第3話 今からの婚約者探しは難航
アリシアが婚約破棄を言い渡されてから三か月後。
その頃は肌寒い日も多かったが、今では汗ばむ陽気の日も増えてきた。もっとも、汗よりも長雨で濡れてしまう日のほうがずっと多いが。
その日、アリシアはこそこそしている父親のオルテリックを捕まえて、隠しているものを全部出してくれと詰め寄った。
こう言われると、娘に甘いオルテリックは執務室の重厚な抽斗に隠していた書類を次々に出した。
「ええと、『息子の縁談はすでに進んでいるので、お話はありがたいがお受けしかねます』、こっちは『三男では吊り合わないので、辞退いたします』、『理由あってまだ公式には発表していませんが、すでに婚約者がいるので難しいです』。つまり、断られた縁談について、わたくしには黙っていたというわけですね」
「それはだな……わざわざ、この家に断られた、あの家にも断られたとお前に連絡するのも酷な話だろう」
まるでイタズラのバレた子供みたいな顔でオルテリックは弁明した。
アリシアに黙っていたことへの罪悪感が含まれている証拠だ。
「娘を思ってのお気持ちはわかります。ですが、自分のことなのに現状がわからないままというのも、モヤモヤします。数回、縁談が整わなかったぐらいで泣いたりしませんから、今後は状況を逐一教えてください」
「数回……といった程度ではないのだがな……」
書状の量を見て、アリシアも察した。机に出ているものだけでも、十五件は断られているのではなかろうか。
婚約者がすでにいるからという、どうにもならないケースもあるようだが、それにしても酷い結果である。
「たしかに、目を覆いたくなるような不人気ですね……」
アリシアも多少落ち込んだ。ある意味では自分が否定されている結果が並んでいるのだ。
「やむをえん。同じような家格の家から探すとなれば選択肢は少ない。しかも年頃の男女なら、すでに婚約者がいたり、結婚しているということが自然だからな。最初から承知の上ではあった」
オルテリックの言葉にも一理ある。
「一州を所領とする格式の伯爵家は、この国に二十家ほどしかないのだ。それでも、相手が皆無ということはありえん。まだまだ当たってみる」
身分制の社会、まして貴族階級において、家柄は無視できるものではなかった。
マリティア王国では隣国などと同じように、爵位は上から公爵・侯爵・伯爵・子爵、一代限りの男爵の順になっている。
もっとも、上二つの公爵と侯爵はほとんどいないか、いたとしても権威はあっても実際の権力(政治力や軍事力)のほうがなかった。
まず、最上位の公爵は王家の分家だけに与えられる特殊なもので、さらに二世までしか認められず、それより先は一つ下の侯爵扱いにある。なので、今の王に近い者だけを優遇する特例に近い。
そして公爵・侯爵ともに、与えられる所領はわずかなものだ。
これは王に近い血筋から、反乱を起こす危険が高いせいである。
一方、伯爵は王国が成立する前の古い時代の豪族や、王国の中で武勲を認められた将に与えられてきた爵位だ。
王国の領土は王都付近の直轄地を別にして、六十の州に分かれている。その州の一つや二つを丸ごと所領として持っている有力な伯爵家が二十ほどあって、伯爵家の中でも最有力の者と考えられていた。
ほかにも州の三分の一や五分の一程度を治めている伯爵も多いし、王都で代々廷臣として仕える者の中には身分を上昇させて伯爵となっている者もいる。
だが、彼らは所領が少ないので、有している軍事力もたかが知れており、同じ伯爵の中でも一州を支配する者たちよりは家格が低いと考えられていた。
というわけで、聖騎士伯家の一人娘であるアリシアの婚約候補はあまり多くないのだった。
しかし、それも言い訳にすぎないということをアリシアはわかっていた。
「候補が少ないのは事実でしょうが、ほかにも理由があるのでしょう? 私にはろくに魔力がないんですから」
オルテリックが目を背けたので、正解ということだ。
アリシアは自分の手のひらに視線を落とした。
魔力が高い者は、手のひらが温かい感覚になるそうだが、そんなものはない。
なにせ王子にも魔力がないことを理由に婚約破棄されたのだ。それに関しては、婚約時点でわかっていたことだし、取って付けた言い訳なのはわかっている。だが、それでも理由にされたこと自体が腹立たしくはあった。
「広い領地を持つ伯爵家の多くは武勇や軍事力から爵位を与えられた家柄です。魔力は婚約者を見定める視点の一つになりますよね。今の時代、女が軍を率いることは少ないでしょうが、それでも魔力が高い娘のほうが、武門の娘として尊重されるのは知っています」
「そういう考え方があるのは私も認めよう。元々、有力な伯爵家の先祖は魔力を有して建国に功があった者だ。剣技や弓矢を極めても、炎を撃ち、氷の刃を射出する魔力を有する軍人にはかなわんからな。魔力を持つことが有力な伯爵家のステータスだったことはある」
そこで、オルテリックは一息ついた。
「しかし、女子が戦闘の最前線に立つ時代など、王国ができる前後の混乱した時代以降、ない。そう気にすることはないさ」
「気にはするでしょう。相手の殿方からすれば、わたくしにろくに魔力がないなら、子供も魔力がない確率は上がるのですから」
貴族は誰だって血筋を大切にする。
だが、有力な伯爵家はそれだけでなく能力だって同様に大切にする。魔力に難がある者の印象は悪い。
別にアリシアはヤケになったりはしていない。むしろ、いつも以上に冷静だ。
だが、自分の現状と冷静に向き合うことがつらいのも事実だ。
アリシアはため息を吐く。
「それは相手を見つけるのは難しいですよね。こればっかりは仕方ないです。家格が釣り合う貴族の数は限りがあって、その大半が魔力を重視する家でもあるわけですから。しかも、結婚する気がない人を除けば、多くの結婚適齢期の方はすでに婚約者がいるでしょうし…………あれ? これ、詰んでませんか?」
針の穴に糸を通すほうが、よほど簡単ではなかろうか。
「そんなことはない! 必ず、ちゃんとした縁談を見つけてくるぞ! 父として約束する!」
「お父様、あまり『必ず』とかいった言葉は使わないほうがいいですよ……。最悪、所領の一部をいただいて隠棲することも考えていますので、ご安心を。本を読んで、細々と暮らすのは皮肉でも何でもなく、悪くない生き方だと思っていますし」
趣味のレベルの小さな菜園を持ち、晴れていれば菜園を耕し、雨が降っていれば一日中、恋愛小説を読んで過ごす。
はっきり言って、恵まれた生活である。
うらやましがる者はいくらでもいるだろう。
全然アリである。
この家は嫡男のラスターが継承するし、むしろやたらと内政に口出しする親族になるより、よほど評価されそうである。
「それがお前の望みなら止めはせんが、私は私で適格な縁談相手を見つけてくる。これは親としての責務だ。だから必ず見つけてくる」
オルテリックは必ずと繰り返した。
彼は彼で、信用できない王子の婚約相手に娘をやってしまったことを後悔しているのだろう。
「そのうえで、こんな男と一緒になるなら年中本を読んで暮らすのを選ぶというなら、それはそれでお前の生き方だから、好きにしなさい」
「わかりました。わたくしに損はありませんしね。でも、お父様、まずは婚約相手を見つけてきてくださいね」
「ああ、聖騎士伯家当主に二言はないさ」
これはいわば父と娘の意地の張り合いだった。
そして父は本当に婚約相手を見つけてきたのである。
1日1話のペースでやっていく予定です。
なにとぞよろしくお願いいたします!