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 待ち合わせ場所の駅には、何とか三十分前に到着できた。急いだ甲斐があったが、そもそも恭二の着替えがもっと早く済んでいればその必要もなかったことを思うと何とも言えない。

 つまりは聖美の運動能力のおかげと言える。結局は他人のスペック頼りとは何とも情けない話だ。


 (こういうとき、スカートじゃなくて良かったって思うな……)


 恭二はそんなことを考えているが、いずれにしろ彼に制服以外で履く気は毛頭ない。


 日曜日の朝ということで、駅の構内は当然のように人で溢れ返っていた。インドアである恭二は人混みに辟易しながら出口を求めて進む。

 人混みはストレスの要因、ストレスは肌荒れの要因、聖美のシミ一つない肌を死守するのが今の自分に科せられた役割だ――などとよく分からない理屈をこねながら、恭二は早足で出口を目指す。だがそれも人混みに阻まれてうまく行かず、恭二はもう苛立ち始めた。


 (何でここの構内はこんなに長くて広いんだよ……)


 恭二は早くも心労を感じていた。


 ようやく駅前に脱出できた恭二は、構内に出入りする人の波から迅速に離脱してひと息吐いた。スマートフォンを取り出し到着した旨を稜介にメールする。念のため出口の場所も打っておく。この手の勘違いはわりとよくある。

 後は稜介が来るのを待つだけだが、こういうときの時間の潰し方というのを恭二は知らない。誰かと待ち合わせをするというのがレアケースなのだ。

 手持無沙汰のまま約束の時間になるのを待ってると、


 「……ねぇ君、ちょっといい?」


 いきなり話かけられて顔をあげると、服をだらしなく着崩した若い男三人が、いつの間にか目の前に立っていた。下卑た笑みに気分が悪くなる。


 一目見て、恭二は嫌な予感がした。


 「……何ですか?」


 「あのさ、君さ。もし暇なら俺たちに付き合ってくんない?」


 (ナンパか、最悪だ……)


 この手の経験は、恭二にとって初めてだった。今までなかった方が不思議と言えるが、それは彼が普段外出する機会が極端に少ないせいだ。


 「すみませんが、今は待ち合わせしてるので」


 不快感を堪えつつ、そう答える。


 「いいじゃん。だったらさ、急に用事が出来たとでも連絡しときゃよくない? ねぇそれでよくない?」


 (ああ、鬱陶しいなもう……)


 ただでさえ不機嫌な気持ちが更にささくれ立つ。


 「んだよ、そんな嫌そうな顔すんなよ。暇そうだったからせっかく誘ってやったってのによ。好意を無下にすんのか? それとも俺らと遊ぶより大事な用だって言いてぇのか? どっちにしろお前に拒否権なんてねぇけどな」


 苛立ったように言い、男の一人が肩を強く掴んだ。


 (笠井さんの体に触るなよっ! 今は僕の体でも前は彼女のものだったんだぞっ!)


 そう声に出して抗議したかったが、ヘタレを自認する恭二はなかなか勇気を出せないでいた。


 「断らないってことはオッケーってことだよな? そうだよな? 嫌なら嫌って、そう言やいいもんな?」


 (さっき『拒否権はない』って自分で言ったばかりなのに、もう忘れてるのか? この男は?)


 自分よりよっぽど鶏頭だと恭二は思う。

 それでもこのまま大人しくしてるわけにもいかない。『嫌だ』というこちらの意志だけでも伝えなければ――そう決め、恭二は口を開く。


 「いっ――」

 

 「あっ、ごめんっ! お待たせっ!」


 恭二の言葉を遮って、大きな声が響いた。

 稜介の声ではない。というより男性の声でもない。

 声のした方に顔を向ける。するとこちらに十代後半ほどの若い女性が足早に近付いてきた。赤みがかった肩にかかるぐらいの髪、鼻筋が通って切れ長の目をした気が強そうな美人だ。


 (えっ!? 何でここにっ……)


