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「そうなんですか?」
「ああ。人前に出る時は仮面をつけるからな」
「…………。へえ」
「なんだその反応は」
ヒナがわずかに頬を引きつらせるが、ゼストには意味が分からない。代々の魔王がつけていた仮面なので、伝統のようなものだ。そう説明すると、ヒナは納得したようだった。ただし、やはり頬は引きつったままだったが。
「ちなみに、どんな仮面ですか?」
「黒一色だな。ただ、隅に紋章がある。勝手に使えばそれだけで死罪という紋章だ」
「怖すぎますよ……」
ヒナが体を震わせるが、ヒナには関係のない話だ。ヒナが使うことになるとは思えないし、例え何かしらの理由で使ったとしても自分が庇ってやれる。ヒナの頭を撫でると、ヒナは照れたようにはにかんだ。
「ここだ」
ヒナに案内したのは、ゼストが週に一度は通う飲食店だ。木造の大きな建物で、量と安さを売りにしている。味は少し問題あるが、妙なものを頼まなければ食べられないというものではない。
「魔王様に案内されるとは思えないお店ですね」
ヒナが楽しげにそう言うので、ゼストも口角を上げた。
「堅苦しい店が良かったか?」
「断固拒否します」
「そうだろうな」
ゼストも堅苦しい場は苦手としている。城で行われることならばゼストも避けられないが、そうでなければ自分からそういった場には行きたくはない。
店の扉を開けて中に入る。食事時ではないためか、店内はそれほど混雑していなかった。十ほどもある丸テーブルは三つほどしか使用されていない。これが食事時なら、常に満席となっている。
「いらっしゃい、お好きな席へどうぞ!」
店の奥から声が届く。それに従い、ゼストはヒナを連れて隅の席に座った。
「さて、ヒナ。何か食べたい物はあるか?」
早速とばかりにヒナはメニューを開いた。しかしすぐに助けを求めるかのようにゼストへと視線を戻してきた。
「読めません」
「ああ……。そうだったな」
普通に会話ができてしまっているために、字が読めないということを忘れがちになってしまう。内心で反省しつつ、ヒナからメニューを受け取ると料理の名前を読み上げていく。全て聞き終えたヒナは、それでもやはり困ったような笑顔になっていた。
「ごめんなさい。全然分かりません」
「む……」
ゼストにとってはなじみ深い料理の名前ばかりなのだが、ヒナにとっては分からないものらしい。だが確かに、自分が人間側の大陸へと忍び込んだ時のことをよくよく思い出してみれば、料理の名前を見てもよく分からなかった。人族と魔族で表現の仕方が違うということだろう。
「ゼストさんのお任せで!」
自分で選ぶことを諦めたらしい。分からなければ選びようもないので仕方がないだろうか。
「そうだな……。どういったものを食べたい?」
「ゼストさんが食べた中で一番美味しかったものでいいですよ」
「俺とお前の好みは違うだろう」
ゼストはやれやれと首を振りながらも、側を歩いている店員に声を掛けた。今のヒナと同じような特徴を持つ魔族の女だ。店員はゼストの元まで歩いてくると、恭しく頭を下げた。
「ご注文はお決まりですか¥」
ゼストは頷き、選んだ料理の名称を告げる。店員はもう一度頭を下げると、店の奥へと歩いて行った。
「どの料理ですか?」
「言っても分からないだろう。まあ待っているといい。期待は裏切らないさ」
「むう……。気になります!」
そう言いながらも、ヒナはそれ以上答えを聞こうとはしてこなかった。どうやらゼストの言う通りに楽しみに待つことにしたらしい。
しばらくして、料理が運ばれてきた。大きめの平皿がテーブルの上に置かれる。ヒナはそれを見て、わあ、と楽しげな声を上げた。
「ステーキ、ですか?」
「簡単に言ってしまえば、そうだな。焼き方や香辛料などの有無で名称が全く違うが、まあステーキだ」
ほら、とヒナに食器を渡す。ナイフとフォークだ。ヒナは礼を言いながらそれを受け取ると、早速とばかりにステーキを切っていく。期待に瞳を輝かせながら、一切れ口に入れた。
「……っ!」
ヒナの目が大きく開かれた。すぐに閉じられ、んん、と奇妙な声を上げる。しばらく租借していたが、呑み込んだのかゼストへと顔を上げた。喜色満面といった表情だ。
「すっごく美味しいです! 柔らかいし! 何のお肉ですか?」
「ドラゴンだな。ただドラゴンといっても下位のもので、知性のかけらもない種族だ。トカゲが少し進化した程度のものだな」
「へえ……。見てみたいです」
「機会があればな」
どういった姿を想像しているのかは分からないが、ヒナはうっとりと頬を緩めていた。本当に見せてしまうと、今度は期待を裏切ってしまうのではないだろうか。そう思ってしまうが、隠していてもいつかは分かることだろう。
「見ることができても、がっかりするなよ」
念のためにそう言っておくと、ヒナはきょとんとしていたが、分かりましたと頷いた。
食事を終えた後は二人で街を巡る。見るもの全てが新鮮なのか、ヒナは行く先々で様々なものに興味を示していた。特に興味を示したものは、アクセサリーだ。最初は食べ物に負けたアクセサリーだったが、やはり女と言うべきか、ある露店の前でヒナは立ち止まり、売り物のアクセサリーを熱心に見つめていた。
ヒナが見ているアクセサリーは、他とは趣が異なるものばかりだ。半透明の石のようなものにひもを通しただけの、シンプルなもの。たったそれだけのものなのに、値段は他よりも高い。原材料を考えれば、当然かもしれないが。
「綺麗な石ですね。宝石ですか?」
「骨だ」
「へえ、ホネっていう宝石……。は? 骨?」
ヒナが勢いよく振り返ってくる。その顔は驚愕に彩られており、予想通りの反応にゼストは思わず笑みを零した。
「上位のドラゴンの骨だ。滅多に手に入らないが、特殊な加工を施せば宝石にも劣らない輝きを得る。それで、お前はこんなところで何をやっているんだ?」
後半は露店の店主に向けたものだ。店主はゼストを見ると、不気味に口角を吊り上げた。その笑顔にヒナが頬を引きつらせて後じさり、それに気づいた店主は肩を落としてしまった。
「こんな女の子にまで避けられるなんて……」
店主の呟きにゼストは思わず噴き出してしまった。