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【化け猫】
電信柱に無許可で『猫、探しています』と貼られている。その横を通り過ぎ、さらにゴミ捨て場を通過しようとしていた。
ゴミ捨て場に『処分』と書かれたダンボール。
今日は燃えるゴミの日ではない。
ギンにとって猫というものは野良猫か飼い猫しか実際に見たことがない。
物語の中では猫を拾ったとか、ネットでは里親募集を見るが現場に遭遇したことは今回がはじめてだ。
ギンは子供の頃、野良猫を抱き上げて引っかかれたことがある。
親にも言えず、治療の仕方も知らず、ジクジクとした痛みに数日間絶えた。今思えば患部から感染症の恐れもあったかもしれない――。
単純な俺はその経験により簡単に猫が苦手になった。
猫派犬派問題は天気の話題の次に気兼ねなくお手頃の質問として根強い。
ギンは犬派だった。
ダンボールに入った猫がいる。
情けか雑巾のようなタオルが下にひかれており、その上に黒い塊がぐったりと小さく横たわっている。首輪はない。
寝ているのか死んでいるのか。
猫は嫌いだ。引っ掻くから。
自分の心に嘘をつき、見なかったことにして通り過ぎた――。
━━━━━━━━━━■帰り道
真っ暗な夜道。仕事帰りに否応でも同じ道を通る。
『処分』の文字が貼られたダンボールが同じ位置にあった。
過去に路上の真ん中で車に轢かれ、死にかけた猫を動物病院に連れて行ったことがある。
オレの親は医療費を請求され、オレはなぜそんなものを拾ったのかと激怒された。
この経験によりギンは一つ大人になった。
世間は野良猫にも人間にも理不尽で、死者は土に埋めるものだと。
裕福ではないのだから助からない命に対してお金も時間も払う価値はなかったのだろう。
今のギンは大人になった。それも公務員だ。時間はないが金はある。猫の医療費も飼育費も大して痛くない――。
ギン覚悟を決め、ダンボールを抱えて夜間の動物病院を探した。
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拾った黒猫を『ロー』と名付けた。
ギンは今日もコンビニで猫缶を買ってから帰宅する。
拾った当初はひっかく力もなかったようで、それはそれはおとなしいものだった。
獣医に見せ、ケガはないが栄養失調だと診断を受ける。何日も食事をとれていなかっただろうと。
ということはゴミ捨て場に置かれる前から満足に栄養をとれていなかったことになる。
しかしギンは前日も前々日も同じ道を通勤に使っていたが猫を見かけなかった。
結局、獣医に栄養剤を打ってもらい飼育の仕方を伝授してもらい連れて帰った。
猫というものは、触ろうとすると逃げる。持ち上げると引っ掻く。
ギンにとっては猫とはそういう生き物である。
コイツになら引っ掻かれてもいい。むしろ引っ掻くくらい回復してほしい。そう願った。
ふやかしたキャットフードしか食べれなかったローが、次第に元気になってゆく様は、胸糞悪いクソみたいな事件ばかりで廃れた心に安らかな癒しをもたらした。
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「ロー、ただいま」
気まぐれにギンの帰宅に合わせて見せる姿はいない。
今日は乗り気じゃなかったらしい。
そんな彼でも猫缶を開ければ匂いを嗅ぎつけやってくるのを知っている。
靴を脱ぎ、続いてコートを脱ぎながらリビングへ向かった。
「!!」
ギンは部屋に入った瞬間、部屋の片隅にいる大きな塊に目が留まり、帰宅で緩んだ気持ちを引き締めた。
(空き巣? 勝手に上がり込んだ? ……いや、玄関は閉まっていた。窓が開いていたか?)
襲ってくる可能性も考え慎重に近づいた。
(……なんだこの物体は)
人間……? よく見ると頭に猫のような耳が。お尻からは尻尾が……。
(いやいや。何かの幻だ)
ぽかんと口を開け固まる。脳内で叫び、1度部屋を退出する。
五秒も経たぬうちに再び戻り、緊張感は保ちつつ再度じっと観察してみることにした。
目の前の大きな塊は大きな体を小さく丸めて目を閉じている。顔手足……全身が体毛に覆われている。大方が黒……そして所々に白が混ざっている。固く閉ざされた瞼はも真っ黒である。
起きる気配はない。
これは相当厄介なことになった……と頭をガシガシ掻きながら悩ませているとゴソゴソと物体が動き出したではないか。
「……?」
瞳が僅かに開き、寝ぼけまなこを猫の手巨大化バージョンでゴシゴシ擦っている。
(そうだ、ローはどこだ?)
失念していた。黒い物体に襲われていたら一大事だ。部屋を見渡すが見つからない。
――すると。
「なーお」
と大きな塊が鳴いた。
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「ギン。ありがとう。おれを拾ってくれて」
「……ローなのか?」
「にゃぁ」
「……なんだその姿」
「わかんにゃい」
「…………」
獣人。人間と獣の間。化け猫。そんな単語が頭をよぎる。
(知能は? 何を食う?)
夕食にと買ってきた猫缶を与えていいのか?
