容貌
顔。容貌、相貌、フェイス……ぜんぶ顔だ。
浅い夢を見ていた。黒い帽子とサングラスをした、あの老人の夢。ところが彼の顔が全然思い出せない。
ゆうてもまあ、一度しか会ったことがないわけだし……。いかんいかん、そんなんじゃシャーロック・ホームズにはなれないぞ?
べつに、なりたくねーし。だいたい探偵が頭脳明晰(記憶力含む)、弁が立ってアソコも立つって誰が決めたんでぃ。
最後のは下ネタじゃねーか。妙齢女子がそれを口にするようになったら、もう終わりですよ。
……みたいなことを寝床でウダウダと考えている時点で、もう夢から醒めているわけで。
ダメだ! ベッドからがばと起きアタシは叫んだ。叫びそうになった。気持ちは叫んでいた。
山田老人に電話しよう。彼と会って、どうしても確かめなくちゃいけないことがある。
事務所の電話から着信履歴をたどってリダイヤルした。番号は携帯電話のもので数回コールした後、留守電につながった。
探偵事務所の水戸ですとだけ吹き込んでアタシは電話を切った。
くそー、出てくれなかったか。必要がある場合だけむこうから連絡をくれる約束だったからな……。
と、気を揉む間もなくコールバックがあった。山田老人の番号だったのでアタシはホッとした。
「もしもし、水戸です」
「山田だが。青木から連絡はあったかね?」
「はい。昨日、事務所でお会いしました」
「そうか。……電話をくれとは言わなかったはずだが?」
「申し訳ありません。個人的に、どうしても伺いたいことがありまして」
しばらく沈黙があった。
「何かな?」
「山田さまとお会いして、ぜひ確かめたいことが……」
「電話で言えないようなこと?」
「電話で、じゃなく、言葉では無理なんです」
すると電話のむこうでフハハ、と笑い声。
「面白いかただ、水戸さんは。……いいだろう、今日の午後は空いているか?」
「あ、はい!」
必死の懇願が効を奏し、アタシは依頼人との再会のアポを取りつけた。
今回は事務所にきてもらうのではなく、指定された場所にアタシが出向くことになった。山田老人は胃の頭公園で会うことを希望した。近っ。
3月の終わりから寒い日がつづいていたが、今日は天気もよくポカポカした陽気だった。桜はまだまったく本気を見せていない。
胃の頭公園といえば池のほとりが有名だが、山田老人の指定は西側のジ●リ美術館とかテニスコートのあるほうだった。山田氏のこだわり?
13時にテニスコートのまえで待ち合わせだったが、5分早く着いたアタシをすでに老人は待っていた。黒い帽子とサングラスが、やっぱ浮いてるよな……。
「お呼び出しして、すみません」
頭を下げるアタシに老人は手を振った。
「ここはむかし勤めていた職場の近くというか、まだだいぶ距離はあるが、通勤ルートでね。懐かしい場所なんだ」
「そうなんですね」
「少しだけ移動しよう。あの松林のあたりにベンチがある」
アタシは黙って老人の後に従った。
「で、言葉じゃ言えないようなこととは?」
ベンチに腰を落ち着けるなり彼は聞いた。アタシは急に恥ずかしくなる。そうよね、あきらかにふつうのシチュエーションじゃないもの。
「あのう、こんなお願いをして、たいへん失礼なんですが……」
「?」
「その……取っていただけませんか……帽子と、サングラス」
「はい?」




