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人生を千回ループした俺は、何もかも投げ出して青春を始めた  作者: 佐藤悪糖
1章 世界の片隅で少年と少女は千度目の産声を上げた
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もうがんばれって言わないで

 人の命は自我から始まる。

 人間は考える葦であると言ったのは誰だったか。遠い記憶の彼方に埋もれた、そんな言葉を覚えている。その言葉にまつわるウンチクは知らないが、俺はこの言葉をそれなりに気に入っていた。


 人の本懐が思考にあるなら、考えることを始めた時に人は生まれ、やめた時に死に至る。ゆえに俺は、自我が芽生えて頭が動き、自分の体を自分で操る術を身に着けた時、自分の命が発生したと定義する。


 具体的に言うと。俺、六才。

 自我が芽生え、思考能力を獲得した時から俺の人生は始まるのだ。


「まーたこっからかぁ……」


 村外れの小高い丘に建つ教会の屋根の上から、辺境の農村を見渡した。

 平地を埋め尽くす畑の合間に、ぽつぽつと民家が立ち並ぶ。バザーのある一角を除けば実に閑散とした農村だ。


 千回生まれ育った最初の村。

 どんな人生になろうとも、いつだって始まりはここからだ。


 死んで、生まれて、もう千回。

 俺の人生は無限のループを繰り返している。


 人生を千回も繰り返せば、並大抵のことは通過点になる。故郷の村なんかその最たるものだ。眼下に広がるのどかな村の風景を眺めて、今回の人生はどうしようかと考えた。


「いっしょ、よいしょ」


 教会の屋根に、一人の少女がよじ登ってきた。

 艶やかな黒髪の少女だ。長い髪に溶けこんだ美しい黒は、星空を散りばめたような輝きを放つ。幼いながらも目鼻立ちは整っており、年相応の無邪気さも相まって見るものを魅了する愛らしさがあった。


「くーくん、ここにいたぁ」


 万人に愛されるために生まれてきたような少女は、屈託のない笑みを俺に向けた。

 彼女はこの教会に住む孤児だ。付け加えるなら、俺もそう。同時期に教会に拾われたこともあり、俺たちは兄妹同然に育ってきた。


「くーくんじゃない。クルルギだ、クルルギ」

「くる……。く、る、りゅ?」

「クルルギ。ほら、ちゃんと言え」

「くりゅりゅ……。くーくんじゃ、だめ?」


 少女は小首をこてんとかしげる。世にはびこるお兄ちゃんたちが、思わず「しょうがないなぁ」と頭を撫でたくなるような愛らしさだ。

 しかし騙されてはならない。彼女はこの手で何人もの男を手玉に取ってきた。こいつは魔性の女なのだ。


「うるせえ。いつまで猫かぶってんだ、柚子白(ゆずしろ)

「私だって好きでこんな舌っ足らずキャラしてるんじゃないわよ、枢木(くるるぎ)


 少女――柚子白は被っていた猫を一瞬で脱ぎ捨てた。

 こいつは柚子白。俺と同じく無限のループに囚われた女だ。


 この女は俺と同じループの中にいる。俺が人生をやり直すたび、彼女も命を繰り返す。

 俺たちは事実上の運命共同体であり、腐れ縁を超越して発酵しすぎたド腐れ縁になっていた。


「好きじゃなきゃなんでやってんの?」

「受けがいいからよ。私はこの手でおやつのクッキーを何枚もせしめてきたわ」

「柚子白、俺のクッキーもやる。だから以後俺のことは大好きなお兄ちゃんって呼べ」

「いいわよ」


 いいらしい。かわいい妹ができた。やったぞー。

 千の人生を繰り返した柚子白は、培ってきた演技力で周りの大人を騙すのを無性の喜びとしている。生きた年数は何万年にも到達しようと言うのに、幼女の真似が恐ろしいほど上手かった。


「で、大好きなお兄ちゃん。前回はなんで失敗したの?」


 前回。前回の人生。俺たちが明確な敗北を喫し、時の彼方に消え去ってしまった、なかったことになった世界線。

 前回、俺たちは失敗した。だからこうして、また一からやり直しをさせられている。それを思うと、苦々しいものが胸の内に広がった。


「お前、前はいつまで生きてたっけ」

「六番目のオーダーが終わった後までよ。忘れたの? あんたの目の前で死んだんだけど」

「あー……。そうだったな」


 適当に合わせたが、実を言うと詳しくは覚えていない。

 無限に繰り返されるループから心を守るため、前の人生のことはできるだけ忘れるようにしているのだ。

 そうでなくとも、柚子白の死の瞬間を思い返そうとすると、多種多様な柚子白死亡シーン集が脳裏を高速で駆け巡る。あまり気持ちのいいものではない。


 俺は柚子白が死ぬ瞬間を何度も見てきたし、柚子白は俺が死ぬ瞬間を何度も見てきた。

 互いに互いの死を看取ったもの同士の、生暖かい絆めいたものが俺たちの間には流れていた。


「まあ、前のことはいいだろ。それよりも今回だ。柚子白、お前はどうする?」


 前回までの俺たちは、ループからの脱出に生涯を捧げていた。

 ループからの脱出条件自体はわかっている。と言うより、ループに放り込まれる前に説明があった。


 このループの仕組みはある種ゲームに似ている。神様から与えられた課題(オーダー)を達成すれば次のステージに進めて、八つの課題を達成すればゲームクリア(ループ脱出)。ただし一度でも失敗すれば、人生の最初からやり直し。

