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手負い侍、匿いて候  作者: 五十鈴 りく
捌❖別れの十月

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〈九〉

 それから、親信たちは道行く人に加乃の特徴を伝え、そういう子がこちらに来なかったかと訊ねながら捜した。

 すると、一人の老婆がうなずいた。


「ああ、すごい勢いで走っていきましたよ」

「ど、どちらへっ」

「は、橋の方に」


 親信が前のめりになるから、老婆は引いていた。振り向くと、幸之進は小走りに動き出していた。そして、急に駆け出す。

 親信と小次郎もそれに続いた。


 幸之進は加乃を見つけたのだ。遠目に、橋の欄干から川を眺めている子供の姿が見えた。


「加乃っ」


 親信が思わず叫ぶと、加乃はハッと顔を強張らせて逃げ出した。そのことに深く傷つく。


 加乃にとって、親信は父親から赤の他人に転落してしまったらしい。血が繋がっていないのなら、ただの図体の大きな男でしかないのか。

 この時、小次郎が親信の肩をつかむ。


「向井、俺が偉そうなことを言えたものではないが、あの子は戸惑っておるだけではないのか。それならば、幸之進様にお任せしてみてはどうだ」


 幸之進は逃げた加乃に追いつく。子供の足だから、幸之進でも追いつけるのだ。

 今、加乃にどう話すべきなのか、頭の整理がつかないのも事実だ。勢いで話してはかえって傷つける恐れもある。

 幸之進ならば、親信よりも穏やかに上手く加乃の心を落ち着けてくれるかもしれない。


「――うむ」


 肩を落とした親信だが、そんな父を親太郎がじっと見ていた。だから、あまり情けない顔をしていてはいけないと思い直す。こんなことなら親太郎は預けて出てくるべきだったのかもしれない。そうしたら、親太郎にまで余計なことを聞かせずに済んだのだ。


「ねぇね」


 ぽつりと親太郎が零す。加乃を心配しているのだ。

 ずきずきと胸が痛んだ。

 橋を渡りきり、幸之進は加乃と手を繋いだ。普段だったら嫌だと思うが、今はそんなことでも加乃の心細さが消えるのならいいと思えた。


 幸之進は加乃に向け、ひと言、ふた言と声をかけているのがわかる。何を話しているのかまでは聞こえないが、加乃が空いた手で目元を擦ったのがわかった。それを川を挟んだ向こう側から眺めるしかできない。


 加乃のことが心配で、その心中ばかりに思いを馳せていた。それはもしかすると幸之進も同じであったのかもしれない。

 短いとも長いとも言えない歳月を共に過ごしただけの他人であるけれど、幸之進なりに親信たち家族がどうでもいいというわけではないらしかった。


 親信は、ささやかな暮らしを平穏に、仕合せに生きていられたらそれでよかった。

 他のことは頭から抜け落ち、どうすれば加乃を慰められるのかとそればかりを考えた。


 だから、この事態は起こるべくして起こったのだ。


「ちーうえっ」


 親太郎が親信の腕の中で叫んだ。

 語りながら川沿いを歩いていた幸之進と加乃を、数名の侍が取り囲んでいた。幸之進が気づかなかったのは、見知った顔ではないからだろう。

 とっさに小次郎を振り返るが、小次郎はかぶりを振った。


「し、知らぬ。俺は関わってはおらぬが――」


 小次郎が幸之進の息の根を止めなかったことを継母に知られてしまったのだろうか。小次郎は泳がされていたと考えるべきかもしれない。


 こうして親信と小次郎が離れ、幸之進は子供と二人になった。これはまたとない好機なのだ。


 駆けつけなければと思うが、親太郎を連れている。これでは刀を抜くことすらできない。それでも、ここでまごついていたら加乃を人質に取られる恐れがある。

 そして、幸之進は今度こそ殺される。


「親太郎、必ず迎えにくるから、ここで待っておれっ」


 親信はとっさに、近くにいた団子売りの夫婦に親太郎を預ける。


「私は安倍川町きなこ長屋の向井と申す。すまぬが、少しだけこの子を預かっていてくれっ。頼むっ」


 有無を言わさず、親太郎を屋台の横に下した。人のよさそうな夫婦は、ええっと驚いたものの、親信は返答を待てない。親太郎は目にいっぱい涙を溜めつつも、唇を噛み締めて耐えていた。


 親信は親太郎に心で詫びながら駆けた。小次郎はそれよりも先を走っている。

 幸之進は抗っていたが、非力故にすぐに腕を捻られた。加乃は帯をつかまれて逃げられず、恐ろしさで声も出ないようだった。加乃を引き、それから幸之進を捕らえて男たちは土手を下りていく。


 見失わぬよう、親信は必死だった。

 加乃の命までは取られないとしても、目の前で共に暮らした若侍が斬り殺されるような目に遭ったら、二度と笑うこともできなくなる。


 幸之進の命はもちろん大事だが、親信はきっと、幸之進と加乃の命を秤にかけられたら加乃を取ってしまう。幸之進は地獄の縁から勝手に這い上がってくれたらいい。


 あれは殺しても死なないしぶとい男なのだと、親信は己に言い聞かせて走った。

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