「飯……何食う?」
「ん……わかんにゃい」
自分の夕食用にと用意した人間の食事を少量与えてみたが、マズかったのか渋い顔をした。だが吐き出さず飲み込んだ。
次の瞬間。ぱっと一瞬で獣人は猫へと戻った。
「ナー」
もともと買ってきた猫缶を開け、猫皿によそってやるとまるで口直しをするかのように平らげた。
それから食事時は猫の姿へと戻るようになった。
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「服を着ろ」
「にゃだ!」
「おまえなァ……」
「にゃだああぁ!!」
ギンはローを追っかけまわした挙句、猫パンチとひっかくに対抗できずせめぎ合いに負けた。
実際、本気になれば押さえつけられないことはないが暴力はいけない。
猫の姿に戻り、窓とカーテンの隙間へと逃げられる。
拗ねてそっぽを向かれてしまった。
人間であれば不作法であるがあくまでコイツは猫。人間の形をした猫だ。
だがこちらとしても言い分はある。いい歳した男が真っ裸で一日中だぞ? そりゃ文句の一つも言いたくなる。
ローが暴れたせいで部屋はめちゃくちゃだ。卓上にあった本や書類はちらかり、クッションが破れ、中から綿が飛び出している。
「ハァ……」
ため息をもらし、キッチンの換気扇下へと移動した。
白い煙を吐き出しながら、ギンは思考に浸る。
コイツの存在が公になればどうなる?
警察官として保護すべきという正義感。
異端なものを排除する世の中では研究機関から一生檻から出られないだろう。いや、この家もローにとってはどちらも檻だ。
ローは獣人の状態で人間の言葉を理解できるし喋ることもできる。知能はそこそこあるようだ。
獣人の姿になれる理由はわからないと言っていたが、食事時やこうして隠れる様子から変化をある程度制御できるようだった。
以前飼われていたときはどうだったんだろう。
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ローを病院へ運ぶためのゲージが必要かと用意していた。
連れてきてばかりの頃は体力がなかったためか、ほとんどゲージの中で過ごしていたが、次第に部屋の中でどこでも寝ているようになった。
ローは寝ている間に獣人化してしまうことがあるという。
もしゲージの中で獣人化してしまっては大変なことになる。
まだそんな事故は起きていないが、これから家から出さなければならないときもあるだろう。外の人間に獣人化を見られてしまったら……。そう考えると不安だった。
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「ひっくひっく」
ある日の夜中。すすり泣く声にギンは目が覚めた。
「どうした? 怖い夢でも見たか」
ローはギンの家の中だけは自由だった。寝る場所だって好きに選べる。
ローのために人間用の布団を用意し敷いてている。一応、ここがローの第一の寝床の予定ではあるが、ベットで寝ているギンの上だったり横だったり好き勝手に選んでいる。
「……ひっく……化け猫、だって……ご飯……ひっく、もらえなくて」
「……そうか」
過呼吸のような息遣いを落ち着かせるように全身を撫でながら話を聞く。
「……暗い、とこ……閉じ込められて……」
「そうか。怖かったな」
前に飼われていた時の記憶だろう。
ふるふる身体を震わせて耐えている。
獣人化してしまった時、『化け猫』と怯えられそのまま監禁されたらしい。水も食事も与えられず、逃げることもできず衰弱していった。気づいた時は次の飼い主は俺になっていたということらしい。
「ギン……ひっく……」
「もう怖いことはなにもない。ずっとここにいればいい」
「うん……うん……」
あやしながら撫で続けると、ローは泣き疲れ眠ってしまった。ローはひどく傷ついている。俺にはせいぜい寝床と食事を与えてやるくらいしかできない。
━━━━━━━━━━■食事
焼かれた鮭が皿に載っている。ギンの本日の夕食の一品である。
自身よりローの夕食を先に用意したため、せっせとキャットフードを食べていたハズのローが机の上に乗ってきた。
鮭のクンクンと匂いを嗅ぎ、急に獣人化する。
「危ねーな」
机はそれほど広くない。夕食が置かれたスペースを除いてローが四つん這いになれるほどの広さはなかった。
よって、ローの身体が机からはみ出し優雅に床へと着地する。
「食べたいのか?」
「…………」
答えぬローは鮭を見つめている。
とりあえずギンは鮭をほぐす。ローの視線は依然として鮭を見つめたまま。箸をつついて一掴み、ローの口へと運んでみた。
すると、素直に舌の長い口を開き恐る恐る噛みしめ飲み込んだ。
「どうだ?」
「……ん、うまい」
結局、鮭と白飯を平らげてしまった。
そういえば、初めて獣人の時に与えた食べ物はトンカツだった。ただの好き嫌いだったのか。
ギンの本日の夕食は非常食のレトルトカレーへ変更された。
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ローのために首輪を用意した。
野良と間違われ殺処分にされるのは困る。
すっかりギンはローにベタぼれだった。
だが、首輪を見せると怯えた目をしてすぐにどこかへ隠れてしまった。
そんな行動をされては無理につけることもないのかと戸締りだけはしっかりするよう心掛けた。
調べてみると、室内飼いの猫は必ずしも首輪は必要ないようだ。今ではファッションで首輪をつけることもあるらしい。
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おれはロー。ギンが名前をくれた。
おれは仲間と違うらしい。
寝てるときに勝手に人間みたいになってる時がある。
猫は人間みたいに大きくならないんだって。
それでおれは捨てられた。死ぬんだって思った。だけど、ギンが拾ってくれた。
ギンはやさしい。
おれのことを『化け猫』と呼ばないから。
『服を着ろ』って怒るけど、許してくれる。
ここは暖かい。おなか一杯ご飯も食べられる。
でもいつか、おれのこと捨てたり、居なくなったりするかもしれない。
ギンはずっと一緒にいてくれるといいな――。
感想(誤字報告)と評価をいただきたいです。