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ゼストは自室で魔方陣を睨み付けていた。先ほどまで会議をしていたのだが、少し休憩をと思いこうして自室に戻ってきたところだ。ヒナが退屈していないかと思ったのだが、肝心のヒナの姿がどこにもなかった。
誰からも報告がなかったので、この部屋から出て誰かに捕まった、ということはないはずだ。ならやはり、床に広げられた魔方陣が示している通り、自分の世界に帰ったということだろう。やはり人間ではここにいるだけでも辛かったか、と思うのと同時に、何も相談されなかったことに少しだけ悲しくなった。
呆然と魔方陣を見つめていると、唐突に光を放ち始めた。目を丸くするゼストの前で、光が強くなっていく。やがて光が消えた時には、ヒナが見たこともない袋を持って立っていた。
ふう、とヒナが息を吐き、そしてゼストと目が合った。
「…………」
「…………」
お互いに沈黙。しばらく二人そろって唖然としていたが、やがて表情に変化が現れ始めた。ゼストは嬉しそうに顔を綻ばせ、しかし一瞬後には不機嫌そうに顔をしかめた。
ヒナは引きつった笑いを浮かべていた。
「た、ただいま戻りました……」
ヒナが言って、ゼストは静かに頷いた。
「どこに行っていた?」
「その……。自分の世界に……」
「そうか」
色々と言いたいことはあるが、しかしこうして無事に戻ってきた。今はそれで良しとするべきだろう。二度と戻ってこなくても不思議ではなかったのだから。
「怒らないんですか?」
ヒナの問いに、ゼストは苦笑を浮かべた。不安に思うなら相談程度はしてほしかったと思う。ゼストにはヒナを縛り付けるつもりはないのだから、相談されればこちらも送り出せたというものだ。
「お前が無事なら、それでいいさ」
ゼストはため息まじりにつぶやくと、立ち上がって扉の方へと歩いて行く。背後から慌てて立ち上がる音が聞こえてきた。
「あの、黙って行ってしまって、ごめんなさい!」
ヒナが勢いよく頭を下げたのが、見なくても分かった。
「気にするなと言っただろう。だが次からは一言相談してほしい。止めることなどしないからな」
「はい……。気をつけます」
ヒナの答えに満足して、ゼストは今度こそ自室を後にした。
昼過ぎ。今日の仕事を終えたゼストは昼食を取らずに自室に戻った。ヒナはいるだろうか、と少しだけ不安になりつつ扉を開く。中を見てみれば、ヒナは机の上に本を広げていた。文字よりも絵の方が多い本で、植物についてまとめられた図鑑だ。
ゼストが側に立って本をのぞき込むと、それに気づいたヒナが顔を上げた。
「お帰りなさい、ゼストさん」
「ああ。……読めるようになったのか?」
「私は天才じゃないです」
つまり、読めるようになったわけではない、ということか。ならなぜ本を開いているのかと呆れながら聞くと、ヒナは困ったような笑顔になった。
「退屈ですから」
「…………。すまない……」
確かに、この部屋にいれば危険はないだろう。だがヒナにとっては、ここはとても退屈な場所のはずだ。本は読み切れないほど並んでいるが、文字の読めないヒナには意味のないものだ。魅力も何もないだろう。短い時間だったとはいえ、自分の世界に戻っていたことも仕方のないことだったのかもしれない。
ゼストの気落ちしたような顔を見たためか、ヒナが慌てて手を振った。
「気にしないでください。私は全く気にしていませんから」
どう聞いても、ゼストに気を遣っている。優しい子だ、と思いながらも、これ以上心配をかけさせないために、気を取り直して口を開いた。
「さて、ヒナ。出かけようか」
どこに、とは言わなくても分かるだろう。ヒナはすぐに顔を輝かせて立ち上がった。
「あ、そうだ。お昼ご飯、とは言えないかもしれませんが……。これ、どうですか?」
ヒナが白い袋を差し出してきた。今までに見たこともない袋で、手触りも今までにはなかったものだ。布ではない。何だろうか。
「レジ袋です。ビニール袋の方が正しいのかな?」
「ほう……。布よりも薄い。だが、薄さのわりに丈夫だ。作り方は分かるか?」
「いえ全く」
即答だった。それはつまり、心当たりすらもないということだろう。少しだけ残念だとも思うが、知らないものは仕方がない。気を取り直して、袋の中身を取り出した。
どれも、見たことのないものばかりだった。
「えっとですね。この丸いのが大福です。中にあんこが入っています。甘いです」
ヒナが指し示したのは、白い丸形のもの。とても柔らかく、うっすらと黒いものが見えている。これが、あんこというものだろうか。これもまた、透明な何かで包まれていた。
「これが、カステラ」
黄色い袋に入ったものだ。この袋も、やはりゼストの知らないものだ。袋には実物だと錯覚してしまいそうな絵が描かれている。この絵の食べ物が入っているのだろうか。
「最後にこれ、醤油味の煎餅!」
やはり素材の分からない袋に入っている。それにもまた精巧な絵が描かれていた。クッキーのようなものだろうか。
「さあ、どれがいいですか!」
ヒナがにこやかな笑顔で聞いてくるが、選べと言われても困るというものだ。知っているものが一つとしてないのだから。しばらく三つを見比べて考えてみたが、やはりどれがいいのか分からずにゼストは首を振った。
「ヒナが選ぶといい」
「私ですか? でもやっぱりゼストさんに選んでもらった方が……」
「どれがいいのか分からないからな。ヒナが選んでくれ」
ヒナは、そういうことなら、と頷いて、迷い無く黄色い袋を手に取った。確か、カステラというものだったか。ヒナは袋を開けると、中身をテーブルの上に置いた。
白っぽい何かしらの器に、絵の通りの長方形のものが入っていた。細長いが、すでに切れ目が入っている。ヒナは一切れ手に取ると、ゼストに見せるように口に入れた。
「それは手で食べるものなのか?」
「へ? さあ、知りません」
「おい」
思わず苦笑を浮かべながらも、ゼストもヒナを真似て一切れ手に取る。思った以上に柔らかく、潰してしまいそうになった。その柔らかさに驚きながら、口に入れる。ほんのりとした甘さが口に広がった。
「ふむ……。美味いな」
ゼストがそうつぶやくと、ヒナが嬉しそうに笑った。