仕事前の一杯
「なぁ」
「何よ」
「悪かったよ」
「そう」
「反省もしている」
「へぇ」
「次からは気を付ける」
「偉いわね」
「だからさ」
生返事を繰り返すティアの意識を引くために言葉を一度区切り口内で溜める。
言葉をかけられている者が目の前の掲示版から視線を外し、やっと声の主を見やる。
胡乱な眼差しがもはや欠片も言葉を信じていないことを赤裸々に語っていた。
一瞬それに怯むが、ここは引けまいと言葉を続ける。
「靴、買いに行きませんかね?」
レザーアーマー、籠手にレガース。きちっとした装備に身を包みながらも、唯一足だけむき身の男、ザクスがティアに懇願する。
ティアは呆れ気味にザクスを見て、一度わざとらしい大きなため息を一つ。
頭を軽くやれやれと振りながらも、浮かべる表情は柔らかめな苦笑い。
ザクスの顔に希望が宿る。
「駄目よ」
ザクスときちんと視線を合わせ、満面の笑みを浮かべたティアは否定を口にした。
拒否が来るとは思っていなかったザクスは目をパチパチと瞬かせる。
「これもいい機会です。裸足で仕事をして、痛みを得ることで教訓となさい。そうすればもう二度と酔っても靴を手放そうとは思わないでしょうから」
そうよね、と流し目を最後にティアがまた、目の前の掲示版へと向き直った。
どの依頼がよさそうかしらとつぶやく彼女は梃子でも動かせなさそうだとザクスはがっくりと肩を落とす。
仕方ない、手早く済ませて靴を手に入れねばと。ティアに選ばせて変な仕事を受けさせられては溜まらないと。
ザクスも気持ちを切り替え、掲示板に張られた依頼書。ギルドに寄せられた仕事に目を通し始めた。
それはきっと周囲から、文字通り足元を見られて笑われている事からの逃避も込められたいたのだろう。
(あぁ、くそ。こんなにギルドの居心地が悪いのは久しぶりだ)
後悔とは先には立たないものであった。
ギルドと呼ばれる物がザクス達の住む世界には存在する。
正式名称は“業務委託組合”といい、ギルドともしくは何でも屋などと呼称されている。
世界には未踏破の区域、遺跡、迷宮、魔獣や魔物なども存在する。
必然、人類種の多くは城壁都市を作りそこで暮らしていた。
けれども、一つの都市で全てを賄う事などは不可能である。
そのため、世界的に人や物の流動は歓迎されている。
そういった下地故、行商人や旅人といった者が多く存在する。
しかし、旅をするにもタダではない。先立つものが無ければとてもではないが続けられない。
そこで多くの都市では旅人達に路銀を稼がせるための仕事を斡旋するようになった。
それがギルドの前身である。それがいつしか規模が広がり、多くの都市、国で画一化・統合されて出来上がったのが今のギルドであった。
ギルドには多くの者が集う。
狩人、採集家、傭兵、商人、ジプシー、冒険者、学者……それはそれは多くの者がそれぞれの目的のために足を運ぶ。
そしてギルドで仕事を請け負う物を人々は請負人と呼ぶ。
そんな請負人の一人であるザクスはいい加減にこの居心地の悪さをどうにかしたかった。
少し前に訪れた海洋都市・ティクル。自らのホームタウンではないけれども、滞在していればそれなりに知り合いも増えてくる。
むしろ酒飲み仲間を求めるザクスの気質からすれば、それは一般的な交友の増え方からしても多いと言えた。
だからだろうか、進行形でギルドの建物を裸足のままうろうろしている事に肩身の狭さを覚えたのは。
もしくは
「素行不良のザクス、また何かやらかしたのか」
「穴あきバケツよ、また相方に叱られたみてぇだな」
「万年酔っ払いがまた粗相をしたらしいぞ」
からかいを入れてくる見知った顔が原因だろう。
誰も彼も楽しそうに言葉を紡ぎ、背中を乱暴に叩いていく。
慕われているのだか馬鹿にされているのだか分からないわねとティアが横目でそれを眺めているが、当の本人に気が付いた様子は見られない。
「だぁーもう、っるさい!! なんだよ、靴を履いてねぇのが悪りぃかよ」
「悪いこたぁねぇってザクスよ。悪く何てちっともないんじゃ。ただな、おもしろいんじゃよ、あっはっはっは」
「張った押すぞ、ドルムナ!」
ドルムナと呼ばれた老人が腹を抱えてげらげら笑う。
その様子にザクスはため息を一度つくと掲示板から離れて老人のいる場所、食堂の一席に腰を落ち着けた。
丸テーブルで向かい合う様にザクスは座り、注文を取りに来た職員に飲み物を頼む。
ドルムナはそれを見ると再びけたけたと楽しげに声を震わせた。
