7
一時間もかからずに、その村にたどり着いた。ほとんどの家が木造で、田畑が多いのどかな村だ。村の門には男が二人、剣を持って立っていた。見張りだろうとは思うが、どう見ても素人にしか見えない。
「ヒナ。ついたわよ」
「うう……。吐きそう……」
「頼むから俺の上で吐くなよ。頼むから。頼むから! やめろ!」
真っ青になって口を押さえるヒナと、大慌てでヒナを下ろすグレイ。アイリは思わず噴き出してしまう。
「おい。笑うな」
「ふふ……。ごめんなさい。先に手続きだけしてくるわ」
「………。ああ」
無事にヒナを下ろせたグレイは、苦しそうにしているヒナの背を優しく撫でている。だが表情はとても不機嫌そうに見えた。自慢の毛皮に汚物をかけられそうになったのだから、当然かもしれない。
アイリは笑いを堪えながら、村の門に向かった。門といっても、木の柵に開閉式の扉がついただけのものだ。木の柵は人の背丈よりも高いが、それでもやろうと思えば飛び越せることができる。危険な動物程度しか警戒していないのだろう。
「こんにちは」
門の側にいる男二人に声をかけると、男たちは怪訝そうに眉をひそめた。
「なんだあんたら。どこのもんだ?」
「ちょっと待ちなさい」
黒い穴から一枚のカードを取り出す。長方形の、手に収まる程度の大きさのカード。そこにはアイリの名前や出身国など様々な情報が書かれている。特殊な魔法で刻まれているために上書きはできない。自身の身分を示すための重要なものだ。
それを男二人に見せる。渡すようなことはしない。初対面の人間に渡せるものではない。それは二人も承知しているようで、特に何も言わずにカードを読み始めた。
途端に、二人の表情が変わった。目を見開き、大きく間抜けに口を開ける。アイリへと視線を戻した二人の表情は、驚愕と困惑が入り交じったものだった。
「失礼致しました! どうぞお通り下さい!」
男二人が慌てたように道を空ける。アイリは満足そうに頷くと、後ろへと振り返った。
「行くわよ」
再びヒナをその背に乗せたグレイが立ち上がる。二人を伴って、アイリは村の門を通った。
好奇の視線が三人へと突き刺さる。否、どちらかといえば、ヒナへの視線が多いだろう。大きな白銀の狼と、それにまたがる少女。できればアイリも、少し離れて見たいものだ。きっと絵になるだろう。
「静かなところですね」
ヒナが辺りを見渡しながら言う。いかにも興味津々といった様子に、アイリとグレイは噴き出しそうになるのを必死に堪えた。
「静かなのはいいけど、少し不便よ。いつでも欲しいものが買えるわけではないから」
「そうですね……。私はこんなところで暮らしたいですけど」
「そう? 私は少しうるさくても、便利な王都がいいわね。ある程度のものはその日に揃えられるし」
「えー」
ヒナが不満そうに口を尖らせる。そのヒナと共に、アイリはグレイへと視線を向ける。二人の視線を受けて、グレイはため息をつきつつ言った。
「興味がないな。だがな、アイリ。お前は王都でいいのか? それなりにお前は有名だろう。少しうるさい、では済まないぞ」
「くっ……。確かに、そうね……。それなら、確かに私も静かな村の方がいいわね……」
「ですよね!」
嬉しそうなヒナの声。どうにも負けたような気がしてしまうのは何故だろう。
しばらく歩き、三人は村の中央付近にある比較的大きな建物へとたどり着いた。見張りに聞いた建物で、村長夫妻が営んでいる宿屋だ。中に入ると、すぐ奥にカウンター、その真横に階段があった。カウンターの奥にも部屋はあるようだが、客は入れないようになっているようだ。
カウンターにいるのは白髪の初老の男。おそらくは村長だろう。村長は何かしらの書類を呼んでいたようだったが、アイリたちが入るとすぐに顔を上げて、顔を綻ばせた。
「いらっしゃいませ。お泊まりですかな?」
「ええ。一泊だけでいいわ」
「畏まりました。食事はいかがなさいますか? お部屋にお持ちさせていただきますが」
「そうね。お願い。あと、こいつも一緒の部屋に入れるかしら」
アイリがすぐ後ろに続くグレイを指差す。グレイを見た村長はわずかに顔をしかめたが、すぐに笑顔でそれを隠した。
「身分を証明できるものを見せていただいても?」
村長に頷き、アイリは見張りにも見せたカードを差し出した。村長はそれをのぞき込むと、すぐに目を瞠り、アイリへと視線を戻す。
「驚きました……。勇者様でしたか。それでしたら、構いませんとも。お連れの方と共にお泊まりください。こちらが部屋の鍵です。三階の部屋をお使いください」
村長が小さな鍵を渡してくる。アイリは礼を言って受け取ると、早速階段を上り始めた。
二階を素通りして三階へ。三階は短い廊下と、突き当たりに扉が一つあるだけだった。どうやら三階はこの一部屋だけらしい。扉を開けて中を見てみると、大きめのベッドが三つ並んでいた。
「良かったわね、グレイ。一人として数えてもらえたみたいよ」
「使わないがな」
グレイはやれやれと首を振る。ヒナのために屈むと、ヒナはグレイの背から降りて部屋を見回し始めた。
ベッド以外には三人が共に食事をできる大きさのテーブルと、いすが三つある。扉側以外の壁面には窓もあり、そこから村の様子を一望できるようになっていた。ヒナは窓の一つに走り寄り、夢中になって景色を眺め始める。アイリとグレイは顔を見合わせて、小さく笑みを交わした。
「さて、これからどうする?」
グレイの言葉に、アイリはいつも通り、と答えた。
「私は買い出しに行ってくるわ。三人分の食料が必要になったからね。ヒナは留守番よ」
最後はヒナへと向けた言葉だ。それを聞いたヒナは、少しだけ不満そうにしつつも文句などは言わずに頷いた。
「グレイはヒナの護衛」
「了解した。気をつけて行ってくるといい」
グレイは頷くと、ヒナの側へと向かう。ヒナの足下で座ると、ヒナは早速グレイを撫で回し始めた。グレイは何も言うことなくそれを受け入れている。それいいのか魔狼族。
アイリは笑いを堪えながら、そっと部屋を後にした。