もう一人の相坂恭二
学食のテーブルで向かい合い座っているクラスの男子生徒が、チキンカツ定食をゆっくりと食べている。
この男子生徒の名前は『本條充』と言って、昨年から続いて同じクラスで『自分』の友人――らしい。
充のことは知っている。いつものんびりとしている印象だ。ちゃんと記憶にある。だが知っているはずはない――本当は。
この記憶は『自分』の記憶ではない。これは『彼』の記憶だ。今は『自分』でもある『彼』の記憶だ。
『自分』の記憶の他にもう一つ『彼』としての記憶があるのは不思議な気分だ。いや、『彼』の記憶に『自分』の記憶が混在しているのだろうか――いずれにしろそれほど不愉快ではない。奇妙ではあるが。
二つの記憶があるというのは当初こそ違和感しかなかったが、時とともに少しづつ慣れていった。うまい具合に両方の記憶が自分の中で馴染んできたような感覚だ。今では二つとも『自分』の記憶だ。
『彼』の記憶のおかげで、『自分』はうまく立ち回ることができているように思う。それは確かに幸いだった。
今の日常が過ごし難くなるのは、『自分』にしても『彼』としても望まないことだからだ。
「よく食べるね『聖美』。太るよ?」
ふと背後から、呆れたような女子生徒の声が聞こえた。
『聖美』――『笠井聖美』。彼女のことは知っている。『自分』の記憶にも『彼』の記憶にも、彼女のことは残っている。
振り返ってみればそこにはやはり、彼女はいた。目の前の親子丼を随分と早いペースで平らげていく。
はたして彼女はあれほど食欲が旺盛だっただろうか――どちらの記憶も曖昧だ。
「笠井さんはさ、変わったなぁ」
独特の間延びした充の声がして、『自分』は向き直る。
「……変わった?」
『彼』の喋り方は、今では自然とできるようになっていた。
「うん。事件後から性格がほとんど別人みたいだよねぇ」
「…………」
『別人』――その言葉が強く頭に引っかかる。
通り魔に襲われ、一時は危険な状態に陥りながらも奇跡的に命を取り留めた少女――。
「本当に『奇跡』、かも知れないな……」
「んん? 何のこと?」
「何でもないよ。ただの独り言」
そう『自分』は笑って誤魔化す。
彼女は本当に自分の知っている『彼女』なのだろうか――そんな疑念が鎌首をもたげる。
もし――もし仮に違ったとして、『自分』はどうしたい?
(知るべきことが多いな……『俺』には)
『自分』の知っている『過去』とは違う『現在』について、まだ知らないことはたくさんあるのだろう。