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この店主は顔こそ凶悪だが悪人ではない。むしろ子供好きな性格で、思いやりのある男だ。だがそれは接していて分かることであり、どうしても顔の第一印象で客が逃げてしまう。顔だけで損している男だ。ちなみに種族は鬼だが、角は人間に折られてしまっている。
それを簡単にだがヒナに説明してやると、ヒナは申し訳なさそうに店主へと頭を下げた。
「ごめんなさい、怖がっちゃって……」
「ああ、いや。気にしなくていい。慣れてるからね。はは……」
自嘲するかのような笑い声が涙を誘う。ゼストは咳払いをして店主に言った。
「それで? お前は一応名のある商会の跡取りだろう。こんなところで何をやっている?」
ゼストのその言葉にヒナが驚いている。下っ端ならばともかく、商会の跡取りが露店を出していることが不思議なのだろう。店主は肩をすくめて言った。
「この顔ですからね。客が寄りつかないからその辺で売ってこい、と追い出されたんですわ。顔がだめだってのに、露店で俺が売れるわけないだろうにねえ。泣いていいっすか?」
「まあ、その、なんだ……。一個買ってやるから、元気出せ」
「おお! ありがとうございます! ささ、どれになさいますか!」
途端に元気になる店主。現金なやつだ、とゼストは苦笑を浮かべた。
「ヒナ。選ぶといい。買ってやろう」
「え? でも、高いんですよね?」
「値段で言えば、宝石の類いよりもずっと高い。だがまあ気にするな。普段から金の使い道には悩んでいる。適当に食い散らかすよりは、ヒナに買ってやった方がまだ価値があるだろう」
だから好きなものを選べ、と促すと、ヒナはおずおずといった様子でペンダントを手に取った。透き通るような蒼い宝石のペンダントだ。宝石といってもやはりドラゴンの骨なのだが。
「じゃあ、これで……」
ヒナが選んだペンダントの代金を店主に支払い、その場を後にする。店主がずっと手を振っていたが、あえて気づかないことにしておいた。
少し歩いたところで、ゼストは口を開いた。
「あの店主だが、街で俺の素性を知っている数少ない一人だ」
「え!?」
「何度か城まで来ているからな。顔を隠すよりも先に気づかれてしまった。秘密にしてくれているから問題はないが」
それにしても、と思う。あんな高価なものを露店で扱わせるなど、商会の主は何を考えているのだろうか。何も考えていない可能性もあるので考えるだけ無駄かもしれない。
息子とは違い柔和な笑顔を浮かべられる商会の主を思い浮かべながら、隣を歩くヒナを見る。ヒナはペンダントを見つめて頬を緩めていた。気に入ってもらえたのなら、何よりだろう。ゼストもわずかに頬を緩めた。
転移でゼストの自室に二人が戻ってくるのと、
「お帰りなさいませ、ゼスト様」
そう声がかかるのが同時だった。
ゼストはため息をつきながら振り返る。部屋の扉の側に、アドラが跪いていた。ヒナが慌ててゼストの後ろに隠れるが、すでに手遅れだろう。
アドラは頭を下げたまま、視線だけをこちらに向けていた。ゼストを、というよりはヒナを見ているようだ。ゼストがその視線からヒナを隠すように移動すると、アドラはすぐにその視線も下げた。
「アドラ。いつも言っているだろう。俺の部屋で待ち構えるなと」
呆れつつもそう言えば、申し訳ありませんと謝りつつも、
「ですが私にはゼスト様と奥方様を迎える義務があります」
「いやそんな義務はな……。待て今なんと言った?」
何か、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。ゼストがわずかに頬を引きつらせていると、アドラは不思議そうに首を傾げた。
「奥方様、と。そちらの方はゼスト様の想い人ではないのですか? 人間であることは驚きましたが」
「違う! 何を言っているんだ貴様は!」
「おや? そうなのですか? 私は、ゼスト様がそちらの方に一目惚れしてさらってきたのだと思っていたのですが」
「そんなわけがあるか! 俺はどこの魔王だ!」
「この国の魔王様ですが」
「ああそうだったな! だが違う! さらってなどいない!」
そうなのですか、とアドラは頷いた。どうやら納得してくれたらしい。そう思った瞬間。
アドラから殺気が爆発した。
「それはつまり、その人間は我らの警戒網を抜けてこの部屋まで忍び込んだ、と。そういうことですね?」
「む……」
確かに、ヒナがここにいることにゼストが関与していないとなれば、ヒナが自らの意志でここに来たことになる。この城にはゼストがいることもあり、常に警戒態勢だ。そう簡単にこの部屋まで忍び込めるはずもない。
ヒナへと振り返れば、真っ青になって震えていた。これだけの殺気をぶつけられながら気を失っていないということに少しばかり驚く。気を失う方が楽だっただろうが。
仕方ない、とゼストはため息をついた。
「アドラ。この少女は無害だ。お前が気にする必要はない」
「いえ、申し訳ありませんが、こちらで尋問させていただきます。ゼスト様には甘いところがございます。今回もその者自ら口を割るように誘導していたのでしょう。ご安心ください、我らが責任を持ってその者から情報を……」
それ以上、言葉が続くことはなかった。アドラが驚愕に目を瞠り、口を動かす。しかし声は出ない。
アドラの首には黒いものが巻き付いていた。それはアドラの足下から、影から伸びている。まるでアドラの影が首を絞めているかのように。
「アドラ」
ゼストはゆっくりと、殺気を放ち始める。アドラとは違い、ゆっくりと、それでいて凶悪なまでの殺気を。大きく目を見開き青ざめるアドラに、ゼストは言った。
「お前は、いつから俺に指図できるほど偉くなった?」
ゼストの影が大きくなる。床に広がり、床が真っ黒になる。あとはゼストが指を鳴らすだけで、この部屋の全てのものがゼストの影に沈み、消滅することになる。
「もう、しわけ、ありません……」
それを知っているアドラが、どうにかそれだけの言葉を口にした。ゼストはそのアドラの顔をしばらく見つめていたが、やがて嘆息して手を振る。それだけで、広がり、伸びていた影は元に戻っていった。
解放されたアドラが小さく安堵の吐息を漏らした。ゼストはそれに気づいていたが、さすがにそれを咎めるのは酷というものだろう、何も言わずにおいた。
「ヒナ」
ヒナへと声をかけると、ヒナが顔を上げた。まだ少し顔色は悪いが、先ほどよりは幾分か落ち着いたらしい。ゼストへと笑顔を見せた。
「アドラにあの魔方陣のことを伝えるが、構わないか?」
その問いに、ヒナは少しだけ目を見開き、そして何故か、悪戯っぽく微笑んだ。
「はい。ゼストさんが大丈夫なら」
ゼストは、意味が分からずに首を傾げた。




