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前世時代の笠井稜介

 四年前の連続通り魔殺人の捜査は笠井稜介の知る限り、完全に行き詰っているようだった。

 被害者の年齢や性別もばらばらで接点も見当たらず、動機らしい動機もない。それが通り魔的な犯行とされた所以だ。

 犯人について明らかになっていることいえば、犯行現場付近の防犯カメラに映っていた黒のニット帽に白いマスクをした成人男性という特徴だけだった。


 従妹の聖美が殺害されてからというもの、稜介はニュースや新聞、雑誌の記事やネットの情報などを毎日欠かすことなくチェックした。事件はどれくらい進展したのか、犯人は逮捕されたのか、誰よりも早く知りたかった。


 昔から聖美のことは実の妹のように可愛がり、彼女もよく自分に懐いてくれた。思春期になり、贔屓目を抜きにしても美しく育った聖美は、本人は否定するだろうが優しく思いやりのある少女だった。もう少し素直になった方がいいと思いはしたが、それもまた美点である気がした。学校でもうまくやっていたようだ。

 そんな彼女の命が理不尽に奪われ、その犯人が今もなお野放しになっているなど許されていいことではない。


 だがそんな稜介の思いとは裏腹に犯人は一向に捕まらず、おまけに第二、第三と犠牲者は増え続け――五人目の犠牲者が出て以降、犯行はぴたりと止んだ。

 

 動機不明ということでいつ、誰が次の犠牲者となるか分からず怯えていた、最悪の年だった。


 稜介も自分で調べられるだけの情報は集めた。朝夕の報道番組は録画し、新聞や雑誌記事の該当箇所は切り抜いてスクラップブックに綴じた。

 四年が経って改めて見返してみて、ほとんど進んでいない捜査に怒りよりも絶望感を覚えるほどだった。警察が無能とは思わない。むしろそれだけ難航するほどの理由がこの事件にはあると踏んでいた。


 当時の稜介はアルコールの力を借りて気分を紛らわしていた。その習慣は四年後も続き、今では酒無しではいられない体になっていた。

 平日は仕事終わりに居酒屋でビールや焼酎を煽り路上で無様に嘔吐し、休日も昼から飲み続けては翌日二日酔いで目を覚ます――その繰り返しだった。

 そんな生活を続けていれば当然、体に良いはずもない。ある日会社の健康診断で肝機能の異常が見られ、再検査を余儀なくされた。

 

 再検査の結果――アルコール性肝障害と診断された。


 自宅アパートに帰るとテーブルに携帯を放り、キッチンの冷蔵庫を開ける。冷えた缶ビールが目に入る。 ほんの一瞬手を止めた後、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。居間に戻ったとき、テーブルの携帯が鳴った。


