切っても散るだけの幻影
目的は〈出来るだけ生け捕り〉。
屋根を落ちてくる老女を狙いすまし、氷の魔法で迎え撃つ最中。
「影かっ」
ソリスの警戒を含んだ一言にアリシアは身を返す。
目の前に迫る黒い刃。
避けきれないと悟った瞬間、ダガーナイフに腕を貫かれた刃の振り抜く軌道が逸れた。
(ソリスの腰にぶら下がってる、趣味の悪いダガー)
「爆風陣」
コンビを組んでの実戦歴は長い、言葉はなくてもその作り出した一瞬は無駄にしない。
吹き飛ぶペールブルーのドレスを追い、ソリスが駆け抜けていく。
「貸し、清算よ」
余計な一言を残し。
「チッ」
舌打ちは残すが悪い気はしない。
背後はソリスに任せればいい。
アリシアの胸に安堵に似た感情が広がっていくが、彼女がそれをあえて認めることはない。
「あたしはあたしの仕事をすればいいんでしょ」
見上げる月に立ち上がる影。
「竜吹氷嘶っ!」
アリシアの放った力ある言葉に、凍える竜の息吹が牙をむく。
広範囲に吹雪くこの檻からはまず逃げられない。
アリシアも、この一撃で充分カタが付くと踏んでいる。
しかし収まる吹雪の後には、何も残っていなかった。
「消えた?」
信じがたいが、ないものはない。
小さく口の中で何事かをつぶやいたアリシアの背後から、魔力を解放する声がする。
「闇影槍」
振り返るアリシアは、自らの影から生えた黒い槍に脇腹を抉られる。
「ひひひ。
紅く美味い血が滴るよ。
ジリジリと命を奪う。
痛み、苦しみ、その恐怖を存分に味わいな」
低く笑う声が嘲りを含む。
アリシアのふっくらとした珊瑚色の唇に浮かぶ優しい微笑みに、老女の顔が驚きを乗せた。
「昼間のお上品なおばぁちゃまとは、だいぶ勝手が違うんじゃない?」
アリシアの脇腹に届く寸前。黒い槍は時が止まったかのように凍り付いている。
アリシアの指が小さく唇に触れた。
「あたしオリジナルの防御壁よ。
範囲は狭いけど、一回だけ、そこそこの攻撃なんか通さないわ。
あたしたちを敵に回そうなんて、喧嘩をうる相手を間違えたわね」
憎々しげな表情を浮かべて、老女の姿が外灯に映し出された樹木の影の中に沈んでいく。
「なるほどね。
影を渡るなんて、ますます人間技じゃないわよっ!
光球」
アリシアの作り出した魔法の光は、闇夜に慣れた瞳が焼かれないように、外灯よりもやや明るく地面を照らす。
結果、影の位置を移動させ老女の姿もかき消える。
(一緒に消えた。
影の位置。
防御壁はもうない。
あたしなら背後を取る。
ってことは)
頭上に浮かぶ光球より、大きく一歩前に飛び出し、足元から出る影がアリシアの前方に伸びた。
その影がずぶりと波紋を描くように揺れ、節くれだった手が、ぞわりと乱れた髪が、姿を見せる。
「闇影槍っ……」
「雷光蔦っ」
老女の額を撃ち抜くような仕草を見せて、完成していたアリシアの魔法が指先から電流の蔦を噴き出すと、相手を絡めとった。
影の槍がアリシアの柔らかなスカートを貫く。
電流に震える老女の身体が大きく波打ち、文字通り、弾け散った。
「んなっ!」
驚きの隠せないアリシアの目の前で、黒い影とも塵ともつかないモノが虚空に溶けていく。
(電流系はダメってこと?)
消え去る影の奥。アリシアの視界に、低い体勢から剣を振り切るソリスが映った。
蠢く影。
切っても散るだけの幻影。
「氷結鞭っ!」
アリシアの指先からはらりと散る氷の結晶が、氷の帯となり意思を持ってペールブルーのドレスの姫を氷の彫刻へと変えた。




