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「次は食事室に案内する」
迷いのない足取りのナタリアを追って、後ろをついていく。
歩き始めて少しして、前方から1人の男が向かってくるのが見えた。
ナタリア以外の人の登場に自然と身体が強張った。
しかも男ということは、誘拐犯の一味だろう。
誘拐された時の事を思い出し、血の気が抜けるような感覚が私を襲った。
ナタリアは男が現れたことを特に気にする素振りはない。
その仕草から、男とすれ違うのは日常的なことなのだろう。
てっきり、変な人が接触出来ないように、攫った女は城の一角に隔離されているものだと思っていたから、この国の私達への対応の緩さに驚いた。
これなら案外、逃亡も思っていたよりも簡単なのかもしれない。
男との距離が段々と近づく。
あまりじろじろ見て難癖つけられるのは御免なので、ナタリアと同じく気にしていない風を装い目を逸らした。
無言のまま靴の音だけが廊下に響く。
早鐘のように心臓が速く、薄っすらと汗が出てきた。
無視するなんて生意気だとか、歩き方が腹が立つ、みたいな因縁を特につけられることはなく、何事もなくすれ違うことが出来そうな雰囲気だった。
通り過ぎる瞬間、目線だけを男の方へ向ける。
私は男の顔を見て、思わず足を止めた。
「どうしたの、マリー」
後を付いて来ていないことに気づいたナタリアが小走りで戻って、心配そうに眉を下げた。
私は強張る顔で笑顔をなんとか作る。
「……ごめんね、何でもないわ。行きましょう」
ナタリアは不思議そうに首を傾げた。
再び歩き出したナタリアの後を静かについていく。
私と男の視線は確かに交わった。
男は飢えた獣のように目をギラギラと光らせていた。
呼吸することさえ躊躇う程に恐ろしい、とても嫌な目だった。
そんな私の怯えを感じ取ったのか、男はいやらしい笑みを浮かべて、通り過ぎた。
あまりのおぞましさに、全身に鳥肌が立っていた。
あの男は絶対に危ない。関わっちゃいけない人だ。
危険だと本能が訴えていた。
夏なのに寒くて震えが止まらない。
私は自分を包み込むように抱きしめた。
「……もしかして、体調が悪い?医務室に行く?」
「ううん、大丈夫よ。少し、疲れただけだから」
「無理しないで。案内はまた今度にする。今日は部屋に戻って休んでいて」
「本当に大丈夫だから、気にしないで。それに、ずっと寝てたみたいだから、少しは動かないと身体に悪いし」
「分かった。このまま案内を再開するけど、体調が悪くなったら、すぐ言って」
ナタリアは私の体調が気になるのか、頻繁に後ろを振り向いて、私が付いて来ているか確認してくれた。
ナタリアの優しさに私の硬直が解れていく。
……別に何かされた訳じゃない。
私は男の不快な目や気持ち悪い表情を頭から追い出し、前向きに考えることにした。
それに、何を仕出かすか分からない不審な男か居ることが知れたのも、悪くない情報だ。
あの男には近づかないようにしよう。
そう決意していると、ナタリアが一つの部屋の前で足を止めて、扉を開けた。
ナタリアはそのまま部屋の中へ入っていったので、私もその後を追う。
部屋の中には大きな机が真ん中に鎮座し、10脚の椅子が机を取り囲むように並んでいた。
「ここが食事室。私達はここで食事しながら、テーブルマナーの勉強をしている」
「私とナタリアとまだ会っていない女の子で3人。7人の教師に囲まれて食事するの?……なんだか息がつまりそう」
想像するだけで食欲が失せる。
7人に食べている所をジッと観察されるなんて、すごく嫌だ。
教師が分担して見るにしても、2~3人が私の食事を監視することになる。
私がソースを口につけた瞬間、7人から叱責が一斉に飛んできそうだ。
「うるさ……賑やかな食事になりそうね」
「今、うるさいって言った、マリー?…でも、7人も教師に囲まれて注意され続けたら、確かにそうかも。安心して、教師は1人だから。残りの6脚は空席」
「空席なの!?半分も使わないのね。使わない椅子は撤去すればいいのに。でも安心した。粗相すれば、7人から叱責を受けるのかって、今から恐ろしく思ってたから」
「空席があるのは、実践の雰囲気づくりだって言ってた。広々と使うより、手狭な中で窮屈でも美しく食事をすることの練習を兼ねてるらしい」
「へえ、そうなの」
私達はどうやら色々な教育を受けるみたいだけど、その理由が検討もつかない。
色々な知識を身につけられて、困るのはこの国の連中だ。
一体この国の連中は何を企んでいるの?
説明し終わったナタリアが笑顔で私に顔を近づけた。
私は急な近さに後ろに少し仰け反る。
な、何……?いきなりどうしたの……?
「マリー、元気になった!さっきは顔が青くて元気なかったけど、だいぶ血色がよくなったし、良かった。壺の話をしている時みたいに、口もよく回って来たし」
「えっと、まあ、おかげさまで元気になりました。……ねえ、私とナタリアの間に誤解があると思うの。私、別に壺の話しか出来ないって訳じゃないからね」
ナタリアはきょとんとした顔で首を少し傾げた。
「本当よ!故郷で友達と壺の話題なんて、全く出ないわよ!?」
必死にナタリアに弁明した。
壺にしか興味ないマニアックな人だと思われるのは、非常に遺憾なことである。
むしろ、元々壺に興味はない。
もし、私が無類の壺好きだと広まったら、きっと本当の壺マニアが私を同類と思って話しかけてくるだろう。
著名な壺職人の名前を挙げて、『あの人の作品はーー』とか言い出すんだ。
そんなのカケラも知らない私に壺マニアは『そんな壺界では有名なことも知らないの?チッ、只のにわかファンかよ』と馬鹿にして去っていく。
後日、壺のにわかファンという不名誉な称号が私につけられるのだ。
そんなのは嫌だ。
なんとかしてナタリアの誤解を解こうと、ナタリアを力強く見る。
「じゃあ、いつも友達とどんな話をしてるの?」
「それは、ほら!虫の話とかよ!」
口が滑って、ハッと口を押さえたが、発言してしまった事をなしには出来ない。
案の定、ナタリアは不思議そうに私を見た。
「……マリーは変わってる」
「……うん、もうそれでいいわ」
私の村の女の子達と虫の話で盛り上がっていたのは事実だし、皆変わっているのも事実なんだろう。
もう、壺マニアが私の所に押しかけて来なければ、それでいいと素直に思えた。
「他の部屋も案内したかったけど、そろそろ休憩時間が終わるから、座学の授業を受ける部屋に案内する。ついてきて」
「ありがとう。分かったわ」
ナタリアの後を追って、次の案内場所へ向かった。