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ショートショート3月~2回目

ずっと、見ていた

作者: たかさば

 朝6:00、まだ薄暗い、夜の気配を感じる、時間帯。

 僕は…公園に、向かう。


 靴を履き、玄関を出た僕を迎えるのは、早朝の澄んだ空気。

 今は…冷たい空気が心地いい季節だ。

 夏は汗ばむからいただけない。

 まあ、家に帰って浴びるシャワーは気持ちいいけれども。


 僕が毎朝公園に行くようになって、今年でちょうど三年目。

 今、気分良く歩いている僕だが、三年前は…公園にたどり着くことができないほど、弱っていた。


 僕はいわゆる…引きこもりだった。

 いろんな出来事が重なって、心身ともに貧弱になってしまった僕は…ずいぶん長い間、自分の家から…出ることができないで、いた。


 このままではいけない、でも、外の世界が、怖い。

 このままでいいのか?…いいわけ、ない。


 引きこもり始めて、五年目の、二十歳になる年。

 思い切って…外に出ることを、決めた。


 春、外に出てみようと思ったけれど、人の目が怖くて、靴を履くのが、精一杯だった。

 梅雨、外に出ようとしたら雨が降っていて、出かけることを諦めた。

 夏、外に出ようとしたら日差しが強すぎて、目がくらんだ。

 秋、玄関のドアを開けたら、通行人と目が合って、部屋に逃げ帰った。

 冬、玄関のドアを開けて外に出たら、誰かの声が聞こえてきて、足がすくんだ。


 …外に出ることを決めたのに。

 このまま二十歳を迎えることに、なってしまうのか?


 このまま二十歳を迎えてしまったら、きっと僕は、このままずるずると…二十一歳になり、二十二歳になってしまうに違いない。


 このままではいけない、でも。

 このままでいいのか?

 …いいわけない。


 このまま何も変わらずに、何もしないで生きていくのか?

 このまま何も変わらずに、何もしないで生きていって良いのか?


 変わりたいと…漠然と、思った。

 変わるきっかけまで…ほんの少し、手が届かないような、もどかしさがあった。


 外に出たいという、気持ち。

 敷地から出たいという、気持ち。

 閉ざしていた世界から出たいと思う、気持ち。


 この気持ちが消えてしまう前に…外に出なければと思った。


 なぜ、外に出られないのかと、考えた。


 外は、怖い。

 …なぜ、怖い?

 外には、人がいる。

 …なぜ、人がいる?

 人は、活動しているから。

 …なぜ、活動している?

 活動するべき時間だから。

 …時間?


