俺たちの青春はこれからだ
さあ青春っぽいことをやってみよう、で青春が始まるわけがない。
始まってたまるか。青春とは行動ではなく状態だ。青春を満たす条件が揃った時、結果として発現するのが青春なのだ。ゆえに青春を望むならば下地を整える必要がある。
何事にも準備は必要だろ。条件も整っていないのに、理想論だけで無理に状況を動かそうとするから中途半端なことになる。限界集落でアイドル活動ができるかって話よ。何をどんなにがんばったって、知名度に限界があんだろ。本気でやりたきゃ東京に行けってこった。
俺がやりたいのはそんな中途半端なもんじゃない。本物の青春だ。どうせやるならアクセルは踏み込もうぜ。完全燃焼するまで青春をやりきって、人生というオベリスクにメモリアルを刻むんだ。
そんなことを力説してみた。柚子白はこてんと首を傾げた。
「そうなんだぁ。くーくん、すごいねー!」
ダメだ、幼女モードだ。これは柚子白が俺の話に興味がない時のムーブである。
仕方ねえな。俺はポケットから取り出したクッキーで柚子白を餌付けした。幼女はきゃっきゃと喜んだ。かわいい。
続けよう。つまりこの村でやれる青春には限度がある。本物の青春をやるために、必要なのは学校だ。学校がなければ通学路がない。通学路がなければ曲がり角もなく、曲がり角がなければパンを加えた女子高生とごっつんこすることもない。
いや待て、言いたいことはわかるぞ。そんな使い古されすぎた手が今日日あってたまるかと。だがな、お約束というのはロールプレイに忠実でなければならない。無から有を生み出すのには限度があるだろ。古のお約束を踏襲した上に、新たなる世界は開かれる。そういうもんなんだよ。
「くーくん……。じょしこーせーって、なあに?」
それは真実の問いかけだった。女子高生。女子高生とは何なのだろう……。
かつては覇権を手にした一属性であることは疑いようもない。だがしかし、昨今のサブカル文化の発展はめざましく、単なるセーラー服を着た女の子では激化したヒロイン競争を生き抜けない。それでも女子高生の人気たるや確固たるものがあり、非実在青少年のアイコン的存在として君臨しているのは間違いない。
俺はこう考える。かつて主たる属性であった女子高生は、時代の進展とともに副属性へと変化していったのではないか。○○でありながら女子高生である、もしくは女子高生でありながら○○であるといったように、他の要素と組み合わせて初めて真価を発揮するのでは。この場合○○に当てはまるのは、そうだな、暗殺者なんてどうだ? 暗殺者女子高生。いいね、いかにもニッチな漫画に取り入れられそうな属性だ。
「あのね、そうじゃなくてね……。えっと、くーく――あ、ああ。枢木。枢木、私が言いたいのは」
柚子白は幼女から人間へとチューニングする。短い舌を真面目に使う気になったらしい。
「私が言いたいのは、故郷のことどこまで覚えてるのってことなんだけど」
あー……。なるほど、その話か。
言うまでもなく、女子高生もニッチな漫画もこの世界には存在しない。アイドルってやつも確かそうだ。その言葉を俺たちが共通認識として使っているのには、ちょっとした事情があった。
俺と柚子白は別の世界からやってきた、ように覚えている。
歯切れが悪いのは、何度もループを繰り返すうちに昔のことを忘れてしまったからだ。今ではもう、自分の家族のことも、元の世界でどんな暮らしをしていたのかも思い出せない。
「そんなにしっかり覚えてるわけじゃねえよ。時々ふと言葉を思い出すくらいだ。お前も同じじゃないのか?」
「まあ……そうね。私もたまに思い出すわ」
「たとえばどんな?」
「墾田永年私財法」
「わかる~~~~!!」
俺と柚子白は手を取り合ってきゃっきゃと喜んだ。墾田永年私財法。意味はまったく思い出せないが、なぜか不思議と耳に残っていた。いつか俺がオリジナルの必殺技を編み出した時は、この名前をつけようと思う。
「枢木。あなた、元の世界に帰る気はないの?」
「ねえな」
これは何度も繰り返してきたやり取りだった。
昔は元の世界に戻りたいと思っていた頃もあったが、今となっては望郷の念は薄れてしまった。生きた年数で言えばこっちの世界の方が遥かに長いのだから。
「私は……。まだ、覚えてる。向こうの世界のことも、家族のことも。あなたよりも、ちょっとだけ」
「帰りたいのか?」
「わからない。だけど……。たぶん、そう」
柚子白はまだ、あっちの世界のことを割り切れていなかった。
永遠に続くループの中、俺は昔のことを忘れることで精神を保っている。だけど、柚子白はたぶん違う手段を取っているのだろう。
