偽札の正体
一念発起して偽札の束を調べはじめた。
正直周囲には誘惑がいろいろあった。何せここは2016年の世界なのだ。オレはそれを一度経験している、いわば全世界の先輩である。
たとえば株式。
オレは熱心な投資家ではないが、それでも去年急騰した銘柄のいくつかは憶えている。そこにオレの全財産とか特攻んじゃったら、どうなる。かなりの利益が出せるんじゃね?
……と、ここで冷静になる。本当だろうか。本当に去年とおなじ結果になるんだろうか。
またぞろバタフライ・エフェクトが顔を出すんじゃなかろうか。オレのしっている過去とこの世界は微妙にちがっている。
そもそも大金を手に入れたところで、それを来年以降に持ち越せるという保証がどこにもない。
オレには未来がない。べつに気取っているわけじゃなくて、リアルに来年2017年がやってくるか、わからないのだ。
偽札。そう、いまオレの目のまえにあるこの紙束は、ある種の示唆とも受け取れる。
ムダですよ、と。おまえがいくら大金を手にしても、つぎの4月にはすべて紙キレになっていますよと。
怖いわー、マジで。
そんなわけで、いまオレはあらゆる邪念を振り払って偽札を調べている。偽札自体が大枚を彷彿とさせる、この欲望のループ。
いかんいかん、これはただの紙束だ! もっといえば新聞の束だ。
なぜオレがこれを偽札と呼んでいるかと言うと、ふたつ理由がある。ひとつは新聞紙が紙幣サイズに切り揃えられていること。もうひとつが、各ブロックのいちばん上だけ、あきらかに手描きの偽札が乗っていることだ。
本当に、小学生が鉛筆で描いたような出来のわっるい偽札だ。ぜんぜん似てない諭吉である。
その1枚が乗っていることで、ようするに、これは偽札の束なんですよとこいつは主張している。
そんな紙の束がいま、オレの部屋に4ブロック置いてある。
ブロックひとつの厚みが、だいたい5センチくらい。1束を500万円に見立てているっぽい。
これが本物なら2千万だ。くぅー。
……さあ仕事だ、仕事。オレはこれから、手描きの偽札4枚以外の膨大な量の新聞紙と格闘しなくちゃいけない。
繰り返すが新聞紙は紙幣サイズにカットされている。なので、そこに書いてある記事を読むのがむずかしい。
それでもモンタージュのように組み合わせて、なんとか文脈を読み取っていかなきゃならんのだ。
……とまあ威勢のいいことを吐したのはいいのだが、いやはや何とも数が多い。
新聞なんて、ふだん1枚っぺらの状態ですら読まない。それが短冊かってゆうくらいに切り刻まれているからね。
しかも記事が断片的で書いてあることがまあ、わからない。
くそっ、負けるもんか泣くもんか……。昭和の逆境アニメばりに、てんとう虫の歌ばりにオレは立ち向かった。
途切れ途切れで意味をなさない記事たちを、ジグソーパズルのように1枚の紙面に再構築してゆく。
これがまあ、びっくりするくらい捗らない。見事なほど記事の切れ端たちがシャッフルされているのである。
正直、悪意を感じましたわ。