった」
● ● ●
当主の執務室に向かう間も、アリシアは半信半疑だった。
せいぜい、どこかの伯爵が愛妾に産ませた十五男だとか、そういう存在ではなかろうか。
貴族の家といっても、子供が大量にいると、家の視点で見ればその価値は急激に下がる。
聖職者たちは命は平等だと言うし、それはそれで正しいはずなのだが、家の視点では、正妻の子供である嫡男と、愛妾の子供である十五男の価値は等しくはない。
(ややこしいのは、こういう場合、伯爵が愛しているのは家同士で決めた正妻より、愛妾のほうだったりするので、かわいいのは十五男だったりすることなんですが……。とはいえ、十五男が権力を持つというところにまではいかないでしょうね)
「親父よ、どうせ伯爵が愛妾に産ませた二十人目の子供だとかそういう奴との縁談を言ってるんだろ。そりゃ、縁談には違いないけど、雑ってもんだぞ」
兄のラスターも似たようなことを考えていたので、アリシアは少し恥ずかしかった。
もっとも、逆に言えば、誰だって考えつくのが、そういう縁談ということだ。
だいたいほかの有力な伯爵家の嫡男は婚約者がいる確率が高いわけで、話が進むわけがないのだ。
「そういうのではない。伯爵家の若き当主が妻を迎えていない事例があった」
その言葉にアリシアもラスターも気味の悪いものを感じた。
話がうますぎて、異常だ。
「あの……家格が釣り合っていようと、モンスターみたいな人は困りますよ?」
「そんな奴、この近辺の伯爵家にはいないはずだぞ。どういうことだよ。すごく小規模な伯爵家の当主か?」
「違う。家柄としても釣り合っている。この家とどっちが上かといえば、この家ではあるが」
オルテリックが答える。
「あっ、そういうことか。わかった、わかった。最近、僧侶から還俗して、当主になったばかりの奴なんだな。それなら、妻がいるわけがない」
アリシアもなるほどと思った。
当主が急死して僧籍に入っていた弟が家を継ぐということはありうる話だ。
「近いが、ちょっと違う。とにかく、論より証拠だ。縁談を受けてもいいという書状は届いているから見てみろ」
執務室に置かれていた書状の差出人の箇所をアリシアはすぐに確認した。
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辺境伯家当主バーティス
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「辺境伯家……。王国の最も東にある伯爵家ですね。たしかに家格としては聖騎士伯家と同等ですが、妻がいないなんてことがありうるんですか……? 東部のこの領内から見ても遠すぎるので、詳しいことは意識していませんでしたが……」
「親父、辺境伯家って言えば、オークの反乱を鎮圧した家だろ。つまり、いまだに戦争が珍しくない土地柄だ。魔力がまともにないアリシアを受け入れてくれるとは思えないんだが……」
ラスターも不審な顔をしている。
平和な土地の伯爵家よりはるかに婚約者の魔力を重視しそうな土地の領主が、アリシアを望むとは考えがたい。
「その反乱の時と、今の当主は違うということだ。反乱の時の当主は無謀な戦いを好んで行う男で、毒矢を受けて死亡した。不名誉なことだから、おおっぴらにはされてないがな」
自分の土地とかけ離れた遠方の田舎の情報まで仕入れようとはしないから、アリシアたちが知らないのも無理はない。
「そこの新当主がアリシアと会いたいと書状を寄こしてきた」
「先方も結婚を急いでいるというのはわかります。ですが、戦争を経験したばかりの家が、新当主の妻にわたくしのような魔力の低い者を望むとは到底信じられません。むしろ、論外でしょう。魔力が著しく高い平民のほうがはるかに婚約の可能性は高いはずです」
簡単な治癒魔法の一つも使えない妻を欲する環境ではない。
「今の当主は魔力のあるなしを考慮しない性格なんだ。本人も魔力がほとんどないからな」