 コンティニュー(ループ)は必ず行われ、どんなに泣き叫んで殺してくれと懇願しても、ゲームオーバー(本当の死)は訪れない。


 要はすべての課題をクリアすればいいだけの話だが、その達成がとにかく遠い。

 どれくらいかと言うと、人生を千回繰り返すくらいには難しかった。


「火炎瓶なら用意したわ。いつでも焼けるわよ」


 焼く、というのはこの村を焼くということだ。

 孤児の俺たちに職業選択の自由はない。大きくなったら畑を耕し、村から受けた恩を返すことになっている。そのままこの村で一生飼い殺しにされるのが俺たちの運命だ。


 そんな俺たちが村から脱出するための最短ルートは、この村を滅ぼすこと。

 不審火を起こして村を焼き払い、村人の生き残りとともに街に逃げる。その先で行方をくらませば、晴れて自由な人生スタートだ。


 前回までの俺たちは何度もこの手を使ってきた。完全に足のつかない放火タイミングだって熟知している。

 だけど、今回はその手を使う気はなかった。


「なあ柚子白。提案があるんだけど」

「乗ったわ」


 中身も聞かない即答。ノリだけで生きる女だった。


「思うに、俺たちってめちゃくちゃがんばったと思うんだ。人生を余すことなく生き急いで、オーダーの達成のためにありとあらゆる手を尽くした。生まれ育った村を焼き払うなんて序の口で、悪事も善事も等しくこなしてきたじゃないか」

「あら、褒めてほしいの? 傷のなめあいなんて虚しいだけよ」

「そうじゃない。俺が言いたいのは、そこまでやっても失敗したってことだ。前回の俺は七番目のオーダーまでたどり着いたが、結局は失敗に終わった。このままじゃダメなんだよ。アプローチを変える必要がある。そう思わないか」

「何度も聞いたわね、その言葉。試行錯誤は歓迎するけど、何か解決策でもあるの?」

「ない」


 潔い宣言に柚子白はしばし瞠目する。そしてかっと目を見開いて、渾身の幼女スマイルを披露してくれた。


「……くーくん。ゆず、むずかしいことよくわかんない」

「まてまて、幼女化するな。俺の話を聞け」

「あのねあのね。つまり、えっと、なぁに?」


 翻訳――言いたいことがあるなら簡潔に言え。

 幼女柚子白から放たれた舌足らずなプレッシャーに屈して、俺は話したかった内容を十分の一に圧縮した。


「つまりだ、俺たちはオーダーのために何もかもを捧げてきたわけだが、そのアプローチには限界があることがわかりはじめてきた。もちろんまだ試していない可能性はある。だがな、繰り返される失敗は確実に俺たちの精神を削っているだろ。考えてみろ柚子白、俺たちにとっての敗北とはなんだ? オーダーに失敗することか? そんなもんじゃない。真の敗北とは、心が折れて動けなくなることだ。俺たちは常に精神崩壊の危機と隣り合わせなんだよ。そんな危機感は今更だと思うかもしれないが、それは違う。今だ。今なんだよ。俺にとっては今がそのタイミングだった。ゆえにこれは喫緊の課題であり、緊急の対応を要するんだ。そうとも、これは勝利を掴むための提案ではない。迫りくる敗北を遠ざけるための提案だ。だが約束しよう。この提案は、俺たちの今後を左右する決定的なターニングポイントになると」

「それ以上喋ったら殺す」

「がんばるの、もうやなの。つらいの」

「最初からそう言えお兄ちゃん」


 つまり、もう疲れたのだ。

 前回のループ、俺はかなりいいところまでいった。全部で八つのオーダーの内、七番目まではたどりついたのだ。それでも失敗したことで、俺の心はポッキリと折れてしまっていた。

 もうがんばりたくない。がんばれなんて言葉を聞きたくもない。どうせがんばったって今回も失敗するんだ。だからもう、がんばらなくたっていいじゃないか。俺が言いたいのはそういうことだ。


「ま、いいわよ。たまにはそういう人生があってもいいんじゃない?」

「マジか、よっしゃ」

「オーダーには失敗するでしょうね。神様に怒られても知らないわよ」

「今更だろ」


 神様に怒られるのは怖いけれど、それでも俺はオーダーを投げ出すことにした。今の俺には休みがほしい。


 柚子白は大きなあくびをして、屋根の上に寝転んだ。柔らかな陽光をたっぷり浴びて気持ちよさそうにしている。

 六才の体は疲れやすく、幼年期の柚子白は特に体力がない。まどろみ始めた彼女の頬をぷにぷにつつくと、彼女はうなうな抗議した。


「……くーくん。ねむいよ」

「降りて寝ろ。こんなとこで寝たら落ちて死ぬぞ」

「そんなこと……。よんかいしか、やってない……」

「四回もやってんだよ。言う事聞かないとクッキーはなしだ」


 諫言、聞き入れられず。幼女柚子白は日差しの中で眠りに落ちた。なんて平和な世の中だ。


「今回の人生は……。そうだな」


 柚子白の隣に寝転んで、魔法を使う。風を和らげて気温を調整する簡単な魔法。体の弱い彼女が風邪を引かないために。


「なんか、青春っぽいことやるか」


 いざがんばらないことを決めると、肩の荷が軽くなったような気がした。

 神様には悪いが今回だけは見逃してもらおう。

 だってもう、俺たちは千回も生きて死んでを繰り返してきたんだ。

 一回くらいは、青春を謳歌したってバチは当たらないと思う。

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