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「――今にして思えば、あいつは最初から聖美ちゃんの体に君の魂を入れるつもりで、俺に殺させたんだろう。聖美ちゃんの死を『なかったことに』というのも『肉体的な死を』という意味だったんだ。なぜそんなことをしたのか分からないけど……どうせ、ろくな動機じゃないんだろう。あくまで想像だけどね」
話の最後を稜介はそう締めくくり、再び頭を下げて謝罪した。
「……………」
恭二は黙してそんな稜介を睨み続けていた。稜介の側にどんな事情があろうが命を奪われた側にとってみれば堪ったものではないし、『自分は騙されていました』と聞かされて『それなら仕方ない』などとあっさり納得できようはずもない。
恭二にとってみれば稜介のそれは身勝手な言い訳でしかない。稜介もそんなことは分かっているのだろう――それでも自らの犯した罪のけじめとして、たとえ恭二に恨まれようと打ち明ける決心をしたのだろう。
「あのときの俺はどうかしていたとしか思えない……罵られる覚悟も殴られる覚悟もしてる。君の好きにしたらいい」
事実、恭二は稜介の顔面に拳を叩きつけたくなる衝動を抑えるのに必死だった。なぜそうしないのかというと、そんなことをしても自分の気が晴れるとは到底思えなかったからだ。ただ自分の――聖美の手を痛めるだけだ。
それに稜介が自分を殺めた事実も、彼の発言以外に何一つ存在しない。だが稜介を唆したとされる自称神についてもまた、あくまで彼の話に寄るものでしかない。今の恭二たちの状況を考えればそういった通常ではありえない者がいたとしても不思議ではないとは思うが、自分を殺した人間の言うことをやすやすと信じるほど恭二はお人好しではないつもりだ。
もっと言えば、稜介がここまで語った内容の何もかもが出鱈目だと断ずることもできる。
「……もう、いいです」
固い口調で恭二は言う。稜介への怒りは鎮まらないし、彼を許せそうにもない――だが一方で冷静な自分が、このまま稜介を突き放すことは得策ではないと訴えていた。何しろ現世で唯一出会った同じ境遇の人間だ。感情的になって拒絶するのは容易く、通常ならそれでも構わないだろうが、今はそうもいかない理由がある。
「その代わり、協力してもらっていいですか?」
「協力? 何だい? それで俺のしたことの償いになるんだったら……」
顔をあげてまっすぐ自分を見る稜介を、
「今、起こっている通り魔事件の阻止……その協力です」
あえて危険に巻き込むことに、恭二は決めた。
とりあえずは、互いの連絡先を交換する。恭二はまだ稜介に対する不安があったが、彼が聖美の体に害を及ぼす行為に出るとは考え難い。その一点だけにおいては信用していた。
「メールで放課後に落ち合う場所を決めて、外で会って話をすることにしようか。学校にいる間の接触はなるべく避けて」
「……どうしてですか?」
「そうしないと多分、俺は校内ほとんどの男子生徒を敵に回すはめになるだろうね」
「?」
意味が分からず首を傾げると、
「相坂くんが思ってる以上に、聖美ちゃんはモテるんだよ。今年はだいぶ落ち着いてるから実感はないだろうけど」
溜息交じりに稜介は言う。
「さすがに、それは大袈裟では?」
「大袈裟だと思うかい? それは甘いよ相坂くん……校内で話しかけるなんて、俺は後のことを考えるだけで怖ろしいけどね。ただでさえ今はクラスの女の子と行動する機会が多くて、なかなか誰も近付けないっていうのに」
つまり抜け駆けをしたと嫉妬されるおそれがあるということなのだろう。稜介の表情はいたって真面目で冗談を言っているようには見えない。
確かに一年の時は相当なものだったと恭二も記憶している。わざわざ聖美のクラスまで彼女の顔を見に来る生徒たちのせいで、教室の出入りの妨げになったことを思い出す。だが今ではさすがにピークは過ぎているだろうと思っていた。
(改めて思ったけど、美人は美人でデメリットというか面倒事が多いんだよな……)