 人の目が怖いのであれば、人の目がない時間帯に出かけたら、いいのでは。

 人の声が聞きたくないならば、人の声が聞こえない時間帯に出かけたらどうだ。


 日が落ちてから、出かけたらどうか。

 いや、日が落ちた後では、まだ出歩く人がいる。


 …では、日が昇る前に出かけたらどうか。


 早朝の時間帯は、皆寝静まっている頃だ。

 顔を合わせることも、声を聞くこともないだろう。


 暗いうちから出かけることにした。

 冬の早朝は日が昇るのが遅いから、安心感があった。


 一日目、靴を履いて、点滅する信号のところまで行った。

 ……誰にも、会わなかった。


 一週間目、点滅する信号の向こう側へと足を運んだ。

 ……誰にも会わなかったが、人が運転する車と、すれ違った。


 二週間目、点滅する信号の向こう側にある暗い道を歩いて、公園まで行った。

 ……ゴミ出しをしている老人とすれ違ったが、目は、合わなかった。


 三週間目、公園の中に入ってみた。

 ……何人かとすれ違ったが、薄暗くて、よくわからなかった。


 早朝の公園は、寒い時期ということもあってか、人はほとんど、いなかった。


 たまに人とすれ違う事はあったが、自分も相手も下を向いているので、視線も合わず、さほど気にはならなかった。


 公園まで行って、公園内を少し歩いて帰ってくるようになった。

 公園まで行って、公園内をぐるっと回って歩いて帰ってくるようになった。


 公園内にあるウォーキングコースを一周歩いて帰ることができるようになったころ、僕の耳にラジオ体操の音が聞こえてきた。

 …この公園では、中央グラウンドの鉄塔から毎朝6:30にラジオ体操が流れるようになっていたのだ。


 もう、何年も前に…体育の時間に聞いていた、ラジオ体操の、音楽。

 もう、何年も前に…夏休みに、毎日小学校の運動場でやっていた、ラジオ体操の、音楽。


 懐かしい気持ちになって、ベンチに座ってラジオ体操の音に耳を傾けてみた。

 ……頭の中に、ラジオ体操をしていた頃の記憶が…浮かんだ。


 懐かしい気持ちになって、ベンチに座ってラジオ体操の音に合わせて手を動かしてみた。

 ……頭の中で、ラジオ体操をしていた頃の記憶が、再生された。


 懐かしい気持ちになって、ベンチの前に立ってラジオ体操の音に合わせて体を動かしてみた。

 ……薄暗い公園の片隅で、久しぶりにラジオ体操をすることが、できた。


 周りを見渡すと、年配の方たちが元気よくラジオ体操をしていることに気が付いた。


 ラジオ体操の音声が聞こえる範囲に、ポツリポツリと点在している、ご老人達。

 誰かと話すわけでもなく、一人でこの場所にやって来て…一人でラジオ体操をして、一人で家に帰ってゆく。

 老人達は、ラジオの音がよく聞こえる場所に多く集まってくるようだった。


 決して、各々コミュニケーションを取りあっているわけでは、ない。

 しかし、確かに…この空間に集まっている老人たちは、共にラジオ体操を楽しんでいる。

 一人一人が、孤独ではあるけれど、共に一体感を得ているような……なんとなく、不思議な感覚。


 僕は池のほとりの、大きな木の横で、毎日ラジオ体操をするようになった。


 晴れている日は、毎日ラジオ体操に通うようになった。

 毎日通っているうちに、少しづつ体力が回復してきた。


 ……そうこうしているうちに、日が昇るのが早くなってきた。


 薄暗い中で体操をしているときは声をかけてもらう事がなかったが、明るくなると老人たちは気さくに声をかけてくるようになった。


 はじめは小さな声すら返すことができなかった。

 だんだん、小さな声を返せるようになった。

 そのうち、普通の声で挨拶を返せるようになった。

 気がつくと、こちらから挨拶をするようになっていた。


 毎日ラジオ体操をするため公園に通っているうちに、だんだん顔見知りが増えていった。


 あいさつを交わし、ラジオ体操をし、公園を巡る日々が続いた。

 僕はいつも、池の前のベンチの近くでラジオ体操をしていた。

 ラジオの放送がぎりぎり聞こえるくらいの、あまり人のいない場所。

 顔見知りと挨拶を交わすことはできるようになったが、基本コミュ障なので…一人でラジオ体操をしていた。


 ある時、池の向こう側に女性がいる事に気が付いた。


 年配者の多い早朝の公園に、若い女性の一人姿は珍しい。

 池の向こう側には、園内放送用のスピーカーはついていない。

 …おそらく、ノーミュージックでラジオ体操をしていると思われた。


 ぎこちなくラジオ体操をする姿が、やけに目についた。


 右に曲げる所で左に曲げている。

 飛ぶタイミングが少しおかしい。

 手の伸ばし方が間違っている。


 でも…一生懸命、ラジオ体操をしている。


 …教えにいこうか、でも。

 …派手な動きで間違いを…伝えてみようか。

 …気付いてくれない、そうだよね。


 僕の動きに、気付いて欲しいな。

 僕に、気付いて欲しいな。


 いつしか、池の向こう側の女性を見つめながら、ラジオ体操をするようになった。


 眩しい朝日を浴びながら、池の向こう側にいる女子を見つめた。

 ほのかに明るい朝日を浴びながら、池の向こう側にいる女子を見つめた。

 朝日が昇る前の、薄暗い空間の向こう側にいる女子を見つめた。


 朝日が昇る前の、真っ暗闇の向こう側にいるはずの女子を見つめようと、思った。


 ずっと見つめ続けてきた…女子の姿が、見えなく、なった。


 季節は、冬になっていた。


 目を凝らしても…池の向こうの様子が、見えない。


 僕は…。

 僕は……。


 僕は、池の向こう側に、行ってみることにした。


 いつもより10分早く家を出て、いつも女子がいた池の畔に…向かった。


 ラジオの音が、ほんの少し…耳に届く。

 女子は…この音を聞きながら、ラジオ体操をやっていたのかなと、思った。


 ラジオ体操の歌が始まった。


 いつもなら、この時間にはもう、女子はいるはずなのだが。

 辺りをきょろきょろと見回したが、女子の姿は、見つからない。


 …もしかしたら、今日は現れないのかもしれない。

 …もしかしたら、僕がここにいるから、姿を現してくれないのかもしれない。


 そうだ…僕だって、ここにきはじめたばかりの頃は、人が怖くてたまらなかった。

 いつも、池を挟んで遠くから見ていた人が…突然近くに現れたら、逃げ出すことも、あるだろう。


 僕は…判断を、誤ってしまったのだ。


 ラジオ体操が、始まってしまった。

 かすかに聞こえる、ラジオ体操の音を聞きながら、いつもと違う砂利の上で、体を動かす。

 いつものように、大げさに体を伸ばしてみるが…女子は一向に、現れない。


 ラジオ体操第一が終わり。

 首の体操が終わり。

 ラジオ体操第二が終わり。


 ……ああ…女子に、会えなかった。


 いつものように、公園内を一周して帰ろう。

 女子には…嫌われてしまったかもしれない。


 …落胆する、僕の目の前に。

 僕が見つめ続けてきた、女子が、現れた。


 真冬の、煌々と輝く、街灯の下。


 いつも見ていた、グレーのパーカー姿の、女子が。

 もう、ずいぶん寒い時期なのに、薄手のパーカー一枚はおった、女子が。


 僕は、思い切って、声を。


「あの、」


 ―――やっと、声、かけてもらえた


 街灯の下の女子が、微笑んでいる。


 ―――ずっと、見つめていたの


 街灯の下の女子が、恥ずかしそうな顔で、僕を見つめている。


 ―――はじめてここにきた日から、見つめていたの


 いつも見つめていた女子が、薄くなってゆく。


 ―――ベンチに座って、手を動かしていたときから、見ていたよ?

 ―――挨拶できるようになって、良かったって思っていたよ?


 街灯の下の、女子が、消えてゆく。


 ―――ずっと、見つめてもらいたいと、思っていたの


 街灯の下の、女子が、消えてしまった。


 ―――見つめてもらえて、良かった…、ありがとう、元気でね


 僕は、今日も、元気に…ラジオ体操をするために、公園に通う。


 いつもの場所で、いつもの時間。

 大きく腕を伸ばし、天を仰いで、一日の始まりをスタートさせる。


 ラジオ体操の、前と後には、必ず背後を確認している。


 ……もしかしたら、僕を見つめてくれている人が、いるかもしれないからね。


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[一言] よかったねぇ おめでとう ( ;∀;)
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