「それで、話は戻るが。とにかく俺は青春がしたい。わかるな柚子白」
「いいえ。わからないわ」
「いつまでもここにはいられない。こんなど田舎で青春なんて始まってたまるか。同年代は俺とお前だけ、こんな場所じゃ恋も友情も芽生えないだろ」
「そうなの? よくわからないわ」
「だから俺は街に行く。街に行って学園生活を送るんだ。エンドレスループライフ、ドキドキ☆青春学園編のスタートだ」
「わからないっつってんだろ。正気に戻れ枢木」
ドスを効かせた幼女に俺は恐れおののいた。こわい。
「あのね、枢木。学校なんて行ってどうするの。今更学ぶことなんてないでしょ? 私たちが何回人生やったと思ってんの」
「それはそうなんだけど……。でもさ、学校ってそれだけじゃないだろ。かけがえのない友情とか、一度きりの恋とか、そういうのだよ」
「やめといたほうがいいわよ。私たち、そういうものはできるだけ遠ざけてきたじゃない」
「嫌なこと言うなぁ……」
柚子白の指摘は真っ当なものだ。どんなに人と心を通わせようと、世界がループすればすべては失われてしまうのだから。
親しくしていた人に忘れられる痛みは何度も何度も経験した。だから俺たちは、互い以外の人間に深入りしすぎないように気をつけていた。
「癒やしがほしいってのはわかるわよ。確かにこのループは異常だもの。でもね、だからってそんなことしたら、次の人生が辛いわよ」
「それはそうなんだけどさぁ……」
「私がいるじゃない。二人で楽しくやりましょうよ。こんな何もないど田舎でも、そこそこ楽しいわよ」
幼女柚子白は見かけに似合わない妖艶な色気を放ち始めた。
この女は時々こういった色気を放ちだす。堕落への誘いだ。
この誘いに乗ったが最後、怠惰で退廃的な田舎暮らしが幕を開けるだろう。代わり映えのしない毎日に耽溺し、日々を無意味に積み重ね、やがて退屈を埋めるように互いを求めだすのが目に見えた。
断っておくが、俺は柚子白をそういう相手として見たことは一度もない。千回の人生においてただの一度もだ。
最初の頃の俺たちは、どちらかと言えば敵対関係にあった。今ではなし崩し的に和解して協力関係になったわけだが、共に過ごした時間が長すぎてそういう対象とは見られない。
気心を知りすぎた結果、恋だの愛だのが燃え上がる余地はとっくにないのだ。
恋愛とは突き詰めてしまえば溝である。互いの間にあるいくつもの溝を、共同で埋めながら触れ合っていく過程が楽しいんだ。息をあわせて溝を埋め、時には埋め方を間違えたりしながら、少しずつ互いの距離を縮めていく。それこそが恋愛の醍醐味ではなかろうか。
そこに来てこの柚子白という女はどうだろう。千の人生を経る内に、俺たちの溝はすっかり埋め尽くされた。恋愛なんていう初々しい関係を始めるには、俺たちは互いを知りすぎてしまったのだ。
そんなことを熱弁してみた。柚子白は微動だにせず聞いていた。
「つまり、熟年夫婦がセックスできるかって話ね」
「ばっ、ちょ、おま。女の子がそんなはしたないこと言いません!」
「あなた、千回も生きたわりには感性がお子様よね」
しょうがないだろ、男の子なんだから。野郎はいくつになっても少年心を忘れないもんなんだよ。
柚子白は愉しそうにくるくる笑った。
「ま、いいわ。そういうことなら、少しくらいの浮気も許してあげる」
「そういう話だったか?」
「そういう話よ。だって、私たちの溝は埋め尽くされたのでしょう?」
……あー。まあ、確かに。そういう考えもできるわな。
俺と柚子白は互いの溝を埋めきった。それはつまり、俺たちは恋愛の終着点にいるということだ。
恋と愛とをすっとばして、妙な関係が成立してしまったものだ。なんなんだろうね。ようやくゲームシステムを理解したと思ったらもうエンディングだった、みたいな。不完全燃焼の満腹感にちょっともにょった。
「枢木。それでもあなたが青春ってやつをしたいってなら止めないわ。あなたの人生なんだもの、好きにすればいい」
「そう言わないでくれよ。俺はお前とも青春がしたいんだ」
「あら、不思議なこと言うわね。今更そういう関係にはなれないんじゃないの?」
「青春ってのは恋だけじゃないだろ」
たぶん、俺たちが甘酸っぱい関係になることはもうない。
だけどそれでも、無人島に誰か一人だけを連れて行けると言われたなら、俺は迷わず柚子白を選ぶ。なんだかんだ言っても、俺が世界で一番信用しているのはこの女だ。
「ま、いいわよ。青春、興味がないって言ったら嘘になるわ」
「まじか、よっしゃ」
一緒にいたいってやつとは少し違う。
一緒にいるのが当然で、そうじゃない方がおかしいんだ。
俺たちの関係性は、そんな感じに腐っていた。