 「…………」


 ペットボトルをテーブルに置き、携帯を取る。電話の相手は母だった。どうやら再検査でどんな診断が下されたか心配になったらしい。


 正直に話すのは気が重い――どうするかと考えていると、電話に雑音が混じりはじめた。


 「?」


 電波状態が悪いのかと窓際に寄る。それでも雑音は更にひどくなり、母の声は聞き取れなくなった。

 いったんかけ直すかと考えたとき、ふいに雑音が止んだ。そして――、


 《あ、どーも横からごめんなさいね。僕の声、聞こえてます?》


 聞き覚えのない男の声がした。まだ声変わりのしていない少年のような声――その口調は飄々としていて掴みどころがない。


 《あれぇ? 返事がない……聞こえないですか? おーい》


 誰かは知らないが相手にしないに越したことはない。親指で電源ボタンを押しこむ。


 「……?」


 なぜか、何度も押しても電源が切れない。


 《黙って切ろうとしないでくださいよ。別に怪しいものじゃないですよ? いや怪しいは怪しいですけど僕は人畜無害ですご安心を》


 ひとりでにスピーカーになった携帯から、相手の声が漏れる。その声を止めるために稜介は携帯を弄る――が、無駄だ。


 《とりあえずお話だけ。お話だけ聞いてもらえます? 悪い話じゃないと思うんで》


 胡散臭いことこの上ないが、どうやら話を聞かない限り通話を止める気はないらしい。苛立ちを押し隠して稜介は相手に応じる。


 《誰なんですか……あなたは?》


 《ああ聞いてくれる気になってくれましたか? ありがとうございます……僕ですか? 僕はですね、えっとぉ……一応こちらの世界の管理を任されている神です。あ、別に『様』とかつけなくていいですよ? 気の合う友達感覚で接してやってください。どーもよろしく笠井稜介さん》


 稜介は携帯をベッドに放り投げて枕を被せた。音楽プレーヤに接続されたイヤホンを耳につけ、ペットボトルのキャップを開ける。


 《ふざけてるわけじゃないですけど、怒らせたらごめんなさい。僕はちゃんと相手に謝ることができる神を目指してます。神ってのは傲慢なのが多くていけませんよ。長いことやってると特にね。人間でもいますよねそういう人。でね聞いてくださいよ笠井さん。この前不慮の事故で亡くなったある男の子を異世界に転生してあげたら上司にめっちゃ叱られて始末書を書けって言われたんです。僕は良かれと思ってやったっていうのに酷くないですか? 生きる意志がある人を天国にやったら可哀想じゃないですか。だから第二の人生を用意してあげて、その子も凄い喜んでくれたんですよ? そのときは僕も『良い仕事したな。この仕事に就いて良かったな』って心から思えたのに、そんなやる気を削ぐようなことを言うんですよ? 別に褒めてくれって言いたいわけじゃないんです。こなした仕事に対する正当な評価を下してほしい――下すべきだと言いたいだけです。まぁあんな上司でも反面教師にはなるので僕は自分の部下には理解を持って、人間とも良好な関係を築いてそのうちに認めてもらえればと》 


 延々と自称神の愚痴を聞かされ、稜介はイヤホンを外した。すると今度はテレビが点いた。画面は入力切換に変わって何も映らない。


 《ごめんなさい本題に入ります。僕はね笠井さん、あなたの力になりたいんですよ。今のあなたはとても辛そうですから》


 打って変わって真剣味を帯びた声で自称神は喋る。


 《脅すわけじゃありませんけど……このままだと笠井さん、今から一年以内に死にますよ? 今日病院へ行ってきましたね。死因はその肝臓の病気が悪化したためです》


 なぜこの声はそんなことを知っているのか――稜介は警戒心を強めた。まだ今日のことは誰にも話していないはずだ。


 「君は……誰なんだ?」


 《だから神ですってば。この世界で僕の知らないことなんてないんですから》


 あくまで正体を明かす気はなく、自分は神で通すつもりらしい。だがそうでないとするとこの声のからくりは何なのだろう?


 《でもいきなり信じろっていうのも無理があるかぁ……うん。それじゃあ一つ予言。明後日の午後九時二十二分に高速道路の玉突き事故で二人が亡くなり、六人が重軽傷を負います。以上》


