アポイント
事務所の固定電話が鳴った。
ウチのような零細企業にはわざわざ固定電話を引かなくても携帯電話で十分だと思うのだが、叔父の代からあるものなので、いまだに使っている。
ちなみにファックス機能も生きていて、いまだにこっちでしかやり取りできないような古い顧客もいる。
まあ叔父の代理で事務所をあずかっているアタシが、設備関連についてとやかく言うことではない。
そんなことより早く電話に出ろ、とたいていの読者は思っていることだろう。大事な電話を待っていたのだから。
「お電話ありがとうございます。多々木探偵事務所です」
アタシはとびきりの美声をつくって電話に出た。酒ヤケしていない声でよかった。
「……あ、あのう、青木という者ですが」
声を聞くかぎり青木さんは青年のようだった。おじいちゃんじゃなくて、ひとまず安心した。いや安心したってことはないけど。
「青木さま、ですね。お話はうかがっております」
「話? ……話って何ですか」
「あるお方から、あなたの相談に乗るように言われております」
「ある方って誰ですか」
「名前は出すなと言われております。まあ言ってみれば青木さんにとって、あしながおじさん的存在になるかと」
しばらく沈黙があった。ドン引きしただろうか。そうなっても仕方ない。こっちは依頼人の指示どおりに伝えるしかないのだ。
「相談て、どういうことですか」
はい食いついた。アタシはたしかな手応えを感じた。
「なにか、お困りではないですか」
「……そうですね、非常に困っています」
「どんなことでも、おっしゃってください。相談に乗りますから」
すこしの沈黙のあと、青年は口をひらいた。
「会って話とか、できますか」
「もちろんです。指定の場所へ伺ってもいいですし、弊社までいらしていただいても」
「オレがそちらへ行きます。事務所の場所をおしえてください」
なんとまあ、あっさりとアポが取れてしまった。
青木さんに事務所の場所とアクセスを伝えたあと、最後に担当の水戸ですと言って電話を切った。
担当も調査員もひとりしかいないけどね……って、やかましいわ!
彼がここへ到着するまで、すくなくとも小1時間はかかるだろうから、そのあいだに贔屓の店でケーキを買ってきた。
もちろんお客さまにお出しするためのもので、ついでに、ついでにだよ? アタシもいただくという算段だ。
なにせ依頼人から報酬はたっぷりもらっている。経費込みだが、その経費をケチらないのがかず子ちゃんスタイルである。
いい仕事を期待して山田老人は大枚を叩いたのだ。経費をかけずして、どうする。ケーキを買わずして、どうする。
ほぼ予定どおりの時刻に事務所のドアベルが鳴った。
ここは吉祥寺にある雑居ビルの一角だが、まあ駅近だし、見つけられないということはないと思う。
そんなわけで、青木さんとはじめて対面した。
……微妙だった。イケメンではない。けれど、わりとスラッとしてスタイルはよかった。
そう、アタシの好きなお笑い芸人にちょっと似ていた。だからアタシは青木さんに好感を持った。
仕事とはいえ印象は大事だと思う。青木さんがもしキモオタのバンダナをしているような人だったら、こっちもテンションがガタ落ちだ。
まあ万が一キモオタでも、仕事だからやさしく接するけども。
【多々木探偵事務所 所長代理 水戸かず子】
伝家の宝刀、名刺を差し出した。考えたら青木さんは叔父のコネとか関係ない人だ。これはひさびさに、あのトークが出るかもしれない。
「探偵事務所ってオレ、はじめてです。……すごい美人さんなんですね」
思わぬ肩すかしだった。そっちかい!
あれ水戸さん……多々木さんじゃないの? ってゆうトークを期待していたのに。