第二話
その日をきっかけにして私達は頻繁に会うようになった。
「僕と付き合って下さい」
そう言われたのは秋のこと。
緊張した面持ちでそう言われて返した言葉は──
「こんな女のどこがいいの?」
告白の返事としては最低だと思う。
彼は苦笑して言った。
「僕、季穂さんの笑顔が好きなんです」
「笑顔?」
「覚えてますか? 初めて会ったあの場所で彼岸花の話をした時のこと。季穂さん、僕の言葉にお礼を言いながら笑ったんです。その笑顔がとても可愛らしくて。もっとあなたの笑顔を見たいと思いました」
「笑顔……」
頬に触れる。
そんなこと初めて言われた。
私はあの時、どんな顔で笑ったんだろう。
「会えば会うほどにその気持ちは強くなりました。こんな女じゃないです。僕はあなたがいいんです」
そう言って彼はまっすぐに笑った。
きっと私なんかよりよっぽど魅力的な笑顔で。
「……私なんかで良ければ」
断ることなど出来るはずがなかった。
彼と付き合い始めた私は「大切にされる」と言うのがどう言うことかを知った。
こちらを見る時に優しくなる表情と声。
言われ慣れた悪口を彼の口から聞く事はなく、代わりに温かな言葉ばかりが降り注ぐ。
父以外で初めて握られた異性の手は大きくて、ゴツゴツしているけれど温かくて。おそるおそる握り返すと本当に嬉しそうに笑った。
一輪。
一輪。
花が咲く。
彼の「大切」をもらう度に私の心には名も無き花たちが咲き誇る。
「季穂さん」
名前を呼ばれる度に私の花群れが揺れる。
欲張りになってもいいのだろうか。
いつしかそう思うようになっていた。
見た目も性格も良い彼は私じゃなくても多くの選択肢があった。
何も私なんかを選ばなくても。彼は人生を損している。
そんな考えが頭の片隅にずっとあった。
でも、初めて「欲しい」と思ってしまった。
彼の隣。
この居場所が私は欲しい。失いたくない。
求めたことなどないから欲しがり方も分からない。
でも──
大学を卒業して就職をしてからも続いていた関係。
駅の改札前。
一人で待っている彼は相変わらず注目を浴びていて、2人の綺麗な女性が彼に話しかける。
こんな場面、初めてのデートの時なら「このまま帰ってやろうか」と思ったけれど。
「季穂さん」
気付いた彼がこちらに向かって笑顔で手を振る。
女性たちに向けられる「え? あれ?」という顔。
私は──
「季穂さん?」
彼の驚いたような声。
私は小さな子どもの様に彼の服の裾を掴んでいた。
求めたことなどないから欲しがり方も分からない。
でも、あの頃と違って今の私は「来るな」とは思わない。
きゅっと彼の服の裾を掴みながら思う。
やだ。あげない。
ふさわしくなくても、この人を誰にもあげたくない。
「季穂さん、何て顔してるの?」
鏡なんてないから自分がどんな顔をしているかなんて分からない。
ただ彼の顔は情けない程ゆるんでいて。
「ごめんなさい。大切な人が来たから行きます」
そう言って手を握って歩きだされて泣きそうになった。