「いい加減窒息してもしらねぇぞ、爺」
「かっかっか、笑って死ねるってんなら上等上等」
かかっと快活に笑うドルムナの楽しげな様に、ザクスもついつい頬を緩めた。
「んで、お前さん。今度は何して娘っこを怒らせた?」
「酔って靴を人手に渡した」
「……はー、お前さん、本当に底抜けの馬鹿じゃったんだな」
「おい、その驚愕して言うのはやめてくれ」
「そうは言うがのぅ。ありゃほいほい手放せるような品でもなかろうに……。まぁ、お前さん方の問題じゃからこれ以上口は出すまい」
「そうしてくれ」
ドルムナがそう言って茶を啜ると、ザクスも届いた飲み物を口に運ぶ。
一口飲むと、ほっと一息つく。
「あぁー生き返るわぁ」
「お前さんも懲りんのう」
ドルムナがそう言葉をかければザクスが人懐っこい笑みを浮かべた。
「あったりまぶっ!」
ダンッという音がザクスの額とテーブルの間から聞こえた。
テーブルに突っ伏すザクスの後頭部からはティアの腕が伸びている。
「ねぇ、大ばか者? 今、何を、飲んで、いるのかしら?」
「い、いのぢのみじゅでしゅ」
「そう。なら一回くらい刈り取っても問題ないわね」
「ゆるじでぐれ」
額をこすり付けた体勢のままザクスがティアと言葉を交わす。
またくつくつとドルムナが喉を震わせた。
「ドルムナさんも見ていたなら止めてくださいよ」
「それはできない相談じゃな。こやつの酒代だとて、我々ギルド職員にとっては立派な収入じゃ」
「ギルドの規則でザクスにだけ酒を提供できない様にできません?」
「そりゃ職権乱用ちゅうものじゃろ。いくらわしが副組合長でもそれはできん相談じゃな」
「それは残念」
言葉とは裏腹に、さして残念さを感じさせる事無くティアは軽く肩を竦めて、自らも腰を下ろす。
ついでにザクスの持っていたジョッキをひったくり奪うとそれを一口。
スッと、眉間に小さな皺が一瞬だけ浮かんだ。そして小さく、むぅ美味しいわね、そう言葉が漏れた。
歪められた表情がどことなく悔しそうな物だとドルムナには感じられた。
「相変わらず仲が良いようで安心したぞ」
「……はぁ、そう見えたならそれで結構ですよ」
「素直じゃないの。足らんのじゃないか?」
クイっとジョッキを傾ける仕草をするドルムナに、呑兵衛どもがとティアは疲れを感じた。
「私は酔ってもたいして変わりませんよ」
「そうじゃったかな。で、何ぞいい仕事でも見繕ったか? いつだってティクルの街は優秀な請負人を求めておるぞ」
「うーん、どうしようかなって所かしら。これといってピンとくるものが無いのよ。何かおススメは無いかしら?」
「えー、爺の勧めてくる依頼なんぞ碌でもないぞ、ティア」
「それでいいのよ。その方が身に染みるでしょ?」
「文字通り足に染みそうでおっかねぇな」
机に突っ伏し、顔だけを起こしただらしない姿勢のザクスがうへぇと覇気の無い声を出してドルムナを見る。
ティアもドルムナの答えを待ちながらジョッキの中身をちびちびと舐める様に飲む。
「そうじゃなぁ。金に困っておらんのなら一件受けて欲しいと思っておる物はあるぞ」
「ほれみろティア。絶対に塩漬け依頼だぞ」
「まぁ、待ちなさいよ。決めつけないで聞くだけ聞いてみましょうよ」
「ティアを見習え、ザクス」
「けっ。それじゃあ、一体全体どんな依頼なんだよ爺」
「ま、どうせなら依頼人からきくのがよかろう」
「おん?」
ドルムナはそう言うと椅子を少し引き、身体をギルドの出入り口へと向けた。
二人もそれを追う様に視線を扉に向けた。
「さて、いつもの時間じゃな」
ドルムナが一言。
それを合図にしたかのように外から一人の少女が飛び込んできた。
まだ二桁にも届かないであろうと一目で分かるくらいにその少女は幼かった。
少女は一度ギルド内を見渡し、ドルムナを見つけるとパタパタと走り寄ってきた。
「ドルムナ爺ちゃん、お仕事受けてくれる人はまだ見つからない?」
近くまで来ると、ドルムナめがけて飛び付いた少女が膝の上でそう問いかける。
ドルムナがぽんぽんと少女の頭を優しくなでると、視線をザクスとティアの二人に向けた。
「アリルや、この二人が是非受けてくれるといっておったぞ」
しれっとドルムナが言い放った。
それを受け、ザクスはやられたと天井を仰ぎ見、ティアは我関せずと酒を口に運ぶ。
(狸爺め……)
ドルムナがほっほっほと好々爺を装った笑いを上げる。
そして、その膝の上には瞳をキラキラと輝かせた依頼人が一人。