15
稜介が隙を見てこちらに一瞬だけ視線を向けた。『互いに知らないふりをしてやり過ごそう』という意味だと恭二は悟り、頷いて了解を示した。
「姉さんは、こんなところで何してるんだよ?」
いかにも嫌そうな表情で恭二が訊く。
「ちょっとばかし買い物にね。だいたいあたしの学校、ここから近いんだよ? 言わなかったけ?」
「言わない。聞いてない」
稜介は答える。恭二も渚が高校で寮暮らしをしているのは知っているが、どこの学校なのかは知らないし興味もなかった。
「んで? そーゆーあんたは何してんの? 出不精なあんたが、たかだか買い物ぐらいでこんなとこまで来たりしないでしょ?」
「……別に僕がどこに買い物に行こうが、僕の勝手じゃないか。姉さんには関係ないだろ?」
「いや、あんただったら近場で買えなきゃネットで済ませるでしょ。あんたはそういうやつ」
「たまたま、今日はそういう気分だったんだ。そういう日もあるんだ」
「ふうん……そういう気分ねぇ」
含み笑いをする渚に、稜介は顔をしかめる。すると渚はふと恭二を見て、
「あ、ごめんね。こいつはあたしの不肖の弟なんだ。そんで恭二、この子はついさっきチンピラに絡まれてたのをあたしが助けたとこ」
「ああ、そうなんだ……大丈夫? 姉に何かされなかった?」
「心配するとこはそこか? にしても意外だね。あんたこんな可愛い子を前にして緊張しないんだ?」
「っ……姉さんの前で弱みなんて見せたくないんだよ」
「そー? じゃ、それでいっか。ところであなたの待ち人はいつ来るの?」
渚に訊かれた恭二はとっさに、
「あ、もうそろそろだと思います」
「だってさ姉さん。邪魔になるからもう行くよ、ほら」
「それもそっか。んじゃあなたは気を付けてね。ばいばい」
「……うちの姉が失礼しました」
渚を連れて稜介が立ち去る。途中でこちらに目配せをしてきた。『また後で連絡する』と言いたいのだろうと恭二は解釈した。
しばらく待っていると思った通り連絡があった。どうやらうまく渚と離れられたようだ。指定された別の出口へと移動する。
五分ほどして、稜介は現れた。
「すまない……姉と別れるのに手こずった」
「いえ……大変だったのは分かります」
憔悴した様子の稜介に、恭二も心から共感する。
「むしろこれでも早いくらいですよ」
「そう言ってくれると助かる。でも接してた年月で言うと君とは比べようもないけど」
「まぁ……いろいろありましたよ、僕も」
遠い目をして恭二は言う。
「思わないことに時間を喰ってしまったな。それじゃあ行こ――」
「へぇ……待ち人って、恭二のことだったんだぁ」
突如、稜介の背後から聞こえた声に彼は顔色を失った。おそらく恭二も同じ表情をしていることだろう。
稜介が冷や汗を浮かべて振り返る。するとそこには、獲物を見つけた肉食獣のような笑顔の渚が立っていた。
「なぁんだ、二人は顔見知りだったんだ? 隠さなくてもいいのに」
「ね、姉さん? 何で?」
「このあたしをやり過ごそうなんて、恭二には百年早いね」
言って、渚は距離を詰めてくる。
「こんな可愛い女の子と休日に待ち合わせなんて、もしかしなくても彼女とか? やるじゃん恭二のくせに」
「僕のくせにって何だよ……い、いやそういうことじゃなくて……」
どう言い逃れるべきか分からないようで、稜介はしどろもどろになっている。
「そんで、あなた……えっとぉ、名前きいていい?」
「あ……笠井です」
聞かれて反射的に答えてしまう。
「じゃあ笠井さんに聞くか。笠井さんは、こいつと付き合ってんの?」
ここは否定しないと、格好のネタを提供するはめになってしまう――恭二はそう考え、
「いえ、違います。ただのクラスメイトですから。変な誤解はしないでください」
