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翌朝。アイリは日の出と共に起床した。体を起こし、ゆっくりと伸びをする。隣で横になっている少女は、未だ整った寝息を立てていた。昨日とは違い、落ち着いた、幸せそうな寝顔だ。気楽なものだと苦笑しつつ、アイリは朝食の準備を始める。
メニューは昨日と同じ物だ。ただ、少しだけ手を加える。手の上で魔法による小さな火を造り、薄く切った肉を少し焼く。ただそれだけのものだ。だが、それだけでもとても美味しくなる。ならばなぜ昨日はしなかったのかというと、理由は単純、面倒だからだ。
今日はアイリの他にも食べる者がいる。なら少しの面倒はしてもいい。
肉の焼ける匂いに気づいたのか、少女が身じろぎをして体を起こした。少女は少し船をこぎながらも、周囲の状況を確認している。アイリと目が合うと、満面の笑顔になった。
「おはようございます。あの、私……」
「おはよう。体の調子はどう?」
アイリが聞くと、少女は気まずそうに顔を曇らせながらも答える。
「はい……。大丈夫です」
どうやら回復魔法の効果が出ているらしい。内心で安堵しつつ、しかし笑顔になりそうになるのを堪えて真面目な表情を作った。
「そう。それなら良かった。病気ならちゃんと言いなさい。もう治したからいいけど」
「え? 治したって……。え?」
半信半疑といった顔でアイリを見てくる。まさか、治してはいけないものだったのだろうか。少しだけ不安になりつつも、アイリはそれ以上何も言わずに朝食にすることにした。
少女にいすを勧めると、恐縮そうにしながらもアイリの向かい側に座る。朝食を渡すと、ありがとうございますと頭を下げて受け取った。
「わ。あったかいですね」
少女が驚いたように言って、アイリは少しだけ呆れた目を向けた。
「魔法で少し焼いたのよ。気づかなかったの?」
「魔法?」
「……?」
少女が首を傾げ、アイリは怪訝そうに眉をひそめた。時々、言葉が通じないような感覚がある。
「あ、あの! 魔法を見せてもらってもいいですか!」
少女が前のめりになりながら聞いてきて、アイリは少し驚きながらも頷いた。
「じゃあ、よく見ていなさい」
左手の掌を上に向ける。少しだけ魔力を込めると、すぐに小さな炎が上がる。基本中の基本であり、一年ほど訓練すれば誰でも使えるようになる魔法だ。だというのに、少女はその炎を愕然とした様子で見つめていた。
「もしかして、魔法を見るのは初めて?」
まさか、と思いながらの問いかけだったのだが、アイリの予想に反して少女は頷いてしまった。
「初めて、です。魔法を見たのが、初めてです」
「うそ……」
まさか、今時そのような人里があるとは思わなかった。どう話を繋げていいのか分からなくなり、アイリは黙り込んでしまう。少女も何かしら思うところでもあるのか、俯いて何も話さない。どうするべきか、と思ったところで、アイリはあることに思い至った。
これは、大きな手がかりだ。魔法を使える者がいない場所を探せばいい。アイリは聞いたこともないが、しかし知っている者はいるはずだ。大きな街に行けば、その手がかりはあるはずだ。一先ずはそこまで一緒に行くことにしよう。
早速少女にそう提案しようとして、少女がじっとこちらを見つめていることに気が付いた。
「どうしたの?」
不思議に思いながらも聞いてみる。少女は少し言い辛そうにしていたが、やがて意を決したように頷き、アイリへと言った。
「あの、アイリさん。ちょっと、その、荒唐無稽というか、妙な話をしてもいいですか?」
「ん? いいけど……。なに?」
「異世界って、信じます?」
少女の言葉に、アイリは眉をひそめた。
「こことは違う世界ってこと? そういったものがあるかもしれない、程度には聞いたことがあるわね。それがどうしたの?」
「私、多分ですけど、異世界から来ました」
胡散臭そうに目を細めるアイリへと、少女が慌てたように説明を始める。
少女が言うには、少女が元いた場所には魔法そのものが存在しないらしく、ただの空想のものらしい。魔王もおらず、魔族などやはり物語の中だけのものだと。
「魔法がないのにどうやって生活するの?」
「えっと、科学と言いますか、電気といいますか。ちょっとしたボタンを押すだけで部屋が明るくなったりします」
「なにそれ……。魔法なんかより便利じゃない」
「あとは、車とか。すごい速さで走るんですよ」
少女の説明は、抽象的すぎてはっきりとは分からない。だがそれでも、確かにアイリの知るこの世界とは似ても似つかない世界のようだ。異世界と判断したことも頷ける。
それにしても、でんき。かがく。とても興味がある。魔法は基本的なものはともかく、上級にもなってくると魔力という才能がなければ学ぶことすらできない。それに比べて、誰でも扱えるというのはとても魅力的だと思う。是非とも、見てみたい……。
「アイリさん?」
少女の声に、アイリははっと我に返った。どうでもいいことに思考を飛ばしすぎだ。自嘲気味に笑いながら、アイリはどうしようかと考える。少女が本当に異世界から来たのなら、どうやって送り届ければいいのだろうか。
「帰り方は、分かる?」
アイリがそう聞けば、すぐに少女の顔が曇った。やはり帰り方は分からないらしい。それも当然だろう。少女の口振りでは、少女の世界でも異世界というものは空想上のもののようだった。つまりは行き来する方法などなかったということだ。当然ながらアイリも、異世界へ行く方法など見当もつかない。二人そろって考え込んでいると、
「お前たちは何をやっているんだ?」
扉の方から声が聞こえてきた。見てみれば、呆れ果てたような眼差しのグレイがいた。
「グレイ。丁度良かった。異世界へ行く方法は知らない?」
「は? なぜ急に異世界なんてものが出てくる?」
困惑したような声に、アイリは少女から聞いた話をかいつまんで説明する。グレイは最後まで黙って聞き、聞き終えた後はなるほどと頷いた。
「異世界へ行く、お前からすれば帰る方法、か」
「はい。そうですね」
「その魔方陣は使えないのか?」
グレイが部屋の隅へと目をやる。アイリと少女も同じ方向を見ると、魔方陣が描かれた紙が床に落ちていた。そう言えば、この少女が来た後はあの紙に一切意識を向けていなかった。
「…………。考えすらしなかったわ」
「おい」




