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グレイが冷たい目でアイリを睨む。アイリはばつが悪そうにそっぽを向きながらも、立ち上がって魔方陣の紙を手に取った。
「そうね。この魔方陣に魔力を流せば、繋がるかもしれないわね」
元の場所まで戻り、紙を床に置く、魔方陣に手をかざし、少しずつ魔力を流していく。魔方陣が仄かに光り始めた。
「最初からこうすればよかった……」
アイリがしみじみと呟き、グレイは、
「思い浮かばない方が変だと思うがな」
「うるさいわよ」
グレイと軽口を交わし合う。そんな自分たちの様子を、少女はくすくすと笑いながら見ていた。
「お二人は仲がいいんですね」
「そうね。召使いとは仲良くしておかないと」
「誰が召し使いだ」
「じゃあ、奴隷?」
「いい度胸だ……!」
グレイが殺気立ち、アイリは素知らぬ顔で目を逸らす。その様子を、やはり少女は笑顔で見つめていた。
「羨ましいです。私には、友達がいないから……」
「ん? そうなの?」
「はい」
少女が力無く笑う。アイリは少し考えて、じゃあ、と提案する。
「私と友達になりましょう。いいわね? 決定」
「え? あ、あの……。いいんですか?」
「いいわよ。異世界の友達なんて、素敵じゃない」
笑顔でそう言って、しかしすぐに、でもと続ける。
「無理強いはしないわよ。私は、友達になりたいと思ったけど」
少女の顔色を窺うと、驚いたような表情で固まっていたが、しかしすぐに満面の笑顔になった。アイリの手を取り、深く頭を下げてきた。
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
「ちょ、ちょっと、やめなさい! え? 泣いてるの!? ああ、もう!」
気づけば少女の瞳からは涙が落ち、床を塗らしている。それほど喜ぶことかと呆れつつも、アイリは服で少女の顔を拭ってやった。よしよし、と頭を撫でると、少女は少しだけ恥ずかしそうにしながらも微笑んだ。
「ありがとうございます」
「何にお礼を言っているのよ。それに、もうすぐ元の世界に帰るのよ? 気にしないことね」
「はい」
少女は変わらず、嬉しそうだ。本当に分かっているのかと疑ってしまうが、これ以上深く聞くのも無粋というものだろう。少女の視線から逃れるように魔方陣に意識を向けて、そうしてようやく違和感を覚えた。
「あれ?」
いくら魔力を流しても、魔方陣は反応しない。仄かに光るだけだ。何故、と思っていると、グレイが口を開いた。
「おい。こちらに来る時はどうやって来た?」
少女への言葉。少女がすぐに答える。
「えっと……。本を開いて、魔方陣が光っているのに気が付いたら、いつの間にかここに落ちていました」
「ふむ……。となると、原因はあちらだろうな」
グレイが言って、アイリと少女が首を傾げる。グレイが続ける。
「本を閉じている時では魔方陣は発動しない。今は、あちらの世界の、その本が閉じられているのだろう。こちらからは何をしても無駄だ」
「え? じゃあ……。どうやって、帰れば……」
「あちらの本が偶然開かれるのを待つしかないな。諦めろ」
少女が愕然として固まった。アイリはそれを見ていられず、そっと目を逸らした。帰ることができると思えば、一転、帰ることができないとなったのだ。ショックを受けても仕方がない。しかしこのままでは空気が重くなる一方だ。気を取り直したように、アイリは言った。
「ま、まあ! 他にもまだ帰る手段があるかもしれないから! 諦めるのは早いわよ!」
少女が視線を上げ、アイリを見据える。アイリはうっと言葉に詰まった。しばらく無言で視線を交錯させていたが、やがて少女が力無く微笑んだ。
「そうですよね。探してみます」
泣かれるかもしれない、と思ったが、どうやら耐えきったようだ。アイリは小さく安堵のため息を漏らし、それじゃあ、と続ける。
「とりあえず、ここから北に大きな街があるから、そこに行きましょう。図書館があったはずだから、この魔方陣についてもう少し調べてみるわ」
そう言って、魔方陣の紙をひらひらと振る。それを目で追いながら、少女は目を丸くしていた。
「手伝ってくれるんですか?」
「当然でしょう。友達を見捨てることなんてしないわよ」
だから安心しなさい、と笑いかける。少女はしばらく固まっていたが、やがて花が咲いたように笑った。
「はい! よろしくお願いします!」
一先ずの目的地が決まったところで、アイリは出発の準備を始める。準備といっても、空間魔法で空けた黒い穴に荷物を入れていくだけだ。すぐに使うもの、剣や地図などは別に持つことになる。
ふとヒナを見てみれば、物珍しそうに黒い穴を凝視していた。
「ああ、そっか。魔法がなかったのなら、これも初めて見るのね」
アイリが黒い穴に手を突っ込み、今朝と同じパンを取り出すと、ヒナの目が面白いほどに見開かれた。思わず噴き出しながら、説明をする。
「これは空間魔法よ。自分だけの異空間を作って、そこに色々な物を収納する魔法。中の広さは術者の魔力次第。便利でしょう?」
「すごい……! 私も覚えられますか?」
ヒナの目が期待で輝いている。アイリは苦笑しつつも頷いた。大きな空間を作るためには魔力と技術が必要だが、小さなものならさほど難しくはない。大人なら使っていて当たり前というものだ。故にヒナでもすぐに覚えることができるだろうと思って頷いた。
「だめだ」
しかしグレイは首を振った。ヒナが動きを止め、アイリは怪訝そうに眉をひそめた。扉の方で待っているグレイへと非難めいた視線を向ける。グレイはじっとアイリを見つめていた。
「アイリ。気づかないのか?」
「何がよ。異世界の人に教えてはいけないなんて決まりはないでしょう」
「それ以前の問題だ。ヒナには魔力がないぞ」
今度はアイリが絶句した。まさか、と思いながらヒナを見る。ヒナは不思議そうにしつつも、そのアイリへと視線を向けた。
ヒナへと意識を集中させる。大きな魔力を持つ者は分かりやすいが、小さな魔力した持たない者は意識を集中させなければ感じ取ることができない。ヒナもきっとそれだろうと思っていたのだが、どれだけ意識を向けても、ヒナから魔力を感じることはできなかった。