「そうやって必死で弁解されても説得力はないねー。だいたいただのクラスメイトが休日に二人で会ったりする?」
「うっ……」
「心配しなくても誰にも言ったりしないって。でも恭二……ちゃんとお父さんとお母さんには紹介するんだぞ? あと詳細は後日じっくりと聞かせてもらうから」
「ぐっ……」
そして渚は「後は若い二人でごゆっくり」などと言って、さも愉快そうに去って行った。
「……」
「……」
暫しの沈黙の後、稜介は頭を抱えて呟いた。
「終わった……一番バレたくなかったのに。このネタを肴にまた散々からかわれるに決まってる……」
「……心中、お察しします」
恭二には他にかける言葉が見つからなかった。
それから気を取り直した二人は昼食のためファミレスに入った。そこで恭二は自分が病院で目覚めて以降の経緯を、洗いざらい稜介に伝えた。
自分の存在によって笠井聖美の運命が変わり、若尾頼子と永岡茉莉の死も回避されたこと。だがそれとともに自分の知る四年前とはずれが生じているらしいことも含めた知る限りも含めてだ。
「……本音を言えば、犯人はこの手で見つけてやりたいとことだけど」
恭二の話を聞き終えた稜介がぽつりと零す。
「素人では現実味のない話であるね。一方でこちらには事件の被害者と日時をあらかじめ知っているというアドバンテージがある……そのための事件の阻止、か。でもそれすら今は失われつつある」
「そうですね。おまけに僕は犯人の恨みを買ってしまったみたいですし」
考えれば考えるほど、自分たちのしていることが困難に思えてくる。
「それも捉え方次第と思うよ。単に本来の三人目の代わりにたまたま俺が殺されただけってこともありえるし。自分で口にしてあまり気分が良くないね、これ」
確かに自分で自分の死について語るというのは、不快感を覚えて当然だ。
「通り魔なんて気まぐれだろうからちょっとしたことで行動が変化してもおかしくはないし……でもこれだと君は身の危険を感じずに済むだろうけど事件の流れは読めなくなるしお手上げだね」
「……どっちにしろ、先行きは暗いですね」
恭二は暗澹たる気分になる。
「それでもこれからはなるべく人通りの少ない道は避けた方が無難だね。あと、今日は俺が君の家の近くまで送っていくよ」
「え? 稜介さんが、ですか?」
「噂になるとお互いに面倒だろうから、あくまで家の近くまでだけどね。さすがに狙われてるかも知れないと言われたら、一人で帰すわけにはいかないよ」
「……ありがとうございます。お言葉に甘えます」
「うん……で、残された被害者はあと二人だね。これまでの二人は現場に近付かせないようにしてたってことだけど」
「実際にそれでうまく行ったのは一人……若尾さんのときだけですよ」
恭二は自嘲気味に口にする。
「それでも一人の命は救えたんだから、もっと自信を持っていいと思うよ」
そう言って稜介は彼を励ます。
「実際、直接彼らに危険を促しても鵜呑みにしてもらえないだろうから、君のように多少のリスクはあるし確実じゃないけど、当日の被害者の行動範囲に不審人物がいないか探るくらいしか出来ないだろうね。ああ、でも相坂くんの推測通りだと君は犯人に顔を覚えられてるわけか……必然的に主な行動が日が落ちた後になるから本当なら身も心も男である俺に任せてほしい、と言いたいところだけど……」
首を横に振る恭二に、稜介は「分かってるよ」と言う。
「君が納得しないのはもちろん分かってるよ。だから常に二人で行動して離れないようにしないと。これは絶対にね」
「ええ。それで行きましょう」
後は稜介の方の身辺状況を聞き、通り魔事件について互いの情報に齟齬がないか確かめ共有して、この日の話し合いは終わった。