 そうして唐突に、テレビは消えた。


 「は? お、おい?」


 急に何を言い出すのだろう――縁起でもない。だが声はもう聞こえなくなっていた。

 言いたいことだけいっていなくなった声の主に憤りを感じなくもなかったが、いない者に当たることはできない。

 癪ではあるものの、稜介は明後日の朝まで待つことにした。





 そして予言の当日――事故は起きた。時刻も死傷者の数も自称神の言った通りだった。

 意図的に事故を引き起こすことは可能かも知れない。だが死傷者に関しては満足のいく説明がつけられない。しいて言えば偶然――そう偶然だ。

 ただ一度だけの予言を当てたからといって声の主が神だと信じるには、まだ稜介の長年培った常識が邪魔をしていた。


 《しょうがありませんね……ならまた予言をしますよ》


 その日の夜、テレビの中から聞こえる声がそう言った。


 《笠井さんと同じアパートの201号室に住んでる三人家族……その小学二年生の息子さんが翌朝の登校中に、信号無視したトラックに轢かれて亡くなります。以上》


 201号室に住んでいるのは田所という家族だ。確かにあそこには小さい男の子がいた。

 まだ信じない――信じるつもりはないがもしもとことはある。


 胸騒ぎを覚えながらも、稜介は寝床に就いた。



 そうして迎えた朝――稜介が仕事のためにいつもと同じ時間に部屋を後にすると、件の男の子もまた外に出てきたところだった。

 自分の心臓の鼓動が早まっていくのを、稜介は自覚する。

 つかず離れずの距離を保ちながら、稜介は男の子の後ろを歩く。


 やがて男の子が横断歩道の前で立ち止まる。稜介もまた足を止める。

 歩道の信号は赤、だ。それが青に変わって男の子が渡り始めたとき――

 いや、まさかそんなはずがと稜介は考える。考えるが答えはすぐ間近に迫っている。

 信号が青になり、男の子が動く。稜介は車道の左右を確認する。


 トラックは――近づいていた。左の車道からこちらに向かってくれる。だが今車道の信号は赤だ。停まるはず――停まるに決まっている。


 だが稜介の意に反し、トラックはぐんぐんと迫ってくる。速度を落とす気配は微塵もない。


 「っ――」


 稜介は男の子に駆け寄った。そして彼の右腕を掴み、強く引いた。

 直後、男の子のすぐ眼前を猛スピードでトラックが通過していった。


 呆然とする男の子を残し、稜介はその場を立ち去る。

 またしても、あの神を名乗る声の言う通りになった。あれは本物の神、なのか?


