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手負い侍、匿いて候  作者: 五十鈴 りく
弐❖白花の四月
16/73

〈五〉

 他愛のない遊びを続け、日が傾いた頃になって藤庵が縁側にやってきた。


「今日は助かった。これは礼だ」


 渡されたのは、折り詰である。手に取るとずしりとする。握り鮨か、なんらかの食べ物のようだ。


「夕餉に皆で食ってくれ」


 庭先で遊んでいただけだというのに、礼をもらってしまった。


「いえ、これといって何もしておりませぬ故――」


 と、親信が遠慮がちに言う隣で、幸之進が子供たちの手を取って喜んだ。


「動き回ったので腹が減って仕方がなかったのだ。よかったよかった。なんともありがたい。なあ、親信殿」


 今から帰って夕餉の支度をしたくないというのも本音であるが、堂々とそれを言うのは控えたのに。親信の方が恥ずかしくなる始末だった。

 だが、藤庵は厳つい顔をゆるめた。その表情がなんとも切ないようで不思議だった。


「面白い男だ。すっかりよくなって、もう医者は要らぬな」

「怪我に関してはそうなのだが、明日も来た方がよいのなら遠慮なく申してくだされ」


 けろりとしてそんなことを言う。ここで遊べば何かもらえると味を占めたのだろうか。

 親信が顔を引きつらせて止めにかかった時、それよりも先に藤庵は安堵としか受け取れない表情を浮かべた。


「そうしてもらえるか? ありがたい――」


 子供たちもきょとんとしている。

 しかし、こんな藤庵の姿を見ると、とても断れないのだった。

 いつもは言いたいことをはっきりと、言わなくていいことまで言うような御仁なのだ。それが今は奥ゆかしくさえ感じられる。


「ではまた明日。あたたかくして過ごされますよう」


 そう言って微笑んだ幸之進の横顔は、何故だか訳知り顔に見えた。




 藤庵がくれたのは、握り鮨だった。豪勢なことに玉子まであって、子供たちは大喜びだ。

 金額が気持ちと同じだけの重さを持つとは思わないが、庭先で子供たちを遊ばせただけであんなにも感謝された意味がわからない。明日もと約束したものの、なんとなく気が重くなった。


 子供たちよりも握り鮨を喜んでいた幸之進だが、すっかり食べ終えた頃には真面目な顔も見せた。


「親信殿、これは人助けなのだ」

「――鮨を食うのがか?」


 白けた目をした親信に、幸之進はやれやれと首を振る。その仕草にまた腹が立つのだが。


「そうではない。庭先で子供たちを遊ばせることが、だ」


 親太郎ははしゃぎ過ぎたのか、幸之進の膝にもたれかかってうとうとしていた。加乃は、皆が使った箸と湯呑とを土間で洗ってくれている。


「あれには一体どういう意味があるのだろうな」


 火を灯していない薄暗がりの長屋の中、幸之進の白い顔が浮かび上がって見える。


「子供たちの笑い声を聞かせたい相手がいたのではないかな」


 あの家にいるのは藤庵とよねだけだ。それとも、誰か病人が療養していたのだろうか。

 そう考えて、ふと最後に会ったよねのことを思い出す。少し痩せていた。

 しかし、だからといってどこか悪いとは限らない。


 ――いや、人は儚いものなのだ。

 急に悪くなって、それから坂を転がるように歯止めが利かなくなることもある。一度倒れて、それから起き上がることがなかったのは沙綾も同じだ。


 (それ)はある日、突然に訪れて、大事なものを奪う。

 長い年季に耐え忍んでやっと自由の身になれたよねが、今になって病に倒れたなどという救いのない話があるのだろうか。


 あまりに惨い。

 勘違いであればいい。早とちりだと、藤庵もよねも笑ってくれるだろうか。


「なあ、親信殿」


 落ち着いた幸之進の声が、冷たくなった親信の体に染みる。ハッとして顔を向けると、凪のような静けさで幸之進は目を細めた。


「明日も行こうではないか」


 うむ、とだけ答えて親信はうなずいた。

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