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手負い侍、匿いて候  作者: 五十鈴 りく
伍❖賑わいの七月

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33/73

〈四〉

 こう人が多く、皆が同じ方向へ進んでいると、歩いているというよりも歩かされているという気になる。流されるままに進むと、見世物小屋とは言うものの、小屋という大きさではない建物が見えた。


 そうして、木戸番がいる木戸口に流れ着く。木戸番は見物客の頭よりも高い位置に構えており、群れを成した人が手を挙げては木札を求めている。その様は、まるで池に餌を投げ込んだ時の鯉さながらだとぼんやり考えてしまった。

 すると、近くで幸之進の声がした。


「親信殿、何をぼんやりとしておるのだ。早く札を取らねば大入りの札どめになってしまうぞ。今こそその上背を生かす時ではないのか?」


 こんな時でもないと、その図体は役に立たないと言われているようにも聞こえたのは気のせいだろうか。


「――すまん、息子はまだ三つなので札は要らぬだろう? 四人分の札を頼む」

「へいへい、毎度っ」


 一人三十二文というのは噂で、本当はもっと安いのではないかとほんの少し期待してみたが、しっかり間違いのない噂であったことに親信はがっかりした。


 加乃と二人分の木札を受け取るなり幸之進はそれを懐に納め、加乃の手を引いて流れていった。親信も慌ててその後に続く。


 こういう時、背が低いと埋もれて木戸番に気づかれずに苦労するかもしれない。

 なんてことを考えたせいか、人混みに紛れた中で精一杯手を伸ばしているのに、人の頭よりも少し上かというくらいの指先が見えた。その下の方から恨みがましい声がする。


「お、おのれ、後から来たくせをして易々と木札を手に入れるとはっ」

「――――」


 よく見えないが、順番を抜かしてしまったのかもしれない。怒られてしまった。

 心で詫びつつも気を取り直し、先へ進む。


 そこからは、感嘆の連続であった。群衆の中からもため息が漏れ聞こえる。


「これはまた――」


 見事なものだった。通路を進んでゆくと、籠細工が次々と並べられている。


 赤鬼、麒麟、鳳凰、孔雀、猪、鹿、朕、獅子――。

 細く切った竹を編み込み、それらの形を作り上げている。その竹もただ無造作に編んだのではなく、細いものから太いものを組み合わせ、鮮やかに色を染め、それぞれに見合った質感を出している。鳥の羽根などは削り出したように細く、なんとも繊細な仕事であった。


 一体一体が大きく、親信の長屋の部屋に置いたらそれだけで埋まってしまう。いや、そもそも入らないかもしれない。

 この見世物小屋が大規模なのも仕方がなかった。


 親太郎などは、ずっと、うわぁ、うわぁと言い続けていて、この籠細工の素晴らしさを称える言葉を持たないことをもどかしく思っているようだった。多摩も目を輝かせている。そうした表情は珍しく思えたので、やはり連れてきてよかったようだ。


 少し離れて先を行く幸之進と加乃はというと――。

 子供の加乃の背丈では人に埋もれてしまってよく見えなかったのかもしれない。急に幸之進が加乃を抱き上げた。それを目の当たりにした親信はどうしようもなく顔が引きつる。

 あれだけ細腕だ非力だと力仕事を避けるくせに、こんな時は力を発揮できるらしい。


 加乃は幸之進の行動に驚いて焦ってはいたものの、見世物がよく見えるようになって嬉しかったのかもしれない。籠細工に感動している様子が親信にも見えた。だから、親信は幸之進に怒れないのだ。

 面白くはないけれど。


 ――とはいえ、やはり非力には変わりなく、そんなに長くは支えていられないのであるが。


 客の流れは止まらず、親信たちも流されていく。籠細工は覚えているだけでも二十数体はあった。そして――。


 これまでの籠細工も十分に素晴らしかったのだが、通路の奥まった先には目玉があったのだ。

 あまりの迫力に、抱き上げている親太郎が震えた。


 籠細工の武将とその従者がいたのだ。

 その大きさはざっと見て二丈二尺(六・七メートル)ほどあるだろうか。その足元にいる紋服袴の口上がまるで小鬼のように見えた。


「――その時、短兵急(たんぺいきゅう)赤兎馬(せきとば)に跨った関羽(かんう)、敵兵の前に現れ」


 口上は、声高らかに軍談を語る。それを煽るように三味線の音がベベン、と響く。

 この籠人形は唐人の戦、三国志に出てくる武将、関羽である。美髭公と呼ばれたほど豊かな黒髭が竹細工で編まれている。その従者、周倉(しゅうそう)が関羽の手前で勇ましく矛を手に睨みを利かせているのだ。


 三国志の口上は、民衆が好むようにおどけており、時折どっと笑いが聞こえる。これならば子供にも楽しいだろう。玄人の喋りというのはすごいものだ。口下手な親信には到底真似できない。


 口上を聞きながら、あますことなく籠人形を眺め、切りよく話終えた時に小屋から出た。出たというよりは他の客たちに押し出されるようにして出されたとも言う。もっと眺めていたいような気分だった。こうなってみると、三十二文という値が決して高くはないのだという気になる。


