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手負い侍、匿いて候  作者: 五十鈴 りく
捌❖別れの十月

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57/73

〈十〉

「待てっ」


 やっとの思いで声を出した。

 しかし、男たちは親信と小次郎を見て舌打ちをする。見れば、男たちは親信とそう変わらない浪人に見えた。幸之進の継母は足がつかないようにこの浪人たちを雇ったのだろうか。


 けれど、女人にそんな伝手があるものだろうか。

 ふとそんなことを思った。


 疾走で乱れた息を整えながら浪人たちを睨みつける親信だったが、向こうは自分たちが優勢であることを知っていた。その程度では怯まない。


「うちの娘を返してもらおう」


 親信が牙を剝くようにして言うと、浪人たちはああ、と声を零した。そうして、その中の一人が嫌な笑みを浮かべて言う。


「これはおぬしの娘か? そうか、それならば、この若侍を斬れば返してやろう」


 腕を捻り上げられた幸之進は、整った顔を苦痛に歪めている。真剣に痛いのだろう。いつもの軽口も出ない。


「――何故、おぬしたちの言いなりにせねばならんのだ? もしうちの娘を傷つけでもしたら、おぬしたちこそ生きて帰れると思うな」


 脅しのつもりはない。もし加乃に何かあれば、親信はこの浪人たちを斬る。少しのためらいもなく斬り刻めるだろう。

 加乃の命は、親信にとって幸之進よりもこの浪人たちよりも重いのだから当然だ。

 それでも、浪人たちは親信の言葉を鼻で笑った。


「数ではこちらが勝っている。二人で勝てるつもりか?」


 浪人は四人だ。もちろん勝てるつもりでいる。

 親信も小次郎も剣術に打ち込んできたのだから。


 浪人たちは後ろでぼそぼそと話している。


「――まあいい、下手に動くなよ」


 その時、加乃が震える声を振り絞った。


「い、いえ、わたしは、そのお方の娘ではありません」


 涙がぽたりと落ちる。

 加乃の口からそんな言葉が漏れることが、親信にとっては斬られるよりもつらいことであった。事実を口にしているだけだと加乃が思っているとしても、そんなものは聞きたくないのだ。この場を切り抜けるために言っているのであってほしい。


「いいや、違う。加乃は私の娘だ。誰がなんと言おうと、私の娘だ」


 だから、何があっても守る。

 沙綾ともそう約束したのだ。

 こんなにも加乃を傷つける世間から守って、仕合せに暮らしていかねばならない。


 加乃は親信の言葉を嘘だと受け取ったのだろうか。ただぼろぼろと涙を零してうつむいた。

 幸之進を締めつける力が弱まったのか、幸之進は急にいつもの調子になる。


「そもそもの狙いは俺ではないのか? それならばさっさと斬ればよいのだ。――いや、やはり痛いのはこりごりだ。そうだ、あの御仁は腕がよい。ひと思いに斬ってくれる。どうせ斬られるのならば、親信殿の手にかかりたい」


 何を考えているのか、幸之進はそんなことを言い出す。そうして、自分を捕らえている浪人をじっと見ると、何故か少し笑った。


「どうせ誰が手を下しても上田が斬ったことになるのだろう? あれはうちの家人(けにん)だからな。継母上(ははうえ)が寄越した上田が俺を斬り、それが露見すれば、家内のことも満足に治めきれぬと父上の立場も悪くなろう。それでおぬしたちも満足ではないのか?」


 男たちがザッと川原の砂利を踏み締める音がした。

 この男たちは幸之進の継母の手の者ではないのか。

 捕まっているくせに偉そうに、幸之進は続ける。


「今、ここへ現れたのも、()()()()()上田を切り札として捕えておきたくて後をつけ回しておったのだろう? しかし、なかなか機会に恵まれず、とりあえずつけ回していたところに死んだはずの俺が出てきた。焦ったかな?」