元が男という意識が抜けず、自分なりに気をつけてはいるもののまだ足りないようだ。日々の生活の他に通り魔事件という難題にも取り組まざるを得ないため、たまに今の自分が人並み以上の容姿だということをついうっかり忘れるときがある。
「……肝に銘じます」
いちいち周囲の目を気にして行動しなければならないことを考えると、恭二はうんざりしてきた。
帰る際も誰かに見られて変に勘繰られないように、二人一緒ではなく別々に校舎を出る。
次回の話し合いは休日で、同じ学校の生徒と鉢合わせする可能性を極力減らすため電車を利用して他の駅前で待ち合わせとなった。
そこまでする必要があるのか恭二は疑問だったが、自覚が足りないと言われたら反論のしようがないと思い直した。
(笠井さんも、こんな毎日だったら気疲れして大変だったろうな……)
今は亡き聖美の苦労が偲ばれる。彼女も別に好き好んで今の容姿で生まれたわけでもないだろう。
(その苦労に負けないくらい、充実した日々を過ごしてくれていたら良いんだけど)
恭二は心中でひそかにそう願った。
やがて来たる日曜日、恭二は外で人に会うということで普段より身なりは念入りにチェックした。部屋に聖美が遺したファッション雑誌も参考にする。
(まさか服装選びにここまで時間をかけるはめになるとは……)
一人ならともかくとして、そう出ないなら一緒にいるその相手にまで恥ずかしい思いをさせないため、下手に妥協せず気合いを入れる必要がある。
これは前世で得た教訓だ。元よりファッションセンスに自信がなかった恭二は大学での飲み会で、酔いの回った先輩に服装に関して散々揶揄された苦い経験を持つ。「雑誌でも読んで勉強しろ」とも言われたが、恭二にとってみれば服のセンスなんてものはある程度の外見のスペックがあって初めて生きるのだと言う気持ちがあった。もちろんそれは自身のセンスの無さに対する見苦しい言い訳以外の何物でもなかったが。
だが笠井聖美という高スペックの外見を得た今、その言い訳は完全に封じられてしまった。だからといって自分にセンスが無いことを認めて開き直ることもできない。恭二には聖美に変な服を着せ彼女の人生(今は自分の人生でもあるが)に汚点を残すことにどうしても罪悪感を抱いてしまう。無理なら無理でいいが出来る限りの努力はしよう――恭二はそう考えた。
そのため当日は着替えにかかる時間を考慮して起床した。正直服だけで精一杯で小物にまで気を遣っていられる余裕はまったくない。化粧は言わずもがなだ。
姿見の前でああでもないこうでもないと奮闘しているうちに、あれほどたっぷりあった時間がすぐに経過していく。
「……うん。笠井さんは元が良いから、きっとどんな格好でも様になるよね」
心が挫けそうになって、そんな諦観めいた言葉が口から漏れる。いっそのこと制服で行ってやろうかとまで思ってしまった。恭二にはあまりに分不相応な肉体を持ったものだ。
昔の格言に『健全な精神は健全な肉体に宿る』といったものがあるが、いくら肉体面に恵まれていようと肝心の中身がこれではもはやどうしようもなかった。
おまけに前世の恭二には休日に共に遊びに行く知り合いといえば本條充以外にいなかった。彼にとって学生時代の友人と言えば彼のことを指す。後は友人と呼ぶのも憚られるような学校内に限定して付き合いのある人間だけだ。
(そう思うと、僕の人生っていったい……)
思い返して、ひどく落ち込む。鏡の中の聖美も暗い表情になる。
(だ、駄目だろ僕はっ――笠井さんにそんな顔をさせたらっ!)
頭を振って記憶を追いやると、あえてにこっと笑顔を作ってみる。
「………………」
顔が熱くなってきて、しばらく鏡に釘づけになる。
「……っ! しまったマズい、時間がなくなるっ!」
つい自分の笑顔に見惚れ、残された時間を失ってしまった。ナルシストと呼ばれても返す言葉がない。もうひと月が過ぎるというのにこの体たらくだ。
(『美人は三日で飽きる』というけど……あれ、嘘だよな)
しみじみと実感しつつ、恭二は速やかに着替えていった。