偽札
朝目が覚めて、枕元に得体のしれない紙束が2ブロック置いてあったとしたら、いったい人はどんな気持ちになるだろうか。
オレがいま、まさにその状況だった。
残念ながらそれらは札束ではなかった。現代に蘇ったねずみ小僧とかは存在しないらしい。
もちろんサンタクロースが訪れる季節でもないし、プレゼントをもらうような歳でもない。今日もこれから出勤である。
朝、出勤前はとかく慌ただしい。まあ独り者の常で、家を出る直前まで寝ている自分がわるいっちゃ、わるいのだが。
そんなわけで、今朝枕元で起こったこの異常事態にゆっくり対処している時間がなかった。
さいわい事件性は薄そうだ。これが本物の札束だったら、また話は変わっていたかもしれない。
ああ、もう時間がない! 誰がやったかしらんけど、あきらかに偽とわかる札束にかまってられない。
そういえば今日は4月1日だったっけ、とアパートのドアを施錠しながらふと思った。いくらエイプリルフールゆうても、やっていいこととわるいことが、あるからね!
一般の企業では今日から年度替わり、というところも多いんじゃなかろうか。ちなみにオレの職場は関係ない。24時間365日稼動している施設だからだ。
ただ今週は、オレにとってはめずらしい日勤シフトだった。日勤は月に1週間しかない。あとはぜんぶ夜勤だ。
こんなドラキュラのような生活をもう10年以上つづけている。
「おはようございます」
朝から珍事件に遭遇したが、なんとか遅刻せずに職場に到着できた。オレはシフトリーダーの坂崎さんにあいさつした。
坂崎さんはオペレーション部門の責任者で、もう定年近いおっさんだ。彼は夜勤をせずずっと日勤だ。
その坂崎さんからあらたまって、というわけでもないが、お話があった。
それはこの施設が来年2017年の3月末で閉鎖になるというものだった。
そう驚きはしなかった。この老朽化した施設がそう遠くない将来に閉鎖されるであろうことは以前から言われていた。
いや、オレがこの職場に派遣された4年まえからすでに囁かれていたことだ。
正直この仕事にも飽きがきていた。だからオレ的には丁度いいタイミングだった。とりあえず、しがらみとかがあるので、ここが終了する来年の春までは居るつもりだ。その後はまあ、なんとかなるだろ。
日勤の仕事が終わって自宅アパートに帰り着いたとき、思わずあっと声が出た。
すっかり忘れていた……今朝の偽札事件のことを。
誰だ、こんな質のわるいイタズラをするやつは。いや他人を真っ先に疑うのはよろしくない。疑うべきはまず己だ。
……オレはこんな偽札の束をわざわざ拵えないよ?
そうだ誰かがイタズラでつくったこの紙束を、オレが酔っぱらって間違って持って帰ってきた可能性がある。ほぼその可能性しかない。
しかしなあ。いくらオレが酒飲みでも、そこまで記憶が飛ぶような飲み方はここ最近していない。
それに今日が日勤だとわかっていたから、前日に深酒をするわけがない。いや告白すると、深夜2時までDVDを観ながら宅飲みはしていたけども……。
やっぱ気持ちがわるかった。そもそも施錠されたこの部屋に他人が入れるわけがない。本当にそう言いきれるだろうか。
犯人はスゴ腕のやつで、盗みをはたらいた後で密室状況を拵えたのではないか。まだ拵えるんかい!
気になって部屋中を調べたおしたが何も盗まれてはいなかった。それじゃ物盗りではなく愉快犯だろうか。しかし、何のために……。
いくら考えてもラチがあかなかった。ま、いっか。実害があったわけじゃないし、忘れることにした。
だがしかし。オレはこの出来のわるい偽札の束を捨てることができなかった。持ち主にとっては重要なものかもしれないし、いつかその人が取りにくるかもしれないしね。