 女性を見た恭二は内心で激しく動揺した。だがその動揺を向こうに悟られるわけにもいかず、顔の筋肉に力を入れて何とか表情に出ないよう腐心した。


 「ん? 誰、君?」


 訝しむ男に女性は、


 「ごめんなさいねー。この子とは先にあたしが約束しちゃっててさ、悪いけど退いてもらっていい?」


 女性はにこにこと笑みを絶やさず男たちに言う。初めは面食らった男たちだったが、すぐに気を取り直して、


 「んなツレねぇこというなよ。何だったら君も一緒にどうよ? 君だったら俺らも構わないぜ?」


 男の言葉に恭二は冷や汗をかいた。


 (わっ……駄目だってそれはっ……)


 だが恭二の心の中の訴えなど男たちに聞こえるはずもなく、男のうちの一人がおもくろに女性に手を伸ばし――その腕を掴まれた。


 「ん? 何この手?」


 男の腕を握り締めた女性は、先ほどまでよりも一段と笑みを深めた。


 「あたし、あんたに触っていいって言った? いつ、あたしがそんな許可だした?」


 「この女、調子に乗んじゃあ……」


 別の男が、女性の胸ぐらを掴む。


 「? 殴っても別にいいけど? っていうかこれも立派な暴力だよね? 普通の女の子なら身の危険を感じてもいいところだよね?」


 すると女性はいきなり男の股間を鷲掴みにした。


 「あぎっ!?」


 「ねぇねぇ、どっちがいい? あんたに選ばせてあげるよ」


 苦痛に顔を歪める男に女性は問う。


 「ねーどっち? どっちのタマ残しとく?」


 女性はなおも笑顔のままだ。怒りをうちに秘めた柚葉の笑顔とは異なり、女性は心底今の状況を楽しんでいるようだった。その様子を見て他の二人の男は金縛りにあったように硬直している。


 「い、いや……両方のこっ――」


 「そっかそっかー、どっちも要らないかー男らしい決断だねーっ」


 言って、股間を握る手に捻るような力を加える。男の顔色が蒼白になり、滝のように脂汗が流れる。


 「や、やめっ……お、俺らが悪かっ……た……だか、ら……」


 「え、もう降参? 早くない? 根性ないなー」


 仕方ないというように女性は男を解放する。三人は逃げるように走っていなくなった。


 「……にしても意外とちっちゃかったな。握り甲斐がないったらないよ」


 なおもぶつぶつ呟く女性に、意を決して声をかける。


 「あ、あの……ありがとうございました。助けていただいて」


 そこで初めて女性は恭二にまっすぐ目を向けた。


 「ん? いいっていいって。それにしてもあなた可愛いねー……弄りたくなっちゃう」


 後半は声を落としていたが、恭二の耳はしっかりと捉えていた。


 (一難去って、また一難だ……)


 正直、あまり出会いたい人間ではなかった。むしろ出来るなら関わるのを避けたいほどだ。だが聖美になった以上はまず接触する機会などないためこれまで考えもしなかった。


(どうやって切り抜けよう……ここから移動するにしても待ち合わせしてるし)


 それにしても稜介はまだ来ていないだろうかと周りを見ると――当の本人を発見した。たった今しがた来たばかりなのか、恭二の姿をきょろきょろと捜している。

 すると稜介の顔がこちらに向いた。だが恭二の傍にいる女性に気が付いた途端、表情が引き攣った。そして見なかったふりをするように目を逸らした。


 (気持ちは分かりますよ……痛いくらいに)


 だから恭二には彼を責める気にはなれない。


 「どした? 待ち人でも来た?」


 だが女性は恭二がどこかを見ていることに気付き、その視線の先を辿ってしまう。


 「……あれ? 恭二? 何してんの? おーいっ!」


 手を振って大声で稜介を呼ぶ。観念して彼はこちらにやってくる。


 「恥ずかしいから……頼むから、そんな大きな声で呼ばないでよ」


 苦虫を噛み潰したような顔で稜介は女性に言う。


 「そりゃそうだよ。だって恥ずかしがらそうとしてやってんだから」


 女性の返答に稜介はげんなりとする。


 「マジで、勘弁してよ……『姉さん』」


 この目の前のドSな女性こそ、恭二の実の姉の相坂なぎさ――過去に彼にトラウマを刻み込んだ張本人だった。

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