第10話 辺境伯の新たな船出
アリシアはバーティスの手を両手で包み込んだ。
「わたくしもバーティスの妻になってよかったです。こんなにはっきりと、未来がバラ色だとおっしゃってくれるんですから、きっとそうなりますよ」
バーティスは涙ぐんでいた。
もっと淡白な性格だと思っていたが、今のバーティスは感情をすっかり表に出している。
「あのさ……」
「なんですか、バーティス」
「もう一度抱きしめていいかな?」
こう、面と向かって、聞かれてしまうと、妙に照れてしまう。
「まあ……夫婦ですから、それはいいですけど……いちいち尋ねるのはどうかなと……」
「そっか……。本音を言うと、女性とのやりとりはまったく慣れてなくてね……」
そういえば、バーティスは幽閉されているような生活を送っていると言っていた。
それは誇張ではなくて、本当のことだったのだ。
考えてみれば、前当主の兄はバーティスが辺境伯の地位を奪うのではと恐れていたのだ。子供が生まれるおそれのある女性を近づかせるわけがない。
アリシアは両腕を広げた。
「ほら、いくらでも来てください」
「う、うん……」
優しく抱き合うと、魔力によるほわほわと温かい感覚がさらに強くなったように感じた。
アリシアも故郷から遠く離れたこの土地で、元気に楽しく生きていけそうな気がした。
魔力がなかったという似た境遇の夫がここにはいるのだから。
「城下町では捨て身になってアリシアを守ろうとしたけれど、今度はこの魔力で、アリシアが悲しむこともない方法で、守ってみせる」
「お願いしますね。もっとも、わたくしも自分の身を守れるぐらいの魔力があるんですけど」
「それは言わないでよ」
二人は抱き合いながら、楽しそうに笑った。
● ● ●
翌日、アリシアとバーティスの二人は、揃って家臣たちの前に姿を現した。
「諸君もご存じのように、私は魔力に乏しい人間だった。その部分を見て、辺境伯に不適合だと思った者もいることだろう。前の内戦では魔力なしでも功績を挙げたつもりではあるが、多くの兵を指揮するには格好がつかないと言われれば、それは甘んじて受け入れるしかなかった。つまり、私は半人前だったわけだ」
つらつらとバーティスは述べる。
家臣の前だから、「僕」ではなく「私」と名乗っている。
自覚があったのか、一部の家臣が視線を落とした。
魔力に乏しい者が兵を率いて進軍するのは向かない。魔法の攻撃でのいい的になるからだ。魔力が高い者なら、自分の魔力で身を守れるのだが、それもできない。
兵を率いることができないなら、領主としての資格もないと考える古くからの意識も残っていた。
「しかし、昨日、私は暗殺者から新妻を守ろうとした。その時、奇跡が起こった」
バーティスは両手のひらを上に向ける。
その両側から炎の柱と氷の柱が生まれた。
両手で違う魔法を使うというのは、ひときわ魔力が優れた者しかできない芸当だ。
立て続けに家臣たちから賛嘆の声が起こる。
「これを見せれば、私が兵を指揮する能力を有したことを誰でも認めるだろう。諸君らが仕える当主は決して半人前ではない。安心してほしい」
アリシアはそれだけの発表で、家臣たちの空気が意気盛んなものになったのを感じた。
(この人たちにとって、当主というのは戦の場で信頼ができる存在でないといけないのですね。政務を難なくこなすというだけでは足りないと)
実際に戦が起こる土地では、そういう意識になるのはやむをえないことだろう。
そういえば、アリシアの父のオルテリックも戦争自体に参加したことは何度もあるが、いずれも遠方の小競り合いの鎮圧を頼まれたもので、自分の領内の戦争ではなかった。
もし、オルテリックが何の魔力も使えなかったら、応援を呼ばれることもなかったかもしれず、家臣の信頼感も今より薄れていたかもしれない。
魔力がないまま当主になったバーティスは周囲からの不信感の中で、どうにかやっていこうとしていたのだ。
それは想像以上に難しい舵取りで、それをバーティスは自分の手腕で成し遂げるつもりだった。
というより、自分の手腕以外で使えるものが何もなかったのだ。
だが、その難しい舵取りも、一気に楽になった。
いわば長く続くはずの嵐がいきなり過ぎ去って、晴天の穏やかな海になったようなもの。
(どうやら辺境伯家の領内は当分、平穏そうですね)
そして、心の中でアリシアはこんなことを付け加えて思った。
(本当にボンクラな王子と結婚しなくてよかったですね……)




