最終話
2人きりで生きていく決断をした。
それでもその決断が痛む時はあった。
お義母さんの溜め息。
友人からの子どもが生まれたことを報告する年賀状。
街で見かける幼い子供を連れた家族連れ。
痛む度に彼が手を握ってくれた。
だから、はぐれることなく歩いて来れた。
互いに歳を取り、顔に皺が刻まれていく。
隣で年老いていけることが幸せだった。
でも、65歳の時、春のことだった。
定年退職をして、これから2人で何をしようか。
そんな話をしていた時、今度は彼に病気が見つかった。
診察室。
彼の隣で話を聞いた。
末期癌。
医師から告げられたのは彼が治るまでの道筋ではなく、余命宣告だった。
余命一年。
「何で」と思った。
私よりも彼の方が冷静だった。
冷静に相槌を打つ彼の横で私は神様を呪った。
「まだ」なのに。
「まだ」私はこの居場所にいたいのに。
なんで奪おうとするの?
医師と看護師さんにお礼を言って診察室を出た。
横の私の顔を見て彼が微笑む。
「季穂さん、何て顔してるの?」
鏡なんてないから自分がどんな顔をしているかなんて分からない。
でも、きっとひどい顔をしている事は分かる。
「帰ろうか」
そう言って彼は私の手を握って歩き出した。
私は幼い子供のように泣きながら手を引かれて歩いた。
その後、彼は墓を買いに行くと言い出した。
諦めが良すぎると怒ると自分が眠る場所は私と2人で決めたいと言った。
そんなことを言われると何も言えなくなった。
彼が選んだのは彼岸花が咲き誇る墓地だった。
「季穂さんが好きな花でいっぱいだね」と彼は笑った。
どうせなら私じゃなくて自分が好きな花が咲く場所を選べばいい。そう言うと彼は景色を見渡しながら言った。
「僕は白い彼岸花が好きだよ」
「白い彼岸花?」
「ほら、ここにも咲いてる。僕の眠るところはこの花が咲く場所がいいな」
彼が指さした先には確かに赤に混じって白い彼岸花が咲いていた。
「……どうして、赤じゃなくて白なの?」
訊ねると彼はただ微笑むだけで。
「僕が死んだら花言葉を調べてよ」
遺言のようにそう言った。
それからは決して穏やかな日々だったとは言えない。
弱音など一度も聞いたことがなかった。
そんな彼の辛い顔、苦しい顔を何度も見た。
それでも、彼は私を想うことを止めなかった。
季穂さん。
季穂さん。
季穂さん。
一輪、また一輪と私の心に花が咲く。
最後の最後まで彼は私の心に花をくれた。
いつか去っていくと思っていたのに結局最後の最後まで彼は私の傍にいた。
彼岸の頃。
全ての手続きを終えて、私は彼の墓の前に佇む。
この国の死後の手続きはどうしてこうもややこしいのか。
やっとゆっくりと向き合える。
墓地には彼岸花が咲き誇り、墓参りをする人々の姿がちらほらと見える。
後ろから幼い子どもの声がする。
チラリと見ると「じいちゃん、きたよ〜」と言う言葉と共に小さな男の子がお墓に向かって手を振っていた。
周りにはニコニコと微笑むおばあさんと息子さんとお嫁さんと思われる人々。
私は改めて彼の墓を見る。
「私なんかと一緒にならなければ、もっと幸せな人生を送れたのに」
君と私は2人きり。
私を選ばなければ、あの光景は君の景色だったかもしれない。
ふと傍に咲く白い彼岸花が目に入る。
彼の言葉を思い出す。
「僕が死んだら花言葉を調べてよ」
そう言えば……。
私は携帯電話を取り出し調べてみる。
『白い彼岸花 花言葉』
いくつも出てくる検索結果。その一つを開くと意味が出てきた。
「っつ……」
読んだ瞬間、瞳が揺らぐ。
君の遺した言葉の上。ポタリポタリと雫が落ちる。
君のくれた花群れが揺れる。
きっと君はもっと幸せな人生を送ることが出来ただろう。
でも、私はこれ以上に幸せな人生はなかった。
選択肢が出て来る度に君は私の方を選んでくれた。
そして、また──
白い彼岸花の花言葉。
「また会う日を楽しみに」
「想うはあなた一人」