 浪人たちは幸之進の言い分を笑い飛ばすことはしなかった。無言である。

 ただ、目がどんどんつり上がっていく辺り、幸之進は的外れなことを言っているわけではなさそうだ。


 幸之進の継母の(めい)で手を下したと、どうあっても小次郎に言わせねば、幸之進の父親を追い込むには弱い。小次郎は大事な証人なのだ。

 しかし、その小次郎を捕らえようとしていると、幸之進が出てきた。この男が死んでいないとなれば、何もなかったも同然なのだ。これではいけない、と。


 とにかく、継母が小次郎を使って幸之進を殺したという事実がこの者たちには必要らしかった。


「おぬしたちは浪人風を装っても詰めが甘い。本物の浪人とは()()()()ものだ。汚れのない足袋を履いて、立派な拵えの太刀なんぞ差してはおらんだろう?」


 と、親信を顎で指す。貧乏で悪かったなと言いたいが、それどころではない。

 幸之進が言うように、細かいところを見ると、この侍たちは着物こそ木綿の古着だが、差料は手入れが行き届いているようであった。

 足元もだ。わざわざ古着に着替えてから襲撃に来たのか。


 男たちは、命の危機に瀕している幸之進にそんなことを言われるとは思っていなかったのか、僅かにたじろいだ。


「継母上は悲しみに暮れて落ち着いた考えができなくなっておる。そこにつけ入るのは魔物だ。継母上をそそのかす者がいたことくらい、すぐにわかる。その者は、父上に恨みを抱いておったとして、それでも屋敷を訪い、亡き異母弟(おとうと)の悔やみのひと言くらいは言える人物だ。おぬしたちはその者の手先だろう」


 幸之進は住み慣れぬ暮らしの中、周囲の人々をよく見ていた。誰が自分にとって害があるのか。優しい顔をして、裏では牙を研いでいるような者もいたのだ。

 命を狙っているのは継母だが、それをさせようと画策した者が別にいると幸之進は考えているらしかった。


 男たちはそれでも、幸之進が特定の名を出さぬので、確信にまでは至っていないと安堵したのかもしれない。狼狽える素振りは見せなかった。


「死に逝く者には関わりのないことだ」

「家の不祥事で父上が失脚すれば、代わりにその地位に上れると思うのは浅はかというもの」


 それを口にすると、男たちの顔つきが変わった。幸之進の言葉は真相に近づいたのだと親信でさえわかった。

 ただし、だからこそ早く口を封じてしまわねばという焦りを煽ったような気もする。


「殺せ」


 誰かが低く唸った。殺気が迸るものの、剣術が不得手なはずの幸之進はそれをさらりと躱して意地悪く笑った。


「そういきり立つものではない。とは言うものの、俺が死なずにしぶとく生き抜いたら、今後、おぬしたちよりも格段に俸禄が高くなるぞ。面白くないなぁ?」

「貴様っ」


 無駄に煽るから、幸之進はまた腕を捻り上げられた。いたたた、と呻いているが、痛いのは生きている証拠だ。


「まあ、とにかくそこの娘御は放してくれ」

「おぬしが死んだら放してやる」

「まったく、仕方のない」


 幸之進はぼやくと、親信たちの方に目を向けた。その目は、親信というよりも小次郎に向かっていた。目で何かを訴えている。それから、親信に向き直る。

 死を目前にしても怯えた様子はない。むしろ、いつもの飄々とした顔をしていた。


 それは、幸之進が己の命に執着がないということではない。幸之進はまだ諦めていないのだ。これを危機だとは感じていない。

 それならば、親信は幸之進の企みに賭けてみるしかない。


「よし、今から斬られてやる。おぬし、共に斬られるか?」


 自分を捕まえている男に、ゾッとするような笑みを浮かべて言う。男は苦々しい面持ちで幸之進を前に出し、一歩、また一歩と親信の方へ進む。


「この男を斬れば娘は返す」

「――わかった」


 親信はうなずいた。

 きっと、幸之進はこう答えろと親信に仕向けているのだ。満足げに笑った。


「ありがたい。親信殿の手にかかるのなら本望だ」


 この男は嘘つきだから、そんなことは思っていないだろうに。

 それでも、それが本心のようにして笑うのだ。

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