 職場に向かいながらも稜介の頭は声の主のことでいっぱいになっていた。




《どうですか? 僕の言うこと信じてもらえます?》


 開口一番、テレビの中から期待のこもった自称神の声がした。


 「……君が未来が分かるらしいっていうのは」


 稜介は不本意ながらしぶしぶ認める発言をした。


 「それで君の目的は? 前は俺の力になりたいとか言っていたが」


 《仰る通りで。僕は笠井さんを救いたいんです》


 「なぜ、俺を?」


 《んんー……それは同情からでも何でも、お好きなように受け取ってもらって構わないですよ? うまく説明できる自信はありませんし》


 「救うって、具体的にはどうやって?」


 《そうですね、例えば……あなたの大切な従妹である笠井聖美さん。彼女の死を『なかったこと』にするというのはどうでしょう?》


 「できるわけないだろ、そんなこと。俺を馬鹿にしてるのか?」


 《僕は神ですよ? 過去を変えるぐらいやろうと思えばできます。本当なら越権行為になりますけど、今回ばかりは特別です》


 「それより通り魔の正体を教えて欲しいんだが?」


 《たとえ犯人が分かったところで、死んだ人間は返ってきませんよ?》


 正論を語る神に思わず舌打ちをしそうになる。


 《それにさっきも言いましたがこれは特別です。ですから僕にやれることは一つだけです。どうしますか?》


 「……君の言った方で、頼む」


 ほとんど独り言に近い呟きだったが、声にはちゃんと聞こえたようだ。


 《はい、ではそれでいきましょう》


 「待ってくれ。俺を助けて、それで君に何の得があるんだ?」


 《もちろん、代わりにお願いがあります》


 「? それは?」


 続く言葉を固唾を呑んで見守る。そして、


 《ちょっと人をね、殺してもらいたいんですよ》


 あまりに物騒な内容だった。これまでと変わらない口調で言ったのが、稜介にはまた不気味に感じた。


 「ひ、人って……ぶざけないでくれ。俺に人殺しになれっていうのか?」


 つい声を荒げる稜介に対し、


 《いえいえご心配には及びません。笠井さんの望みを叶えたらあなたの殺人の事実も、自動的に書き換えられて『なかったこと』になりますから》


 「だとしても、そういう問題じゃっ……いや、そもそもなぜその必要があるんだ?」


 そもそも神を名乗るぐらいなら自分でやればいいと恭二は思う。


 《申し訳ないんですけど、それは言えないんです。あくまで神としてのこちらの都合になってきますからね。多少の越権行為だけならバレても厳重注意の上に始末書で済みますけど、それをみだらに人間に話すと機密事項に触れてクビになっちゃいますよ僕。そこをご理解の上で何とか》


 いかにも済まなそうな声音で、両手を合わせて拝む姿まで窺えそうだった。普通は拝まれる立場だと思うが――いや、本気で神だと信じたわけではないが。


 「人を……俺が? そんなこと……」


 《悩むのは分かりますけど、チャンスは一度きりなので、それまでには決断をお願いしますね》


 そう言って、自称神は相手の名前と犯行に及ぶ日時と場所を詳細に伝えると唐突に会話を打ち切った。





 声の主が殺すよう言った相手は、相坂恭二という二十歳の大学生だった。

 結局、稜介は自称神の言葉に従うにした。何もせずこのままの生活を続けたところで、どうせ自分は一年以内には病死するのだという自暴自棄な気持ちを抱いたことが大きい。

 己の理解の外にある事態に、正常な判断力が失われていたことは否めない。


 念のため顔を見られないようにしたかったが、何で隠していくか迷った。なので四年前の通り魔と同じ黒いニット帽に白いマスクという格好でいき、凶器もナイフを選んだ。


 自称神によると恭二はこの日の夜、コンビニに行くために自宅を出るらしい。その帰りを稜介は狙うことにした。


 路地の角で待ち伏せし、恭二の足音が近付いてきたのを見計らって飛び出す。握ったナイフが恭二の腹部を抉る生々しい感触に、思わず顔をしかめた。

 コンビニの袋を落とし、呻き声をあげて恭二がうずくまる。その首を狙ってもう一度ナイフを振るった後、稜介は即座にその場から離れた。夜中とはいえぐずぐずしていれば誰に目撃されるか知れたものではない。


 アパートの部屋に戻り、ニット帽とマスクを取って荒くなった呼吸を整える。額に滲んだ汗を手の甲で拭う。


 「……やったぞっ! 言われた通りにしたっ! これで聖美ちゃんはっ――」


 恭二の声に答えるように部屋のテレビが点いた。


 「はい、ありがとうございます。お疲れ様でした笠井さん。とりあえず落ち着かれては? 冷蔵庫に水が入ってますよね? それでも飲んで」


 確かに稜介の喉はからからだ。冷蔵庫からペットボトルを出して、一気に飲み干す。


 「――ぷはっ」


 口元と顎に滴った水を拭くと、流し台の下にあるゴミ箱にペットボトルを捨てる。


 「ふぅっ…………ぐっ!?」


 異変は唐突に訪れた。


 息苦しくなったかと思うと、視界が飴細工のように歪んだ。悪寒が走り、全身の震えが止まらない。


 「おっ……ぶっ、ごふっ……」


 立っていられなくなり、膝をつく。吐き気が襲い、床に血の混じった胃液が飛び散る。

 言うことの利かない体が前のめりに倒れる。


 騙された――自分はあの声に嵌められた。憎悪が頭を満たすもすぐ苦痛以外に何も感じなくなる。


 《アハハハハハハッ――――苦しそうですねぇ? 今の笠井さん凄い顔してますよ? できればご覧いただきたいですけど無理ですね。いやーこんなにおかしくて笑ったの久々ですよぉ……では聖美さんによろしく》


 自称神の愉しげな声を耳にしているうちに、急速に視界が暗くなっていった。



 

 ――こうして、四年後の前世における笠井稜介は死んだ。

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