 すさまじい熱意で作り上げられた細工なのだ。それを目の当たりにした子供たちが今日のことを覚えて胸の片隅に残していてくれるのなら、よい銭の使い方をしたと言えよう。


 一時(約二時間)以上は見世物小屋にいたと思われる。まだ日も高く、夕餉の支度を急がねばならぬこともない。ゆっくりと通りの屋台を冷やかしつつ帰ろうかと、今日の余韻を噛み締めながら思った。


 幸之進と加乃は、先の方にいたかと思えば、出てきたのは親信たちの方が早かったようだ。続々と流れ出てくる客に流されないようにして、親信は多摩と脇の方に逸れると、幸之進がそれに気づいて加乃の手を引きながら近づいてきた。


「やはり評判になるだけのことはある。素晴らしい品々だったな」


 にこやかに、毒気を抜かれるような笑顔で言う。そんな幸之進の手を加乃がしっかりと握っているのがまた、親信には嫌なものである。それでも、加乃にとって幸之進は頼れる存在なのだろうか。


「父上、今日はありがとうございます。とっても楽しかったです。一生の思い出です」


 なんてことを加乃が嬉しそうに言うから、親信も加乃の感動を濁らせたくはなかった。面白くないながらに、精一杯笑顔を作る。


「そうか。それはよかったな。加乃にはいつも家のことを手伝ってもらっておるから、楽しめたのなら何よりだ」


 親信は加乃の頭をそっと撫でた。加乃はこそばゆいような面持ちで、それでも笑った。


「お多摩殿も楽しめたか?」


 幸之進が話を振ると、多摩はずっと握っていた親信の袖をパッと離した。


「は、はい。どれも立派で、観に来られてよかったです」

「それならよかった。なぁ、親信殿?」

「そうだな」


 何かを言いたげに幸之進は親信を見上げるけれど、連れ添った夫婦でもないのだから、何を言いたいのかわかるはずもない。親信は適当に流すと、遠くを見遣った。


「何か食べたいものはあるか? お()つに買ってやるぞ」


 加乃や親太郎はお八つと聞いて嬉しそうに顔を綻ばせている。幸之進もお八つが食べたいのか、それに乗っかった。


「屋台巡りをしよう。何がいいかな?」


 ほくほくとそんなことを言っていたのに、幸之進はふと真顔になった。そして、機敏に振り返った。その動きが天敵に狙われた獲物のようで、親信は少し驚いた。

 この時ばかりはふざけることもなく、真剣であったのだ。


「――どうした? 知り合いでもおったのか?」


 幸之進の知り合いならば、幸之進は会いたくないだろう。幸之進の従兄の馬之介であればいいが、馬之介は高い札銭を出してまで腹も膨れぬ見世物小屋に来たりはしないはずだ。馬之介ではない。


 父親の家の者か、あるいは揉めて斬りつけてきた侍などであったりしたら、幸之進にとっては困ったことである。

 会いたくない顔が多いくせに危機感もなく出歩いている幸之進が悪い。家に連れ戻されるのも仕方のないことだ。

 親信は庇ってやるつもりもなかったのだが、どうやらそういうことではなかったらしい。


「いや、誰かがこちらをじっと見ておったのだ。それこそ、穴が空くほど見ておったぞ」


 こちらを見ていたという。その場合、見られていたのは誰だろうか。

 幸之進は首を傾げている。しかし、いつになく目元が引き締まっている。冗談を言っているわけではないようだ。


「そうさな、どろりと恨みの籠ったような、殺気すら感じる目であった」


 殺気とは穏やかでない。親信が感じ取れなかったのは、自分に向けられたものではなかったからか。

 幸之進は、はぁ、と嘆息した。


「俺はよく要らぬ恨みを買うので慣れておるが、どうやら俺に向けられたものではなかったな」


 慣れているのか。それもどうかと思うが、恨みを買いそうではある。

 幸之進は親信を少し見上げ、それから多摩を見た。多摩は――青ざめていた。


「お多摩殿、何か人から狙われている覚えはあるかな?」


 単刀直入に幸之進は訊ねた。

 しかし、大人しい多摩が人から恨まれるとは考えにくい。幸之進が殺気すら感じたなどというから、多摩は病的なほどに震えていて、歯がカチカチと小さく鳴った。


 幸之進は、見物客の賑わいや小屋から聞こえる感嘆の声とは裏腹の真面目な顔つきで多摩の様子を窺っていたかと思うと、急に加乃の手を放して親太郎に向けて手を広げてみせた。


「親太郎、こっちにおいで。父上は忙しいのでな、俺と団子でも食いながらのんびりせぬか?」


 親信がずっと親太郎を抱き上げていたから疲れただろうという気遣いではない。何か嫌なものを察知したからこそ逃げるのだ。

 よくわかっていない親太郎は、あい、と答えて幸之進の方へ体を移した。親信としても、親太郎を抱えているととっさに動けないので、仕方なく幸之進に親太郎を託す。暑い中でじっとりと汗ばんでいた体が離れ、涼しくなったような気がしつつも、どこか寂しい。


「ではな、向こうの屋台で休んでおるので、片づいたら迎えに来てくれ」


 なんとも気楽なことを言われた。

 けれど、多摩があまりにも怯えているので、このままにしておいていいわけでもない。幸之進が子供たちを連れて離れたのには、もうひとつ理由があったのかもしれなかった。


 子供たちや幸之進には言えずとも、親信くらいになら多摩も心当たりを話せるのではないかと――。

 そう、この怯え方は何かを抱えているからこそではないのか。


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